第二話 今日のお父様は、緊急会議前の顔です
翌朝も、天井から始まった。
目が覚めるたびに少し驚く。前世では安アパートの染みだらけの天井だったのに、今は白くて清潔な木の梁がある。慣れるまでにもう少しかかりそうだ。
わたしはベッドの上で体を起こし、昨日整理した情報を頭の中で確認した。
家族全員がわたしに対して監視体制を敷いている。庭に出ると即座に反応する。理由は教えてもらえない。夜の花がきらきらしていた。
(本日のタスク:監視体制の詳細を把握する。具体的には、監視のトリガーが何かを特定する)
前世でサーバー監視をしていたとき、まずアラートの条件を確認した。何が起きたときに誰に通知が飛ぶのか。それが分かれば、システムの全体像が見えてくる。
今回も同じだ。家族がどういう条件でわたしに反応するかを把握すれば、隠されている情報の輪郭が見えてくるはずだ。
扉がノックされた。
「フィア様、おはようございます」
ジルだ。
「おはようございましゅ」
「今日もよいお天気でございますよ」
ジルはにこにこしながら着替えを手伝ってくれた。手際が良く、優しい。前世でいえば、経験豊富なベテランエンジニアのような落ち着きがある。
(この人は確実に何かを知っている。でもまだ開示するつもりはない)
情報を持っているが言えない人間を動かすには、信頼関係を積み上げるしかない。急いでも逆効果だ。
着替えが終わると、ジルがわたしの頭をそっと撫でた。
「今日は何をなさいますか」
「おにわに、いきたいでしゅ」
ジルの手が一瞬止まった。
ほんのわずかだったが、確かに止まった。
「……そうですか。ではお父様にご確認してから参りましょう」
(お父様への確認が必要なのか。昨日は自動的に反応していたが、今日は事前確認のフローが入った)
何かが変わったか、それともジルが手順を踏むことにしたのか。
「うん、わかりましゅ」
食堂に行くと、お父様がすでにいた。今日も書類を持っている。昨日と同じ構図だ。
でも昨日と違う点が一つあった。
お父様の机の上に、小さな透明な石が置いてある。昨日はなかった。
(……あれは何だ)
わたしが食堂に入った瞬間、その石がほんの少しだけ光った気がした。お父様がちらりと石を見て、それからわたしを見た。
「フィア、おはよう」
「おはようございましゅ、お父様」
「顔色がいいな。昨日は眠れたか」
「うん」
お父様はわたしの顔をしばらく見てから、安堵したように息を吐いた。昨日と全く同じリアクションだ。
(毎朝、同じ確認を行っている。これはルーティンだ)
前世では、毎朝システムのステータスを確認していた。正常稼働しているか、異常はないか。今のお父様はまさにそれをしている。わたしというシステムのステータスを、毎朝確認している。
(あの石も関係しているかもしれない。魔力を感知する道具か何かか)
わたしは朝食を食べながら、その石を観察した。
透明で、丸くて、小さい。特に何かをしているようには見えない。でもわたしが動くたびに、ほんのわずかだが反応している気がした。
「お父様」
「なんだ」
「そのいし、なんでしゅか」
お父様の手が少し止まった。
「これか。魔力石という、この辺りではよく使われる石だ」
「なんのためでしゅか」
「……部屋の雰囲気が整うんだ」
(アクセス制限。情報の一部開示にとどまった)
「部屋の雰囲気」という説明は明らかに表向きだ。前世で上司が「気にしなくていい」と言いながら重大な変更を加えているときの顔に似ていた。
「そうでしゅか」
わたしはそれ以上聞かなかった。
でも頭の中にメモした。
(魔力石。わたしの動きに反応する。監視ツールの一種である可能性が高い)
朝食が終わると、ジルがお父様に耳打ちした。
「フィア様が、お庭に行きたいとおっしゃっています」
お父様がわたしを見た。
昨日のきらきらした花を思い出したのかもしれない。お父様は少し考えてから言った。
「……今日は、わたしも一緒に行く」
「え」
「庭に行くなら、わたしも行く」
(監視の強化だ)
昨日、わたしが一人で庭に出たことで何かが起きたか、あるいは何かが起きそうだと判断したのだろう。今日は直接付き添うことにした。
これはシステム管理でいえば、「問題のあるシステムに直接張り付いて監視する」状態だ。
「一緒に、いきましゅか」
「そうだ。ダメか」
「……ダメじゃないでしゅ」
むしろ好都合だ、とわたしは思った。近くで観察できる。
庭に出た。
春の庭だった。色とりどりの花が咲いていて、小さな噴水がある。手入れが行き届いていて、気持ちがいい。
わたしは花を見ながら歩いた。お父様がすぐ後ろについてくる。ジルは少し離れたところから見ている。
花に近づいたとき、また気づいた。
花の周りが、きらきらしている。
昨日も感じたが、今日はもっとはっきりと分かる。白い花に近づくと、その周りの空気が少しだけ輝いているように見える。
「きれいでしゅね」
「……そうだな」
お父様の声が少し硬かった。
わたしは花に手を伸ばした。
触れた瞬間、何かが起きた。
花が、ぱっと大きくなった。
一センチほどだった花びらが、一瞬で三センチになった。隣の花も、連鎖するように少し大きくなった。
大したことではない、とわたしは思った。
でもお父様の顔色が、みるみる変わった。
青くなった。前世で見た「本番環境で重大な障害が発生して、役員報告が必要になったときの部長の顔」と全く同じ色だった。
「フィア、手を引いてくれ」
「え」
「今すぐ、花から手を離してくれ」
声は穏やかだが、目が本気だった。
わたしは素直に手を引いた。
お父様が深く息を吐いた。ジルが駆け寄ってきた。二人が小声で何か話している。魔力、という言葉が聞こえた気がした。
(やはりそういうことか)
わたしが花に触れたとき、何かが起きた。花が大きくなった。おそらくわたしの魔力が花に流れ込んだのだ。前世でいえば、過剰なトラフィックが集中してサーバーがスペックを超えて動いてしまった状態に近い。
(わたしの魔力が、無意識に漏れ出ている。それが問題なのか)
お父様がわたしのところに戻ってきた。
「フィア、怖かったか」
「ぜんぜん」
「そうか」
お父様はわたしを抱き上げた。大きな手だった。
「もう少し中に入ろう。今日の庭はここまでだ」
「うん」
わたしはお父様の肩越しに、花を見た。
さっきわたしが触れた花は、まだ少し大きいままだった。
部屋に戻ってから、わたしは今日の情報を整理した。
新しく判明したこと。第一に、魔力石がある。わたしの動きに反応していると思われる。第二に、お父様は昨日の庭の件を把握していて、今日は直接付き添いを選んだ。第三に、わたしが花に触れると花が大きくなった。第四に、それを見たお父様の顔色が変わった。
(まとめると、わたしから何らかの魔力が漏れ出ていて、それが外部に影響を与えている。家族はそれを知っていて、管理しようとしている)
なぜ管理する必要があるのか。なぜ外に出すのを嫌がるのか。それはまだ分からない。
でも一つ、仮説が立った。
(わたしの魔力は、量が多すぎるのかもしれない)
前世でも、スペックを超えたトラフィックは問題になった。通常の倍の量のアクセスが来ると、システムが不安定になる。わたしの魔力もそういう状態なのかもしれない。量が多すぎて、無意識に漏れ出て、周りに影響を与えている。
ジルが部屋に来た。
「フィア様、今日はご気分はいかがですか」
「ふつうでしゅ」
「そうですか。それはよかった」
「ジル」
「はい」
「わたしが花にさわったら、花がおおきくなりましゅよね」
ジルが止まった。
「……どうでしょう。わたしにはよく分かりませんが」
「お父様の顔がかわりましゅた」
「……フィア様は、よく見ていらっしゃいますね」
「うん」
「それについては、もう少し大きくなってから、きちんとお話しできると思います」
(やはりアクセス制限だ。でも今日は「もう少し大きくなってから話す」という言葉が出た。昨日は何も言わなかった。少しだけ情報が増えた)
「わかりましゅた。待ちましゅ」
「ありがとうございます、フィア様」
ジルはほっとしたような顔をした。
わたしはベッドの上で足をぶらぶらさせながら考えた。
急いでも意味がない。情報は少しずつ集める。信頼関係を作りながら、正規のルートで取得できる情報を増やしていく。
それが、前世で学んだ正しいやり方だ。
ただ一つだけ、今日分かったことがある。
お父様は、わたしが心配で仕方がないのだ。
顔色が変わるほど。すぐに抱き上げるほど。
前世では、誰かにそこまで心配されたことがなかった。
(……悪くない)
三歳児ライフ、思ったよりずっと悪くない。
窓の外で、さっき大きくなった花が風に揺れていた。




