第16話 泡沫より不確かに
逃げる場所などないならば。
「ラウフデルからアイルマセリアへの脱出ルートを考えるとまず立ち入ることはない海域ではあるが、それでも覚えておきなさい、絶対に近寄らないように。海賊はどこに属している勢力でもなく、教会と彼らとの間に直接政治的な衝突があるわけではないが……だからこそ、彼等はなんでもできる。教会の保護下から離れた生身の人間など、何をされても文句は言えない存在だ」
そんなことを先生に聞いていたなあとぼんやりセエラは思い出す。そうか、ここがマナウ海域か。ラウフデルとスードリーガの中間地点よりやや南西、多くの島が存在しているがゆえに教会もすべての侵略は難航し、他の勢力のアジトともなっているとかなっていないとか。そんな混乱の最中、略奪を生業とする者もいる。
いや、悠長に思い出に浸っている場合ではないのだが、あまりにもどうしようもない状況だと意識を遠退けたくもなる。
「おいゴラァ姉ちゃんどうしてくれんだ?この船の傷はよう、誰が悪いか言ってみな、あぁん?」
「女神より麗しいレディ・ヴァルモント号が可哀想になあ、すっかり剥げちまったじゃねえか、どうしてくれんだ?ん?」
「まさか命の恩人サマから逃げようなんて不躾なマネ考えてねえよなお嬢ちゃん?」
「まあ逃げたところで魚のエサだろうけどな!」
「お頭どうしやす?どこに売りましょう?」
どうやらセエラの乗ってきた漁船はサメから全力で逃げ切ったようだが、運悪くこの海賊船にぶつかったばかりか、投げ出されて溺れかかり、引き揚げられてそのまま身柄を拘束されたようだ。
屈強な海賊達に囲まれ、全身を舐め回すように厭らしい目で見られている。
見渡せる範囲では特に船体に大きい損傷はなさそうだが、傷がついただの塗装が剥げただの、ああだこうだと因縁をつけられている。
そもそも命を助けられているのもこちらからぶつかったのも事実だ。
どう考えても、良くて人身売買、悪くてここで非道の限りを尽くされて海の藻屑だ。
相手は本物の賊だ、商人としての偽装など全く役に立たない。何を言っても交渉のステージに立てるビジョンが見えない。
一か八か、本当のことを言ってしまうか。
いやそれは駄目だ、そんなことをしたら最悪の場合なぶり殺しだ。
「それで?これはどこのどいつなんだい?」
少し離れたところから声が聞こえる。
「お頭、こんな小娘の身の上なんてどうだっていいじゃないですか」
「そうですぜ、どうせ売り飛ばすガキのことなんざ」
お頭と呼ばれた女性は、小さく溜息を吐いてから
「ここにはアホしかいねえのか!!!!!?????」
鼓膜が破れそうなほどの大声で怒鳴った。
「こんなところを漁船で突っ込んでくる、どう見ても漁師じゃない奴なんて怪しさ満点だろうが!どこからどこに送られてきたのかって聞いてんだよ!」
声が頭に響いてぐわんぐわんするが、なんとなくセエラは状況を理解した。
この女性は、セエラのことをどこかの勢力のスパイだと認識しているのだろう。だとすれば。
「人質にして有り金ふんだくる方が儲かるだろうがよ!」
そう来るだろうことは予想できた。
情報を掴んでいるスパイがいるとすれば、その属する勢力にとっても、あるいは敵方にとっても絶対に逃すわけにはいかない存在だ。
信じられないような額で取り引きできる格好の材料だろう。
しかし実際はセエラには属している勢力などない。つまり、どの勢力にとっても怪しい奴、敵ということになる。
どこに引き渡されてもさっさと処分されてしまうだろう。
「お嬢ちゃん、どこから来たか言ってみな」
黒曜のような冷たい瞳がセエラの顔を覗き込む。
セエラの母親であるゼクスレーゼと同年代か、あるいはそれ以上だろうか。掠れた低い声は、先程の怒声とはうって変わって落ち着いているが、有無を言わせない重みがあった。
「わ、私は……」
フィナのような一般人や、クロスタのような規律の下にある人物とは訳が違う。予め用意していた答はどれも役に立たず、生殺与奪は完全に握られている。
ならば、賭けに出るしかない。
あるいは、魔が差したのかもしれない。
母に似た年代の女性を目の前にしたがために、あらぬ方向に意識が飛んでいったのかもしれない。
だが、これしかセエラには思い浮かばなかった。
「私は、教会を討ち滅ぼすための同士を探している!協力してくれたら教会から奪えるもの全部くれてやる!」
「……は?」
地に響くようなその声は、完全に温度を失っていた。
選択ミスは許されないよ。




