表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OMNIBUS SMOKE  作者: gongon


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/7

第一煙 TWO APPLES

親友が二十歳になった夜、俺たちは林檎とは呼び難い煙を吸った。


日付が変わって十五分ほど経った頃だったと思う。


枕元で震えた携帯を取ると、誕生日を迎えたばかりの親友が、挨拶もなしに言った。


「シーシャ吸いに行こうや」


てっきり酒でも飲みに行くものだと思っていた。


二十歳になった人間が最初にしたがることなど、大抵は酒か煙草だ。少し出来の悪い奴なら、両方を一度にやりたがる。


だが、あいつが選んだのは水煙草だった。


「お前、シーシャって何か知っとんか」


「知っとるわ。煙を水に通すやつやろ」


「それ以上は?」


「知らん」


潔い返事だった。


俺も名前くらいしか知らなかったが、そのことは黙っていた。


「まあ、ええわ。二十歳の誕生日なんやろ。付き合うよ」


「さすが親友」


「金は?」


「誕生日やぞ?」


電話を切って、そのまま迎えに行った。


あの頃の俺たちは、二十歳になれば何かが変わると思っていた。


酒が飲める。煙草が買える。親の許可がなくても、大抵のことは自分で決められる。


それを自由と呼ぶのだと、誰に教わるでもなく信じていた。


自由には値札が付いていて、請求書は忘れた頃に届く。


そんな当たり前のことを、まだ知らなかった。


親友が見つけた店は、繁華街の中心から少し外れた雑居ビルの二階にあった。


派手な看板はなく、階段の途中に小さなランプが灯っているだけだった。


扉を開けた瞬間、甘い匂いがした。


果物とも香水とも違う。焦げた砂糖に、花と木と、知らない国の市場を全部混ぜたような匂いだった。


低いソファ。暗い照明。聞いたことのない音楽。


卓上には、理科室の実験器具にしか見えない細長い道具が置かれていた。


後に何百台と触ることになるそれを、俺はその夜、どうやって吸うのかさえ知らなかった。


「二名、いけますか」


親友が、初めてではないような顔で店員に尋ねた。


店員は俺たちを見て、すぐに初めてだと見抜いたらしい。


「フレーバーは決まってます?」


渡されたメニューには、果物、菓子、花、飲み物の名前が並んでいた。


ピーチ。ミント。レモン。ブルーベリー。バニラ。


どれも知っている言葉なのに、煙になると考えた途端、何ひとつ味が想像できなかった。


親友はしばらく真剣に眺めてから、一つの名前を指差した。


「これにします。ツーアップル」


「初めてでツーアップルですか?」


店員が少し笑った。


「林檎が二倍なんやろ? 絶対うまいやん」


「たぶん、想像してる林檎とは違いますよ」


「二十歳なんで。王道からいきます」


二十歳であることは、フレーバーを選ぶ理由にはならない。


それでも店員はそれ以上止めず、注文を受けた。


やがて、火のついた炭を載せたシーシャが運ばれてきた。


店員がホースを吸うたび、透明なボトルの中で水がごぼごぼと鳴った。


吐き出された煙は、天井の照明を白く曇らせた。


「最初はゆっくり、長めに吸ってください」


親友は頷き、ホースを受け取った。


そして、思い切り吸った。


盛大にむせた。


咳をしながらホースを置く姿がおかしくて、俺は腹を抱えて笑った。


「ゆっくり言われたやろ」


「うるさい。お前も吸え」


俺は同じ失敗をしないよう、慎重に煙を吸い込んだ。


口の中に甘さが広がった。


その直後、鼻の奥を、香辛料のような独特の匂いが抜けた。


林檎飴でも、アップルジュースでもない。


薬草。八角。古い洋菓子屋。知っているものをいくつ並べても、ぴたりとは当てはまらなかった。


「……これ、本当に林檎か?」


「林檎二倍や」


「二倍にした結果、林檎が消えとるやないか」


親友が笑った。


俺も、煙を吐きながら笑った。


白い煙が二人の間でぶつかり、形を失って天井へ昇っていった。


おいしいかと聞かれれば、よく分からなかった。


少なくとも、想像していた味ではなかった。


それでも、もう一度吸いたくなった。


分からないから、確かめたくなる。


最初の一口で理解できないものほど、人間は簡単には手放せない。


シーシャも、女も、人生も、たぶん同じだ。


「二十歳になった感じ、するか?」


しばらくして、俺は尋ねた。


親友はホースを持ったまま、ソファに深く沈み込んだ。


「全然せんな」


「昨日と何も変わらん?」


「変わらん。朝起きたら急に大人になっとると思ったんやけどな」


「二十歳を何やと思っとったんぞ」


「もっと完成しとると思っとった」


その言葉には、少しだけ同意できた。


子供の頃に見た二十歳は、ずっと大人に見えた。


自分の仕事があって、自分の金があって、好きな相手と好きな場所で暮らしている。間違っても自分で責任を取り、困ったときには正しい答えを選べる。


実際に辿り着いてみれば、俺たちは身体だけ大きくなった子供だった。


正しい答えどころか、自分が何を間違えているのかさえ分からない。


「まあ、こんなもんなんやろ」


俺は言った。


「大人になった瞬間なんか、誰にも分からんよ。あとから振り返って、あの辺やったんかなって思うだけで」


「お前、たまに急に爺さんみたいなこと言うよな」


「お前より十五分長く二十歳を経験しとるけんな」


「誕生日、全然違うやろ」


また二人で笑った。


二時間近くかけて、俺たちは一台のシーシャを吸った。


炭を替えるたびに味が戻り、やがて少しずつ薄くなっていった。


その変化が、妙に心地よかった。


酒のように判断を奪わない。煙草のように数分で終わらない。


話すことがなくなれば吸い、煙を吐き、また何かを思い出したら話せばいい。


沈黙さえ、気まずくならなかった。


「なあ」


親友が、天井に溜まった煙を見ながら言った。


「こういう店、ええな」


「何が?」


「何もせんでええやん。酒飲んで騒がんでもええし、ずっと喋らんでもええ。ただ座って煙吸っとったら、ここにおってええ感じがする」


「金は取られとるけどな」


「お前、こういう店やったら?」


俺は笑った。


その頃の俺に、店を持つ金などなかった。


人に話せるような経歴も、胸を張れるような未来もなかった。


あるのは無駄に鍛えた身体と、売っても一円にもならない意地、それから面倒な人間に好かれる才能くらいだった。


「俺が店員やったら、客と喧嘩するぞ」


「でも、お前、最後まで話は聞くやん」


「聞いたあとで喧嘩するんよ」


「なら向いとるわ」


何を根拠にしているのか分からなかった。


俺も本気にはしなかった。


ただ、その言葉だけは、ツーアップルの匂いと一緒に、妙に長く胸の奥へ残った。


やがて炭が小さくなり、ボトルの音も弱くなった。


帰ろうとしたとき、テーブルに伏せていた親友の携帯が震えた。


画面を見たあいつの顔が、分かりやすく緩んだ。


「誰ぞ」


「女」


「見たら分かるわ。どういう女?」


「最近知り合った。めっちゃええ子」


まだ何も聞いていないのに、嫌な予感がした。


俺は昔から、面倒事の匂いだけはよく分かる。


人間を見る目があるわけではない。


自分が何度も面倒事の中へ飛び込んできたから、同じ匂いを嗅ぎ分けられるだけだ。


「やめとけ」


「まだ何も言うてないやろ」


「ツーアップルを林檎二倍やと思う男に、女を見る目があるわけない」


「ひどない?」


笑いながら、親友はメッセージを返した。


画面の光に照らされた横顔は、二十歳になったばかりの男というより、好きな玩具を見つけた子供に見えた。


俺も、それ以上は何も言わなかった。


言ったところで聞かないと分かっていたし、何より、その笑顔を曇らせるほどの根拠を持っていなかった。


店を出ると、夜の空気は冷たかった。


服にも髪にも、甘い煙の匂いが染みついていた。


繁華街の明かりの下を、俺たちは並んで歩いた。


二十歳になった親友と、その横で何者にもなれていなかった俺。


同じ店に入り、同じ台を囲み、同じホースから煙を吸った。


だが、その夜を境に、俺たちの人生は少しずつ違う方向へ流れ始めた。


後に俺は、シーシャ屋を持つことになる。


地方都市の繁華街から少し離れた場所に、どんな人間でも客として迎える、不思議な店を。


店の名前は、OMNIBUS。


開店日をこの店の始まりだと思ったことはない。


OMNIBUSが生まれたのは、看板を掲げた日でも、最初の売上が立った日でもない。


親友と二人、林檎とは呼び難い煙を吸った、あの夜だ。


そして偶然にもその夜は、あいつが一人の女に騙され始めた夜でもあった。


ツーアップル。


二つの林檎という名を持ちながら、林檎とはまるで違う味がする煙。


今にして思えば、俺たちの始まりには、よく似合う味だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ