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公安  作者: 篠川織絵
通夜編
9/12

番外編 試着室


「お兄様ですか?お若いですね」


 そう顔を輝かせていたのは、制服販売店のカウンターに立つきれいな若い女性店員だった。


 彼女はショートカットの髪を軽く揺らし、制服販売店が入っている百貨店の制服を身にまとっている。さっきから佐藤にまとわりつくように話しかけていた。彼女の声は店内に響き渡るほど明るい。


 店内を見渡すと、様々な学校の制服を着たマネキンが整然と並んでいるのが目に入る。


 私は学校指定のローファーを試着するために椅子へ腰掛け、楽しそうな2人を横目にパンプスを脱いだ。


「まあ、そんなところです」


 佐藤はにこりと笑って答えた。彼は先ほどから弾丸のように飛んでくる数多の質問をのらりくらりとかわしている。女性にしつこく言いよられるのは日常茶飯事なんだろう。


 私は学校指定のローファーを足に滑り込ませ、硬い革の感触に少し違和感を覚えながら立ち上がった。


 店頭に置かれている制服のなかには、明るい茶色のブレザーや赤いスカーフの制服もある。その中でも、ひときわ異彩を放っていたのが修加(しゅうか)学院中等部の制服だ。


 冬服は濃紺のセーラーに黒いラインが入っていて、リボンタイまでが真っ黒だ。まるで喪服のようで、照明の下で鈍く光るその姿はどこか不気味ですらあった。


 私が通っていた塾にも修加学院の生徒が何人かいたが、あの真っ黒なリボンが今でも強く印象に残っている。


「ねえ、リボンタイつけ忘れてるよ」


 佐藤が私の背後から突然声をかけてきた。振り返ると、彼は細く綺麗な指でリボンタイをつまみ、私の胸元に手を伸ばした。


 私は訝しげに眉を寄せて彼を見上げると、彼は一瞬驚いたような顔をした。でもすぐに、ふっと柔らかく笑う。


「よく似合ってるよ」


 彼はそう言って、私から一歩下がった。その誰にでも言っていそうなセリフに、ときめくほど私は夢を見ていない。私は鏡に映る新しい制服を身にまとった自分をちらりと見た、黒いリボンが制服に重々しく映えている。


 その時、先ほどの女性店員がカウンターから出てきて佐藤に話しかけてきた。


「お兄様も修加へ通われていたんですか?」


 彼女の目は期待に輝いていて、まるで佐藤が「はい」と答えた瞬間に連絡先を渡す準備でもしているかのようだった。


 私は試着したローファーを脱ぎながら、その様子を横目で眺める。恐らくこの女性は佐藤を狙っているのだろう。


「いえ、僕は明条の附属高校でした。」


 佐藤はあっさりと答えた。残念ながら修加ではなかったが、私は内心で小さく頷く。


 この軽薄そうな男がよく明条大学の法学部に受かったな、とずっと疑問に思っていたが、なるほど、附属からなら納得だ。内部進学なら枠がある分、外部からの受験よりは容易い。


「明条でしたか〜!確かに明条の制服似合いそうですね!見てみたかったです〜!」


 女性店員は目をキラキラさせながら、意気揚々と声を弾ませた。彼女の手元では私の制服発注書が軽く揺れている。


 まあ確かに修加ほどではないにしろ、明条も名門だ。彼氏にするなら悪くはない選択だろう。私はそんなことを考えながら、ローファーを棚に戻した。


その瞬間、佐藤がとんでもないことを口に出す。


「まあ、今は持ってないんですけどね。売ったので。」


 店内の空気が一瞬止まった気がした。売ったって誰に売ったんだ。いや、一歩譲って売ったとしても、わざわざ口に出さず黙っていればいいのに。私は思わず彼を二度見してしまった。


「修加とか明条の制服って、マニアに高く売れるんですよ」


 佐藤は平然と続ける。さっきまで輝いていた女性店員の顔が一気に苦虫を噛み潰したような顔になり、口元が微妙に引きつっているのが分かった。私も気づけば、彼女と同じ顔になっていた。


◯◯◯


「案外すんなり終わったね。」


 佐藤がカフェの席でそう呟いた時、私は内心で突っ込みを入れた。いや、終わらせたのはお前だぞ、と。


 目の前にはよく冷えたアイスレモンティーが置かれていて、私はストローで氷を軽くかき混ぜる。グラスの中で氷がぶつかり合い、カランカランと涼しげな音を立てた。


 カフェの窓からは午後の陽光が差し込み、テーブルの上に淡い影を落としていた。


「そうですね。今日は着いてきてくれてありがとうございました。」


 一応、着いてきてもらったのだから形だけでもお礼を言わなければ。私の正面に座る彼は頬杖をついて、カフェオレのストローを細い指でつまみ、くるくると回している。その仕草はどこか幼く見えた。


「構わないよ。そういえば修加の制服がなんであんなに黒いか知ってる?」


彼はカフェオレの水面を見つめながら、私に尋ねてきた。私はグラスから目を上げて、彼の顔を見た。


「さぁ、学校が頼んだデザイナーがたまたま黒が好きだったんじゃないですか。」


 私も黒いなぁ程度には思っていたけど、私立は特異なデザインの制服が多いので深くは考えていなかった。佐藤は小さく首をかしげて、私の答えを聞いている。


「修加に通ってた同期が言ってたんだけど、修加ってよく人が亡くなるらしいんだ。」


 彼の言葉に、私は一瞬眉をひそめた。カフェのBGMが遠くで流れ、外の街路樹が風に揺れる音が微かに聞こえる中、その話は妙に重く響いた。


「亡くなるというのは自殺ですか?」


 私がそう尋ねると、彼は頷いた。


「そうだね。在学中に1人は絶対に亡くなるって言われてて、だからあんな喪服みたいな色が採用されたって噂があるらしいよ。」


「修加は14年前の飛び降り事件が有名ですよね」


 私は修加学院を調べたときに出てきた14年前のネットニュースの記事を思い出した。


『修加学院中等部、女子中学生飛び降り事件』


 その記事の全文に目を通したが、情報がどこか不明瞭で整然としなかった。


「あぁ、その事件はよくニュースで流れていたから僕も記憶に残ってるよ。」


 彼の私に向けられた視線は、私を通り越してどこか遠くを見ているように感じた。


「当時の掲示板は痴情のもつれだと書かれていましたが、修加に通う人がそんな理由で自殺するんでしょうか」


 色恋沙汰で自殺をするなんて馬鹿らしい。私は小学校から中学校まで女子校にいて恋をしたことないからそう思うだけなのかもしれないが。


「僕はそれが全てだとは思わないけど、あながち間違いでもないと思うよ」


 佐藤はストローを口に咥え、カフェオレを一口飲んだ。彼の声は軽い調子だったが、その瞳には何か得体の知れない影が揺れているように見えた。


「どういう意味ですか?」


 私が聞き返すと、彼は少し間を置いてから口を開く。


「明条でも似たような事件があったんだ。男関係で揉めに揉めて女の子が友達を階段から突き落とす事件が」


 私の頭の中に嫌な妄想がよぎった。佐藤の体験談ではないのだろうか。


「その男って佐藤さんじゃないですよね」


 彼は首を少しかしげ、苦笑いしながら答える。


「僕はそこまでの男じゃないよ」


 嫌な男だと思った。その言葉に込められた謙遜が逆に不愉快だ。


 女性的な美しい容姿に、均等のとれた身体。どこか人を惹き込むような雰囲気。彼が少し本気になれば誰かの人生など、いとも簡単にめちゃくちゃになるだろう。


「無自覚って怖いですね」


私がそう呟くと、佐藤は一瞬目を細めて私を見た。


「無自覚?」


 彼はわざとらしく首を傾げた。


「そうですよ。自分がどれだけ影響力あるか分かってないみたいで」


私はアイスレモンティーのグラスを手に持ったまま、冷静に続ける。彼の美しい顔が視界の端で揺れる。彼は静かに笑っていた。私は本題に戻す。


「本題に戻しますが、なぜか当時の記事を調べても被害者の名前すら出てこなかったのが不審でした。学校側が隠したのか、報道規制でもあったのか……」


私がそう呟くと、佐藤は紙ナプキンを折りたたみながら答えた。


「修加なら隠すだろうね。あそこは大企業の経営者や政治家、官僚の子どもが多い。そういう関係もあって隠蔽体質なんだよ。飛び降りがあるだけでも毎回大騒ぎなのに、原因が痴情のもつれだなんてなおさら隠したくなるはずだ」


 彼の言葉には妙に説得力があった。そうか、そうまでして隠したがっているのは学校ではなく親なのかもしれない。


 自分の子どもが男女関係で自殺したなんて世間に出れば親の監督不行きを指摘されて、世間から大バッシングを受けるだろう。


「修加のことよく知ってるんですね」


 まるで修加に通っていたような口ぶりだ。


「僕の大学の助教に修加に通ってた人がいるんだけど、その人から数度だけ話を聞いたことがあってね」


 伏目がちな彼はより一層美しく神秘的に見えた。


「その助教の友達が中等部の2年に上がった頃からいじめられて、精神を病んで首をくくったんだ。その頃、修加はまだリボンタイじゃなくて三角スカーフだったんだけど、そのスカーフで。」


「随分と陰惨な事件ですね」


「うん、そんなことがあってすぐに首を吊れないようにスカーフじゃなくて、スナップボタンで取り付け可能なリボンタイに変わったらしい」


 彼はそういうとカフェオレを飲み干した。


「全生徒ですか?」


 学校都合で全生徒分変えるということは学校が全て費用を負担したのだろうか。


「それは分からないけど、全生徒なんじゃないかな。女子の方は一時期、私服登校してたって言ってたし」


私は女子の方という言葉が引っかかった。助教を勝手に女性で想像していたが、女性が女子の方という発言をするのは違和感がある。


「ちなみにその助教って女性ですか?」


彼はにっこりと笑って答える。


「違うけど。なんでそんなこと聞くの?」


「数度しか話したことないって言うわりにはやけに詳しく知ってるな、と思って」


助教というなら若くて20代後半から30歳ぐらいだろうか。叔父と関係を持つ彼だ。もしかしたら彼が話している話は大学ではなくベッドの上で聞いた物なのかもしれない。


「詩織ちゃんは鋭いね。そういうところ嫌いじゃないよ」


彼のこれは肯定として受け止って良いのだろうか。そうであるなら数度話した、ではなく、一緒に寝たが正しいのだろう。


「私は佐藤さんのそういうところ苦手です」


彼は軽く笑った。こいつの貞操観念はどうなってるんだ。だらしない。


「でも、修加については詳しく調べすぎない方がいいよ。その事件を嗅ぎ回った記者だって失踪したらしいし」


彼は立ち上がった。「お手洗い行ってくる」とだけ言い残して。私だって面倒くさいことや危ないことに首を突っ込みたくないが、叔父の頼みであるなら調べなければいけない。彼の頼みを退けられる人なんて誰もいないのだから。

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