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公安のファムファタールは暴かれたい  作者: 篠川織絵
第一章 麗しい官僚の隠し子

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6/10

笑えない話

警備企画課のお話です。


念の為、序列を書いておきますが

上から


香山(28)課長補佐

須崎(31)課長補佐(※実際には香山の補佐)

岡田(26)

佐藤(26)

林(24)


です。

午後の警備企画課(けいびきかくか)は、珍しく静かだった。

報告書の山が机に積まれているのに、誰も急いでいない。

蛍光灯の白が紙面を漂い、空調の風にコーヒーの酸味が混じっていた。


「そういえばさ、佐田製薬の社長のニュース、ぴたりと止まりましたよね〜」

(はやし)が椅子をくるくる回しながら言った。

年下特有の軽さに、須崎(すざき)は思わず眉をひそめる。


「止まったって、報道の話?」と佐藤(さとう)

「そうです。最初あんなに騒いでたのに、今はどこも触れないじゃないですか〜」


岡田(おかだ)が報告書を打つ手を止めずにぼそりと呟いた。

「誰かが圧力かけたんだろ」


「え、そういうの本当にあるんすか?」

林が面白がるように身を乗り出す。


「そりゃあるだろ。報道が止まるなんて、だいたい上からの圧だ」

岡田の声は淡々としていたが、どこか冷めていた。


「じゃあ、うちにもそういう裏ルートとか……」

「やめなよ林くん。僕たちそうでなくても、きな臭い部署なんだから」

佐藤が苦笑する。


須崎は黙っていた。

画面の光だけを見て、ペン先を走らせ続ける。

そうやっているときが、一番安全だ。


岡田が半笑いでこちらを向く。

「須崎さんなら、何か少しは知ってるんじゃないですか?」


「うちの課の管轄じゃないから、何も知らない」

考えるより先に、口が勝手に動いた。

この言葉を何度繰り返しただろう。


「出た、“知らない”。須崎さんの“知らない”って、一番怪しいんですよ」

岡田が笑い、林が便乗する。

「そうそう! 情報握ってそうですよね〜。もしかして公安の裏の裏とか?」


「馬鹿言うな」

ため息が漏れた。息を吐く音が、やけに大きく響いた気がする。


「ほら、反応が薄いから余計怪しい!」

林が机を叩いて笑う。その軽さが、時々ほんとうに苦手だ。


そのとき、向かいの席で香山(かやま)が顔を上げた。

ペンをくるくる回しながら、気怠げに言う。


「君たちも出世したいなら、権力に従った方がいいよ〜。ほら、知らなくていいことを知ったら、消されそうじゃん。この世界」


笑っていた空気が、ふっと止まる。

ほんの一瞬、空気が沈んだ。

香山の声には冗談めかした軽さがあったのに、その奥に何もなかった。


岡田が笑い混じりに言う。

「でも、警備企画課って、そういう“知られたくないこと”を隠す部署じゃないですか」


香山が顔を上げる。

「そうだけど、僕たちの仕事は“未然に防ぐ”ことであって、後付けの処理じゃない」

声は穏やかだった。

穏やかすぎて、かえって怖かった。


彼の表情は変わらない。

一瞬だけ、須崎にはその笑みが“壊れた仮面”のように見えた。


「それにさ、知らない方が安全なことって沢山あるでしょ。ほら、例えば須崎くんの性癖とか」


……一瞬、ペンの動きが止まった。


林がすぐに食いつく。

「え、須崎さんって、やっぱり変な性癖持ってるんですか」


「香山さん、茶化すのはやめてください。それと、“やっぱり”ってなんだ、林」

須崎は手を止めずに言う。

怒るよりも、冷静でいる方が彼には簡単だった。


「ほら、みんなも須崎くん見習いなよ〜。須崎くんみたいに静かな人間が、一番出世するよ」


静かな人間。

心が波立たない人間。

香山がそれを誉め言葉のように言うたびに、皮肉にしか聞こえない。


須崎は短く息を吸い、口を開いた。

「……静かで済むなら、誰も苦労しません」


香山がふっと目を細める。

笑ったのか、見下ろしたのか、判断がつかない。


林が空気を変えようと声を上げた。

「えー、でも須崎さん出世したら怖そうですよ!」


「どうして?」

香山がとぼけた声を出す。


「“規律に反する行動は見逃しません”って顔してる」


岡田が笑った。

「実際そうでしょ。須崎さん、上司の前でも嘘つけなそうだし」


香山は印鑑に朱肉をつけながら言った。

「それが美徳なのは学生までだよ」


その言葉に、誰も笑わなかった。

須崎は、机の下で指先を握りしめていた。


少しの沈黙のあと、香山が腕時計を見て立ち上がる。

「じゃあ、僕ちょっと早めに帰るね」


「え! 香山さんデートですか!?」

林が明るく声を上げた。


香山は口の端を上げて肩をすくめる。

「まぁ、そんなところ」


「えーっ! 誰ですか? 名前だけでも!」


「林。他人のプライベートを詮索するんじゃない」

須崎は思わず口を挟んだ。


「だめかぁ〜」

林が頭を掻く。


香山は鞄に資料を詰め、軽く手を上げて出ていった。

その背中は、どこまでも静かで、どこまでも冷たかった。









香山が去ったあと、廊下の足音が遠ざかる。

空調の風だけが、書類の端をわずかに揺らした。


「香山さんがこんな早く帰るの、珍しいですね。大抵、日付変わるまでいるのに」

佐藤がぽつりと言う。


「まぁ、“そんなところ”って……もしかしてデートじゃなくて密会? どこ行くんですかね!」

林が笑った。


「──地獄だろ」

岡田の低い声が響く。


「岡田、それは言いすぎだよ」

佐藤が苦笑する。


「いや、あながち間違いじゃないだろ。普通の女なら、こんな時間から会いに行く必要がない」


「面倒くさい女性ってことですか? それとも人妻!?」

「林くん、一旦落ち着いて」

佐藤がたしなめる。


岡田は淡々と続けた。

「いや、そういうんじゃなくて……。多分、高官とか、政治家、あるいは本当に人妻」


林は一瞬考え込み、ぽつりと呟いた。

「……まぁ、モテますもんね」


「いや、そういう話じゃないでしょ」

佐藤がツッコミを入れる。


須崎は書類をまとめながら、小さく言った。

「……彼女でもできたんだろ。香山さんだって、普通の男だ」


岡田が彼を見た。

「それ……本心で言ってます?」


須崎は答えなかった。

ただ、書類の角を揃える手が一瞬止まり、

再び動き始める。


蛍光灯の光が机の上で滲み、

コーヒーの表面がかすかに揺れた。


何も起きていないのに、液面だけが震えていた。


須崎は、呼吸をひとつ整えた。

香山の言葉がまだ耳に残っていた。


──静かな人間が、一番出世するよ。


蛍光灯の白だけが、無言でその言葉を照らしていた。

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― 新着の感想 ―
須崎の性癖ってまさか、、、 ◯◯◯責めですか?
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