第1話 通夜
都内の大規模な斎場で、通夜が淡々と執り行われていた。親族席の最前列に座るのは、わずか14歳の少女、佐田詩織だった。会場には焼香の白い煙が漂い、まるで亡魂のように薄く揺らめいている。形式的な儀式が終わり、ロビーはざわめきに包まれた。
詩織の母、裕子は財閥系の製薬会社の一人娘だった。父は母との見合いで佐田家に婿入りし、卓越した手腕で前社長である祖父の信頼を勝ち取り、5年前に社長の座を引き継いでいた。
詩織にとって、両親は誇りそのものだった。しかし、その誇らしい存在を、彼女は一瞬にして失った。
母は数年前から不治の病に侵されていた。回復の望みはなく、ただ静かに死を待つだけだった。一昨日、詩織は病室で母の手を握り、かすかな呼吸音に耳を傾けていた。
危篤の連絡を受けた父は、初めて仕事を放り出し、病院へ急いでいた。あと数キロで母娘に会えたはずだった。だが、動揺した父は単独事故を起こし、命を落とした。警察さえ目を背けたくなるほどの凄惨な現場だったという。
詩織が病室で父の訃報を受け、呆然と立ち尽くしていると、突然、母の心電図モニターが鋭い警告音を鳴らした。細かく震える線が、やがて冷たい直線へと変わる。詩織は膝から崩れ落ちた。
通夜が終わり、詩織はロビーの硬いベンチに腰を下ろし、両手で頭を抱えた。目の前のテレビからは、父の「不審死」を繰り返し報じるニュースが流れている。親族や父の部下がその周りに集まり、口々に憶測を語り合っていた。
マスコミは自殺説を煽り、SNSでは軽薄な陰謀論が飛び交う。父の死は、想像以上に世間を騒がせ、佐田製薬とその子会社の株価は急落していた。
(どんな顔をしてここにいればいいんだ)
詩織の手が髪を強く掴む。父が生きていた頃、周囲は彼女を丁重に扱った。
だが、今や彼女はただの厄介者でしかなかった。悲観が心を蝕み、「死んだほうがましかもしれない」とさえ思ったその時、隣に誰かが腰を下ろした。ゆっくりと顔を上げると、そこには見知らぬ青年がいた。
「大丈夫?」
色素の薄い軽やかな髪、淡い虹彩、柔らかそうな鴇色の唇。その美しさは神話の女神を思わせ、詩織は息を呑んだ。
呆然とする彼女の前に、50代ほどの威圧的な男が近づいてくる。
「来ていたのか。なぜ私に声をかけない」
その男は財閥本家の香山優一だった。詩織は反射的に立ち上がり、頭を下げる。
「この度は私の両親がご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
(まずい、まずい、まずい)
心臓が早鐘を打つ。だが、優一は膝を折り、詩織と目線を合わせた。
「君は何も悪くない。そんなことをしないでくれ」
その穏やかな声に、詩織は安堵の息を漏らす。優一は彼女を立ち上がらせると、美しい青年を指して言った。
「君の近しい人は多忙だろうから、彼を世話役に呼んだ。佐藤新、大学生だ」
青年は柔和に微笑む。
「初めまして。よろしくお願いします」
「佐田詩織です。こちらこそ」
優一が命じた以上、拒否権はない。詩織の不安そうな顔に気づいたのか、優一は補足した。
「安心しろ。一緒に住むわけじゃない。君にはマンションの一室を貸す」
「ありがとうございます」
(なぜこんなに気遣ってくれるんだろう)
優一は冷徹な人物という印象だったが、実際は違うのか。それとも、資産家にとってマンション一室など些細な施しに過ぎないのか。
そんな事を考えていると女性のつんざくような悲鳴が聞こえた。
その場にいた全員の視線が一斉に悲鳴の主に集まる。そこには泡を吹いた男性が白目を剥いて横たわっていた。
旧1話を大幅に改稿しました。