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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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待つ者たちの戦い

 ホートルノックでは、慌ただしく嵐への準備が進んでいる。空は黒い雲で覆われて太陽さえ隠し、風がけだもののような唸りを上げて、街をなぶってゆく。時おり、雲のなかで稲光が走る。人々は窓や扉に板を打ちつけ、貴重品を地下貯蔵庫に隠したりしている。子どもたちは手習い館の堅牢な講堂に集められ、ほかにも怪我や病気で動けない者たちは、聖ナータ教会へ避難が始まっていた。

 教師であるエイファッドは、子どもたちの避難誘導と、怯える人々をなだめることを己の役割と見定め、そのとおりにふるまっていた。恋人がいつも浮かべている明るい笑顔を思い出し、彼女の紡ぐ前向きな言葉を借りて、人々を励ます。

「大丈夫ですよ、少しの辛抱ですから、頑張りましょう」

 先生、と呼ぶ声が聞こえ、エイファッドはそちらへ向いた。街の世話役であるギュンターが、ぐたりとした老人を背負ってこちらへ来ていた。

「先生、こっちも頼む。できれば治癒の魔法をかけてやってくれ」

「ギュンターさん、あなたもひどい顔色だ、少し休んだほうが」

 エイファッドは眉をひそめる。ギュンターは、明らかに無理やりではあったが、にっと歯を見せて笑った。

「なあに、これしき。それに先生だって、今にもひっくり返りそうな顔してるよ」

 ギュンターは手習い館の机を並べたところへ老人を横たわらせた。年長の子どもたちが手伝って、老人を介抱する。エイファッドはその子どもたちの頭を順に撫でた。

「ありがとう、助かるよ。お願いしていいかな?」

「はい、先生」

 子どもとはいえ、ホートルノックに育っているユニオンの一員だ。いざというときに力を貸しあうことを、よく心得ている。エイファッドは安堵に表情を緩めた。自分の教えてきたことが、子どもたちに伝わっている。こんなときに不謹慎とはわかっていても、やはり嬉しい。

「気付けの茶を沸かしていますから、ギュンターさんもせめて一杯召し上がってください」

「はは、先生にそう押し切られたんじゃ、断れねえな」

 ギュンターはダイモンの力を惜しむことなく使って、休むことなく働いていたのだ。呼ぶ声があればそちらへ駆けてゆき、知恵を貸し、力を出した。歩けない人を背負って歩き、重すぎる荷物を運び、興奮する騎乗動物たちを抑えてなだめた。エイファッドには、ギュンターの想いが胸に苦しいほど伝わってきた。自分もまた、同じなのだ。働いていないと、心配で心配で気が変になりそうだった。カイトたちをただ見送るだけで良かったのだろうか、援軍は要らなかったろうか、真っ先に飛び出していったキャンディは無事だろうか。イナンナは帰ってくるだろうか。

 油断すると、余計な思考が頭を満たして、暗く重苦しいもので全身を侵されるような心地がした。それを振り払うためにも、休みたくはなかった。しかしここで誰かが倒れるわけにもいかない。特にエイファッドやギュンターのような、人々から頼られる立場の人物が、そう簡単に折れるわけにはいかなかった。

 恋人の笑顔がちらついて離れない。エイファッドはひどい胸騒ぎを感じていた。落ちつかない。妙な動悸がする。

 どうん、と地面が脈動した。

 大地がひび割れて引き裂かれ、建物が大きく揺さぶられる。聖ナータ教会のステンドグラスが砕け散る。空気が重くなり、吸っても肺に届かない。身体から急速に力が抜けてゆき、動けなくなる。焚かれていた炎が一瞬で消え、水が蒸発して嵩を減らす。

 異変はすぐに収まり、空気が喉をとおって、エイファッドをむせさせた。咳きこみながらも深呼吸し、意識と姿勢を整える。

「ギュンターさん、今のは……?」

 見やるが、ギュンターもまた衝撃から立ち直るのに懸命で、会話をする余裕はなさそうだった。エイファッドは先に子どもたちの様子を確かめた。異変があったというのに、赤子の泣きわめく声さえ聞こえない。

 子どもたちは皆、まるで先ほどの衝撃にあてられたかのように、ぐたりと力を失っていた。ひどい熱病にうかされたときのような苦しげなうめき声だけが、聞こえる。エイファッドは血の気が引くのを感じた。もしまた先ほどの衝撃がくれば、身体の弱い子どもや病人、年寄りたちは死んでしまう。

 自分にできることをしなければ。エイファッドが治癒の呪文を唱えようとしたとき、また不穏なざわめきが胸を覆った。エイファッドは呪文を変えた。地面に手を当て、祈る。アンジェの祖神アジュリアスに、始まりの乙女ナータに、ホートルノックの守護魔たちに。ただ今はここを守ってくれ、子どもたちを、ホートルノックで生きる者たちを死なせないでくれ、と。

 同じ詠唱がひとつ、ふたつ、とエイファッドの声に重なった。街に住まうアンジェやエルフたち、魔法に秀でた者たちの、声。

 衝撃が走る。街の壊れる音が、周囲を覆う。呪文に守られ、聖ナータ教会は微動だにしない。ただ、扉や窓の外に見える景色は、見慣れたものではなくなっていた。道は大きく引き裂かれ、いくつかの古い建物が崩れて瓦礫と化した。人々の生活があった場所とは、とても思えないありさまだった。

 急いでくれ、エイファッドは願う。皆が戻ってくるまで、きっとホートルノックの人々は守り抜く。小さなイナンナや、愛しい恋人の帰ってくる場所を、自分たちが守らねば。しかし、そう何度もは持ちこたえられないだろう。諦めさせないでくれ。もはや誰に祈っているのか、自分でもわからなくなっていた。


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