閃光と疾風
ミランとヒイラギの言い争う声、いつもならば耳を疑うようなそれが、今はその場所への道案内となる。狭い一本道をひた走る。声が、この道の先だと伝えてくる。まだイナンナは無事だ、と。
開けた場所が見えた。同時に、イナンナの無防備な首筋へ刃を向け、覚悟を決めたように目を見開いた、ヒイラギの横顔が見えた。
守護魔から力を借りるための呪文を、低い声で唱える。手のうちに稲妻が走る。相手はイナンナのすぐ後ろにいる。イナンナに当たるか、一瞬の迷い。それはすぐ消える。このままではイナンナが殺される。ヒイラギの肩に力が入る。
させない。呪文を唱え終わると同時に、手の中のものを放つ。
雷鳴がとどろいた。
弾かれたヒイラギが壁に叩きつけられる。キャンディはそれを見て、してやったり、と笑顔を浮かべた。
「イナンナ、もう怖くないよー、キャンディだよ!」
言いながら、広間に飛び込む。直後、うわわわ、と悲鳴を上げた。見たことのない巨体が、イナンナのそばにいる。すぐに納得した。これがサロの魔に違いない。
ミランが舌打ちする。
「馬鹿な、サロの遺跡では魔法が使えないはず……」
「あれ、そうなの?」
キャンディは小首を傾げる。光の守護魔は確かに、キャンディの呪文に応え、雷を貸し与えてくれた。サロの魔を見上げる。それは今、イナンナをじっと見下ろしている。イナンナはキャンディが現れたことに、驚き呆けていた。その肩に、人間の女性が手を置いている。彼女がイナンナに囁くと、イナンナは慌てたようにサロの魔を見上げ、目を合わせて、ほ、と安堵の息を吐いた。キャンディは顔をしかめた。考えるのは苦手だ。今のイナンナの状況を理解することは、自分にはとうてい無理だ。ならば、へたにイナンナをどうこうするよりも、イナンナをどうこうしようとする連中を相手取ったほうが確実だ。魔法を使える使えないも、よくわからない。使えるものは使えるのだ。
カイトとジャスミンとモスは、すぐに追いついてくる。それまでイナンナを守るのが自分の役割だ。キャンディは誰よりも速く空を駆ける。だからこそ、それができるのだ。ふふん、と自慢げな笑みがこぼれた。
激しくせき込みながら、ヒイラギが立ち上がる。キャンディを睨み、明らかな殺意を向けてくる。
「屋内戦闘ではこちらが圧倒的に有利だ。やる気か、アンジェ?」
「やる気もなにも、やるっきゃないでしょー」
キャンディは答えて、新たな呪文を紡ぐ。風が舞い、彼女の翼を支えた。狭い屋内でも、これで自由に飛びまわることができる。また別の呪文をすばやく唱えはじめたとき、ヒイラギがこちらへ突進してきた。彼の短刀が喉もとへ迫る。刹那、風の刃が短刀を弾き飛ばす。ヒイラギは身をよじって風をかわし、キャンディを蹴りとばす。キャンディは思わず声を上げてのけぞる。が、翼を広げて姿勢を支え、そのまま飛んだ。広間の天井すれすれをこするようにしながら、また別の呪文を唱える。ヒイラギがこちらへ何かを投げてきた。急降下してそれをかわすも、呪文が途切れる。
「うー、やりづらいなぁ!」
新たに呪文を紡ぎなおす。ヒイラギの投げるものをかわしながら確実に言葉をつなげ、魔法を発動させる。風がヒイラギの手足をとらえ、縛り上げた。彼が舌打ちし、風をほどこうと力を込める。
「まだまだいくよ!」
キャンディはさらに呪文を重ねた。ヒイラギの頭上から風のかたまりを落とし、動きを鈍らせる。
「ぐっ……この、女!」
悪態をつきながらヒイラギが懐を探り、竹筒を取り出す。キャンディの頭に警鐘が響いた。あれを使わせてはいけない。芸事に秀でるアンジェだからこそ、キャンディには数多の知識がある。シノビの暗器には、一撃必殺のものもあると聞く。彼の手にあるものがそれだとしたら。
「使わせないよ!」
今までにないくらい舌を回して、キャンディは呪文を唱えた。光の刃が飛び、竹筒を貫いた。ヒイラギは瞬時にそれを手放して、刃をかわした。竹筒に刺さった光はそのまま弾け、竹筒とその中身を粉々に砕いた。
キャンディの翼がよろけた。連続で魔法を使ったときの精神的な負荷は大きい。ひどい気だるさが全身を覆いつつあった。眠い、全てを諦めてしまいたい、心折れてもいい、なにもかも投げ捨てたい。そのような感情が胸にくすぶりはじめる。
それでも、まだ、手をゆるめるわけにはいかない。
「だめだよ、わたしが諦めたら、だめなんだよ」
誰よりもアンジェらしくいると決めたのだ。楽天的に、楽観的に、胸を希望で満たしていようと。
小さなイナンナを見下ろす。目が合った。イナンナの細い声が、聞こえた。
「キャンディ、おねがい、わたしを」
言わんとすることが、切なげに歪められた表情から、濡れた瞳から、伝わってきた。彼女は、覚悟を決めている。そうすれば全てが終わることを、理解している。
キャンディは、笑った。イナンナのその願いを打ち消すように笑った。自分にできる、いちばん明るい顔で。いつもよりはっきりとした、元気な声で。
「だいじょうぶだよ!」
足首に縄が絡みついた。あ、と思ったときには、強い力で引っ張られ、次の瞬間にはヒイラギが腹の上に立っていた。そのまま地面に叩き落とされる。翼の付け根を強く打ち、衝撃で肺から空気が吐き出される。うまく呼吸ができない。痛い。
「捉えたぞ」
ヒイラギの声が耳に届く。息を吸わなきゃ、と焦るほど思考が鈍っていく。
「この翼がなければ、もはや利はないな」
逃げなきゃ、その言葉だけが頭を回る。エイファッドの顔が浮かんだ。助けは呼べない。
ばぎり、という耳ざわりな音とともに、右翼に焼けつくような痛みが走った。悲鳴さえ、出なかった。もう一度、同じ音と痛みが、左翼に響いた。
「キャンディ!」
イナンナの甲高い悲鳴。それが届いてやっと、キャンディは自分の状況を理解した。翼が、折られた。いや、むしりとられた。翼の感覚は失われ、ただただ焼けつくように痛い。
イナンナが何度も名を呼んでくる。応えなければ、そう思うほど、意識が遠のく。イナンナ、怖くないよ、大丈夫だよ。言いたいことのひとつも、喉から出てこない。痛い。今、言葉を紡がないでどうするのだ。アンジェならば、彼女を安堵させるためのひとくさりくらい、即興で詠わなければ。痛い。想いばかりが膨らみ、身体は痛みに縛られて、動いてくれない。痛い。
視界が暗く染まり始める。ヒイラギが何か言ったが、それさえ理解できない。頭に衝撃。蹴飛ばされたらしい。はずみで、イナンナのほうへ目が向く。視線が、ぶつかる。瞬間、全身に氷の血が巡るような冷たさを感じた。
イナンナはただ、絶望に打ちのめされ、茫然としていた。その瞳から、光が消えていた。
取り返しのつかないことになる前に、大丈夫だと言わなければ。キャンディのその直感は、すぐに現実のものとなった。




