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魔の在る世界と戦う者たち  作者: 宮音 詩織
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魔導研究院

 ジャスミンはミランについて、魔導研究院の廊下を進んでいた。研究院には窓がほとんどないにも関わらず、不自然に明るかった。壁には、ジャスミンにはとても理解不能な言語や図形が描かれている。廊下に並ぶ燭台に掲げられているのは、ロウソクではなく光る宝石だ。これが、昼間のような妙な明るさを生みだしているのだ。敷かれたじゅうたんの刺繍もまた、よく見ればぼんやりと発光している。すれ違う人々の顔色はいかにも不健康そうなで、肌にははりもつやもない。外に出て運動をする、などという発想はないに違いない。だが、研究することを至上の喜びと感じているのか、目ばかりは前を向いている。

 いつ来ても辛気臭い場所、とジャスミンは心の中で毒づいた。

 ミランが伴っているのは、ジャスミンとヒイラギのみだった。あとの部下は、魔導研究院の方針によって、立ち入りを許可されなかった。ミランを案内しているのは若い女性の研究員だ。眉目秀麗なミランを前にして嬉しいのだろうが、その笑顔は、うら若い乙女にはあまり相応しいとは言えないものだった。相手を観察するような目。慣れない表情に引きつる、頬と唇。

「あの……こちらです」

 案内された扉には、豪奢な書体で、予言者の名が書かれている。ジャスミンは眉根を寄せ、目を細めた。ミランがその扉をノックする。

「メルクリア、約束通り、お迎えにあがりました」

「お入り」

 返ってきた声は、いかにも物憂げで厭世的な響きをもっていた。しかし、母、と称されているわりには、艶がある。ジャスミンは眉根に刻んだしわを深くした。

 ミランが扉を開ける。紫色の薄いカーテンが引かれている。それをくぐり、ミランは部屋に入った。ジャスミンがためらいを見せると、ヒイラギが後ろから迫ってきた。その気配に押され、ジャスミンもカーテンをくぐった。

 部屋には豪奢な調度品がところ狭しと置かれている。ソファに腰掛け、柔らかそうなクッションにもたれかかっているのは、人間だとすれば三十半ばを過ぎている頃と思われる女性だった。髪をまとめ、派手な化粧をほどこし、いかにも神秘的な予言者だと主張するかのような衣装をまとっている。

 ジャスミンは思わず息を止めた。全てを忘れたように、彼女に見入っていた。これが、研究対象として扱われている人間か。もしイナンナが自分たちのところへ来なければ、このように成長していたのだろうか。およそ幸福とは遠いところにいるようでいて、なぜか悠然としている。ジャスミンは困惑していた。

 ミランが進み出、うやうやしくお辞儀をした。

「やあメルクリア、ご機嫌麗しゅう」

「わらわは待ちくたびれたぞ」

 傲岸な物言いだが、ミランは愛想のよい笑顔でそれを受け止める。

「それは申し訳ないことをしました」

「して、出立はいつじゃ?」

「明朝、日の出と共に」

 ミランの返答に、彼女は、うむ、と尊大な様子で頷いた。

 ふとジャスミンが後ろを見ると、案内役の研究員が憎々しげにメルクリアを睨んでいるのが目に入った。ジャスミンは慌てて目を逸らした。が、明らかな疑問が、頭に浮かんでいた。貴重な「研究素材」であるはずのメルクリアを、心底から憎むような顔で見つめる研究員。その真意はわからない。ジャスミンは横目でヒイラギを盗み見た。が、ヒイラギはジャスミンの視線にすぐ気付き、侮蔑するかのような視線を投げ返してきた。ジャスミンは舌打ちをなんとか抑え込んで、視線を再びメルクリアに戻した。

 その場を辞してからも思案を続けるジャスミンに、ミランが気遣わしげな声をかけてくる。

「どうしたんだい、ジャスミン?」

「別に、なんでもないわ」

 応じるものの、つい上の空という雰囲気が出てしまう。ミランはジャスミンの手を取り、甘い声でささやきかけてきた。

「僕の目を見て。本当に、なんでもないの?」

 顔を覗き込むように、身を寄せて近づいてくる。心配そうにひそめられた眉さえ整っており、彼の顔立ちをより引き立たせている。ジャスミンは顔が熱くなるのを感じながらも、その手を乱暴に引き離した。

「やめて、来ないで!」

 モンスターに相対したかのように身構え、弾けるように後ずさる。胸を押さえ、呼吸を落ち着かせようとする。

「あんたにはわからないわ!」

 ミランの態度への困惑と、それが表面だけの態度だと解りきっている切なさと、このような形でしか女として扱われない自分への憐憫と、カイトへの後ろめたさと、様々な感情が混ざりあう。ジャスミンは心の中で、イナンナ、と少女の名を叫んだ。守りたい。こんな連中には、二度と渡さない。膨らむのは、彼女への慈愛だ。それが今はジャスミンの心を保っていた。ミランは目を細め、ジャスミンに手を差し伸べた。

「ああジャスミン、君は今、きっとイナンナのことを想っているね?」

 とたん、ジャスミンの表情は凍りついた。ミランは首をゆるゆると横に振った。

「僕が彼女のことを知らないとでも? 残念ながら、誤魔化すことはできないよ、ジャスミン」

 ジャスミンは胸が締め付けられるような苦しさを感じつつ、ミランを見つめた。

「知っているのと、理解できるのとは違うわ。あなたにはきっと、永遠に理解できない」

 ヒイラギが苛立ったような顔でジャスミンを睨む。が、彼女はそちらには一瞥もくれない。ミランは困ったような微笑みを浮かべた。

「きっと、君は今、疲れてとても感情的になっている。休もう。君のために、宿を手配してある。もちろん僕とは別の宿だ」

 ジャスミンは何か言おうと息を吸い込んだ。が、それは言葉にならず、胸に留まった。

「……そうね」

 弱々しく、彼女は吐き出した。ミランの掌でいいように踊らされているような気分になるが、抗って無駄に消耗したくはなかった。


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