第六十九話 帝国は魔石の輸出を禁止した
魔石禁輸の知らせが届いた夜、王都の倉庫には四十日分、地方工房には二週間分しか残っていなかった。
地方代表が机を叩く。
「王都の患者だけ救うつもりか」
ゴルバは研究用の魔石を差し出したが、それをすべて配れば再生実験は止まる。
レイヴンは決定を一人で抱えず、患者数、輸送日数、代替治療の有無を一枚の表に並べ、地方代表にも確認を求めた。
最後の一箱を巡り、地方の病院から緊急連絡が来た。
今夜の手術には間に合うが、研究を止めれば来月の供給が危うい。
レイヴンは箱を病院へ送ると決め、研究班に期限の延期を自ら告げた。
「未来の患者を諦めたわけじゃない。今日の患者を見捨てないため、明日までに別の道を見つける」
ゴルバは古い制御装置を持ち出した。
捨てたはずの魔石の内部に、まだ使える回路が残っているかもしれなかった。
工場が止まった朝、作業員たちは門の前に集まった。
レイヴンは全員に事情を説明し、訓練と保守作業を割り振った。
先行きは保証できない。
それでも、説明もなく仕事を奪うことだけはしなかった。
帝国の使節は再び書簡を送ってきた。
独占契約を結べば輸出を再開するという。
マリシアは怒りに震えた。
「患者を人質にしている」
レイヴンは手紙を引き出しへしまった。
「答えは変わりません。ただ、断るだけで終わらせない」
遠隔地の診療所では、マリシアの指示で重症者の薬を確保した。
軽症者には別の治療と経過観察を組み合わせる。
誰もが不安だったが、配分基準を公開すると、少なくとも不公平への疑念は減った。
ゴルバが持ち込んだのは、最初の廃屋で使っていた小さな魔力制御装置だった。
古い結晶は何度も使われ、透明だった表面が曇っている。
「これ、捨てずに置いてあったんだ」
レイヴンは万象解析で内部を調べた。
魔力を失ったと思われた結晶の奥に、まだ整った回路が残っていた。
魔石再生の試作器から焦げた匂いが立った。
ゴルバはすぐに遮断弁を閉じ、失敗の原因を調べた。
焦るほど事故が起きる。
彼は若い職人に、装置を止める判断も技術だと教えた。
「空になったわけじゃない。流れが詰まっている」
レイヴンは小さな針で結晶の一部を刺激した。
弱い光が戻る。
しかしすぐ消えた。
再生の可能性は見えたが、実用化には程遠い。
ゴルバは試験装置の図面を書き直した。
エルナは別の道を探した。
薬草の栽培に使う低濃度の魔力水を集め、触媒の回収率を上げる。
大量の魔石を使う工程を減らせれば、残る在庫を長く持たせられる。
農園の作業員も、原料の無駄を減らすため選別方法を見直した。
それでも工房の一つは停止した。
工場長は作業員を集め、解雇せずに設備保守と訓練へ配置転換すると説明した。
給料を守るための資金は厳しい。
レイヴンは自分の研究費から一部を回したが、長くは続かないと分かっていた。
エルナは農園の収穫量を増やす代わりに、抽出工程の無駄を減らす試験を始めた。
根を細かく砕きすぎると必要な成分まで壊れる。
温度を下げ、時間を延ばすと回収率が上がった。
小さな改善の積み重ねが、限られた魔石を長持ちさせた。
魔石の不足を知った住民の中には、薬を買いだめしようとする者もいた。
リーナは診療所の前で、備蓄と配分の見通しを説明した。
安心させるために嘘はつかない。
必要以上に買えば、今まさに治療が必要な人の分が減ると伝えた。
ゴルバは試作に失敗するたび、壊れた結晶を箱へ入れた。
箱がいっぱいになっても、捨てなかった。
どの条件でひびが入ったかを書き添え、次の実験に使う。
失敗は隠すものではなく、次の成功を支える材料だった。
工房の門には生産再開を待つ患者の家族からの手紙が届いていた。
責める言葉も、励ます言葉もあった。
レイヴンはどちらも読んだ。
誰かの切実な一日が、この工房の一日にかかっている。
その重さを忘れないためだった。
倉庫の奥では、残り少ない魔石を一つずつ検査していた。
傷のあるものを無理に使えば事故になる。
ゴルバは焦る作業員に、順番を守れと言った。
国境の小さな病院から、患者を受け入れてほしいという連絡が来た。
輸送には時間がかかる。
マリシアは現地の医師と通信し、今ある薬でできる処置と、搬送すべき患者を整理した。
レイヴンは薬を送る経路を二つ確保し、片方が止まっても届くようにした。
工房の職人は荷車の車軸を点検し、農園の者は夜食を包んだ。
危機の最中、特別な力を持たない人々ができる仕事を積み重ねていた。
レイヴンは出発する荷車を見送り、研究室へ戻った。
次に送り出す荷車には、もっと多くの薬を載せたい。
そのために魔石の再生を成功させる必要があった。
夜勤の作業員は、再生装置の試験結果を交代の者へ引き継いだ。
失敗した理由が分からないときは、分からないと書く。
ゴルバはそれを徹底した。
焦りの中で曖昧な記録を残せば、次の担当者が同じ失敗を繰り返す。
小さな正確さが工房を守っていた。
地方工房へ向かう荷車の車輪が峠で壊れた。
配分表では間に合うはずの薬が、現実には届かない。
倉庫番の若者が近くの村から替えの車輪を借り、荷を二台に分けて運んだ。
王都に戻った彼は、輸送にかかった実際の時間を表の余白に書き込んだ。
レイヴンはその数字を消さず、次の配分会議で最初に読み上げた。
研究室ではゴルバが再生装置の試験を始めていたが、まだ成功を宣言できる段階ではなかった。
今夜の配送を支えたのは発明ではなく、現場の工夫だった。
夜明け前、研究室の灯りを見たレイヴンは扉を開けた。
ゴルバは眠っておらず、使い終わった結晶を並べていた。
レイヴンは作業を止めようとしたが、ゴルバは首を振る。
「実験はしない。ただ、どれがまだ使えるか見ている」
二人は結晶を手に取り、ひびのあるものを除外した。
数は少ない。
それでも、安全な試験に使える候補は残った。
研究を延期するという決断は、研究を捨てることではない。
患者に薬を届けながら、次の道を探すための時間を作ることだった。
峠の村からは、薬が無事届いたという知らせが来た。
届けた若者の名前は報告書の小さな欄に書かれているだけだったが、レイヴンはそこに線を引いた。
次の会議では、輸送係にも発言してもらうつもりだった。
荷車が出発すると、ゴルバは空になった研究台を見つめた。
延期した実験には、長い時間をかけて集めた材料もあった。
レイヴンは謝ろうとしたが、ゴルバが先に言った。
「悔しいのは同じだ。だから次は、どの病院もこんな選択をしなくて済む装置を作る」
二人は古い回路の図面を広げた。




