第六十七話 世界の王族が工房に集まった
王都郊外の工房に、各国の旗が並んだ。
馬車から降りてきたのは王族、使節、財務官、医師団長。
レイヴンは正装を勧められたが、いつもの作業着の上に清潔な上着を羽織るだけにした。
「今日見せるのは私の服じゃなく、工房の中身です」
各国の代表は、自国への優先配分を主張した。
レイヴンは国旗を伏せ、重症者数と輸送日数だけを記した地図を広げた。
沈黙のあと、小国の医師が最初に同意した。
小国の財務官は、輸送費の負担を求められて顔を伏せた。
「払えば学校を閉じることになります」
大国の使節は反発したが、リーナは患者の搬送距離と財政規模を分けて考える案を示した。
誰かの善意だけに頼る協定では、最初の危機で壊れてしまう。
北方王の使節が会議後に残り、
「輸送路に金を出しても、我が国の患者が後回しなら国民に説明できない」
と告げた。
レイヴンは反論の代わりに、北方の病院が提出した患者数を広げた。
そこには南方から逃れた難民も含まれていた。
「あなたの国はもう、国境の外の命を救っています」
使節は表を持ち帰り、優先権ではなく輸送費の公開を求める修正案を翌朝提出した。
世界の王族が集まった会議で、北方の王は製法の優先提供を求めた。
「資金の半分は我が国が出した」
南方の女王は立ち上がった。
「ならば貧しい国の患者は後回しですか」
会場が二つに割れる。
レイヴンは新しい条約を押しつけず、各国に一つずつ問いかけた。
「あなたの国で、薬を最も必要とする人は誰ですか」
答えは戦場の兵士、出産する母親、疫病の子供とばらばらだった。
そこで医師たちが重症度を共通基準にした配分案を提示した。
資金提供国には製造設備の共同監査権を与え、薬の優先権は与えない。
北方王は不満を残したが、最後に署名した。
「我が国の兵士にも、同じ基準を適用するなら」
見学は薬草の洗浄場から始まった。
高貴な客人たちは、土のついた根を一つずつ選別する作業員に驚いた。
次に検査室へ案内されると、出荷前に不合格品を廃棄する光景を見て、ある王子が顔をしかめた。
「それも売れば利益になるだろう」
ゴルバは答えた。
「売っていい薬なら、最初から捨てません」
小国の使節は、技術者を派遣する余裕がないと訴えた。
レイヴンは共同研修所の設置を提案し、旅費の一部を基金で負担すると約束した。
協定を平等に見せるだけでは足りない。
参加できる条件まで整える必要がある。
会議では、各国が製法の優先供与を求めた。
豊かな国は資金を、軍事大国は護衛を、貧しい国は将来の収穫を約束した。
レイヴンはすべてを聞き終えてから、白紙の協定書を配った。
そこには独占権の欄がなかった。
王族たちが最も長く足を止めたのは、金色の薬瓶ではなく不合格品の棚だった。
マリシアは検査に落ちた理由を説明し、患者へ渡さない決定を誰でも確認できるようにしていると話した。
協定の条件は三つ。
品質基準を守ること。
必要な患者への公平な供給を妨げないこと。
技術者を育成し、一定範囲で知識を共有すること。
費用の分担や緊急備蓄の量は、国の規模に応じて調整する。
イザベル女王はレイヴンに小声で言った。
「帝国は簡単には引き下がらない」
レイヴンも分かっていた。
それでも、最初から恐れて約束を曲げれば、協定はただの飾りになる。
「製法を渡してしまえば、あなたの利益は減るのでは?」
北方の公爵が尋ねた。
レイヴンは窓の外の農園を指した。
「利益が必要なのは事実です。働く人に給料を払うために。でも、私の工房だけが儲かる世界を作るために、薬を開発したわけではありません」
イザベル女王が最初に賛同した。
王女エレオノーラも王国代表として署名の準備を進める。
一方、帝国の使節は協定書を閉じた。
「我が皇帝は、他国と同じ条件で扱われることを望まれない」
その声には、工房の誰にも聞き逃せない冷たさがあった。
夕食会の席で、リーナは各国の医師たちと患者搬送の問題を話し合った。
言葉も習慣も違うが、熱を測る手つきや、子供を安心させる声には共通するものがある。
レイヴンはその輪を見て、協定が紙の上だけの約束ではないと感じた。
見学の最後、王族たちは工房の食堂へ案内された。
職人と研究者が同じ卓で食事をしている。
高価な薬を作る場所にしては質素な献立だった。
レイヴンは笑って言った。
「ここでは、誰が偉いかより、次の交代で誰が働くかの方が大事なんです」
南部の小国の代表は、薬草の栽培技術だけでも学べないかと尋ねた。
レイヴンはエルナを紹介し、気候に合う作物の研究から始めようと答えた。
エリクサーの工場が建つまでにも、畑を整える仕事はできる。
会議が長引くと、リーナは休憩を提案した。
立場の違う者同士が疲れ切ったまま話せば、些細な言葉が争いになる。
温かい茶が配られると、さっきまで険しかった使節たちの表情が少し和らいだ。
使節たちが帰ったあと、工房にはいつもの機械音が戻った。
レイヴンは静かな検査室で協定書の控えを見直した。
どんなに立派な署名が並んでも、明日患者に薬が届かなければ意味がない。
彼は次の輸送予定を確かめた。
レイヴンは遠方の使節に、工房で働く人の名前も覚えて帰ってほしいと頼んだ。
薬を作るのは一人の天才ではなく、何百人もの手だった。
午後の質疑で、一人の王族が尋ねた。
『もし我が国で疫病が起き、他国でも同時に患者が増えたら、誰を優先する』
会場が静まり返った。
レイヴンは答えを急がず、マリシアに発言を求めた。
彼女は重症度、治療の緊急性、代替手段の有無を基準にすると説明した。
国の強さや寄付金の多さでは決めない。
賛成しない代表もいた。
それでも基準を紙に残し、異議を申し立てる手続きを設けることで合意が進んだ。
会議の終わり、若い使節がレイヴンに言った。
『難しい約束ですね』
『だから、みんなで守るんです』
小国の代表は帰り際、工房の壁に掲げられた言葉を読んだ。
『金がなくても、まず相談してください』
レイヴンが最初の薬屋で使った言葉だった。
代表は紙に写し取り、自国の診療所にも掲げたいと申し出た。
レイヴンは喜んで頷いた。
北方の王は会議後、レイヴンを廊下へ呼び止めた。
「我が国の金がなければ炉は建たなかった」
レイヴンは礼を述べたうえで答えた。
「だから設備の帳簿は公開します。しかし患者の順番は買えません」
王は怒って立ち去りかけたが、同行の医師が止めた。
「陛下、我が国にも貧しい村があります。優先権を買っても、その村まで薬が届くとは限りません」
翌朝、北方は資金の使途を監査する共同委員会に参加した。
南方も配分結果の公表を求めた。
合意文書には、資金額ではなく重症度と搬送可能性で判断すること、異議申立てを認めることが書かれた。
華やかな署名式の裏で、医師たちはようやく患者の名前を並べ始めた。
夜、マリシアは公平な供給の記録を読み返した。
うまくいったことだけでなく、失敗と迷いも残されている。
明日の誰かが同じ危険を避けられるようにするためだ。
彼女は最後の一行を書き終え、机の灯を消した。
その後、レイヴンは国際会議へ戻り、公平な供給について担当者から直接話を聞いた。
書面では見落とす小さな困りごとがあった。
彼は急いで結論を出さず、明日までに試せる方法を一緒に考えた。
大きな計画ほど、現場の声を置き去りにしてはならない。
北方王の側近が
「出資国の兵を優先しろ」
と耳打ちすると、王は黙った。
会議の最後、医師が重症度の判定表を机へ置いた。
「王子でも農夫でも、同じ症状なら同じ順番です」
王は自国の負傷兵の名簿を差し出した。
「まず我が国から、この基準に従おう」
小国の使節は不安を抱えていた。
リーナは一人ずつ話を聞き、何を約束できて何を約束できないかをはっきり伝えた。
安心させるための嘘は、いつか信頼を壊す。
だから彼女は、分かっていることを丁寧に説明し、次に知らせる時刻を決めた。
会議場の隅で、小国の医師が配分表を握りしめていた。
港まで薬を運ぶ船賃が払えなければ、公平な配分も紙の上だけで終わる。
レイヴンはその場で輸送費の共同基金を提案したが、北方の財務官は
「これ以上の負担は議会が許さない」
と首を振った。
そこで各国が持つ空き船倉を申告し、資金ではなく輸送能力を分担する案が生まれた。
条約は署名で完成するのではない。
薬が患者の手に届いて初めて意味を持つ。
会議の休憩中、南方の女王は自国の難民名簿を机に置いた。
北方の王が差し出したのは建設費の証書だった。
どちらも本物の切実さだった。
レイヴンは優先権を売る代わりに、重症度、輸送可能日数、現地での保管能力を公開基準にした配分表を示した。
「金を出した国の民も、出せない国の民も、同じ熱で苦しみます」
北方の王はしばらく黙り、やがて証書を引き寄せた。
「ならば金は優先券でなく、輸送路に使おう」
翌朝、帝国の使節は他国より先に帰った。
置いていった封書には、皇帝からの個別交渉の申し入れがあった。
レイヴンは封を切り、書かれた金額を見て目を細めた。
金貨百万枚。
条件は、世界への供給を止めることだった。




