第六十四話 世界最大の薬草農園を建設せよ
第二世代エリクサーの治療実績が増えるにつれ、エルナの顔は険しくなった。
白花の触媒は一回の抽出でごく少量しか取れない。
鉱山の斜面に生える株を全部採っても、数百人分に届くかどうかだった。
「これ以上、野生の株を抜けば来年の種がなくなる」
農園拡大の測量で、エルナは予定地の墓標を見つけた。
村の代表は移転を拒んだ。
彼女は計画を描き直し、収穫量の見積もりが下がる理由を出資者に自分で説明した。
農園の候補地には、小さな墓地があった。
移転すれば最短で工事ができる。
エルナは地図の線を消した。
「ここに眠る人にも、土地を守る家族がいる」
予定は延びたが、農民たちは新しい区画の土を自ら調べ始めた。
レイヴンは採取の中止を決めた。
救うために薬草を絶滅させれば、翌年の患者を見捨てることになる。
エルナは白花の生育地を調べ、冷たい風、石灰質の土、昼夜の温度差が必要だと突き止めた。
「同じ環境を作れれば、育てられる」
農民代表は契約書の細かな文字を指した。
「不作なら給料は出ないのか」
エルナは首を振った。
天候で収穫が減っても、働いた分の賃金は支払う。
種子の保管と土壌の管理を担う人にも報酬を出す。
農園が続くには、働く家族が暮らせなければならない。
女王イザベルは国境沿いの荒れ地を試験農園として提供した。
各国から集まった農民は、最初は疑いの目を向けた。
食べられない花を育ててどうする。
失敗したら家族はどうなる。
エルナは作業前の集会で、賃金の保証と食糧作物の畑を残す計画を説明した。
灌漑の水を引くと下流の村が困る。
ゴルバは分水路を設計し、村の代表と取水量を決めた。
レイヴンは魔力で水を増やせないかと尋ねられたが、無から水を作ることはできないと説明した。
便利な術があるからこそ、限界を偽らない。
最初の畑は失敗した。
雨のあと根が腐り、半分の苗が枯れた。
エルナは土を握りしめて座り込んだ。
レイヴンは枯れた株を解析し、根の周囲に水が滞留していると気づく。
ゴルバが排水溝を掘る道具を改良し、農民たちは畝を高くした。
大農園の予定地を見たエルナは、最初に麦の穂を一本摘んだ。
「この土地まで薬草に変えたら、来年の食卓はどうなるの」
工場の責任者は生産目標を示し、
「患者が待っている」
と反論した。
村長は畑の真ん中に立ち、
「子供たちも待っている」
と返した。
レイヴンは二つの正しさの間で、すぐに決断できなかった。
初収穫の日、農民たちは白花を刈る手を止め、エルナの指示を待った。
種を取る株と触媒に使う株を分ける。
目先の収量を増やせば来年が消える。
その判断が、農園をただの採取場から産業へ変えた。
二度目の苗は根づいた。
農園の片隅で、幼い子供が白い花を見つけて歓声を上げた。
エルナはその子に、花を摘まずに見守ってほしいと頼んだ。
「この花はね、遠くの誰かの明日になるんだよ」
国境の農園に集まった家族の前で、エルナは栽培計画を読み上げた。
すると若い母親が立ち上がった。
「白花の値段が高いのは分かります。でも、ここを全部花畑にしたら子供の食べる豆はどこで作るの?」
出資した商人は収益の低下を理由に反対した。
レイヴンが答える前に、エルナが地図を半分に折った。
「薬草は半分。残りは食糧作物と種の畑にします」
商人が席を立つ。
資金が減れば計画は遅れる。
それでも彼女は撤回しなかった。
翌朝、農民たちが自分の鍬を持って集まった。
「畑を奪わないなら、俺たちが水路を掘る」
金では買えなかった協力が、工事を動かした。
さらにレイヴンは薬草の栽培を一つの国に集中させない方針を示した。
北部の冷涼地では白花、南部の温暖地では基礎薬草、乾燥地では触媒の補助原料。
気候に合わせた分業なら、どこかで不作が起きても供給が止まらない。
農園の拡張に伴い、灌漑と堆肥の管理、種子の保存、土壌の休養期間を定めた。
食糧畑を奪わないよう農地利用も監査する。
レイヴンは医療を支える農業が、農民自身の生活を壊してはならないと考えていた。
農園の片隅には食糧用の畑も残された。
エルナは薬草が高値で売れるからといって、村の食卓から麦を消してはならないと考えた。
子供たちが畑の間を走り、昼には炊きたての麦粥の匂いが広がる。
その光景が続くことも、農園の成功だった。
「薬草を増やせば薬が届く。でも麦を減らせば患者になる前に飢える」
エルナは出資者の前でそう告げた。
出資者は利益の半減を理由に資金を引き揚げると言った。
レイヴンは黙っていた。
彼が答えれば、エルナの決断を奪う。
エルナは栽培地の半分を食糧作物に残し、収穫後に薬草と豆を交替させる図面を示した。
「遅くなっても、毎年作り続けられる農園にする」
翌朝、農民たちは賃金の前払いを断り、自分たちで水路を掘り始めた。
エルナは彼らを無償で働かせず、共同組合を作って収益を分配する契約に変えた。
白花の種子は小さく、風に飛ばされやすかった。
農民たちは布の袋を工夫し、収穫後に乾燥させる棚を作った。
エルナは研究室では思いつかなかった知恵に何度も驚いた。
技術は一人の頭の中で完成するものではなかった。
レイヴンは農園の井戸を調べ、地下水を過剰に汲み上げないよう水位の記録を始めた。
薬を作るために村の飲み水を奪えば、別の病を生む。
彼は生産目標の横に、水と土の状態を記す欄を加えた。
夕暮れ、畑の向こうで収穫を終えた農民が手を振った。
エルナは泥だらけの靴を見下ろし、研究室にいたころよりも疲れていると笑った。
けれど、その疲れは嫌いではなかった。
明日の苗の世話を考えながら、彼女は小屋へ戻った。
農民の一人は、収穫した白花の束を大切そうに抱えた。
去年は仕事を探して村を出るつもりだったという。
今年は家族と同じ畑で働いている。
農園の拡大を巡り、隣村との話し合いは難航した。
新しい水路ができれば自分たちの畑が乾くのではないかという不安があった。
エルナは農園の図面を広げ、取水量の上限と水位を毎週公表する約束をした。
さらに隣村の農民も管理委員会へ参加してもらうことにした。
村長はしばらく黙っていたが、『それなら、俺たちも見張れる』と頷いた。
農園の成功は収穫量だけでは測れない。
周囲の村が安心して暮らせることも条件だった。
翌朝、隣村から数人の農民が来て、畝の作り方を教えてくれた。
エルナは土の上で頭を下げた。
白花の畑には、風を防ぐための低い石垣が築かれた。
石を運んだのは、冬に仕事を失っていた村の若者たちだ。
完成した石垣の陰で苗が揺れるのを見て、一人が言った。
『来年もここで働けるかな』
エルナは収穫の予定表を見せ、来年の仕事も一緒に考えようと答えた。
三か月後、薬草の試験区画で根腐れが減り、隣の麦畑では例年どおり穂が揺れた。
村長はレイヴンに小さなパンを渡した。
「これがなければ、薬を飲む体も残らん」
レイヴンはそのパンを半分に割ってリーナへ渡した。
工場の数字には載らない収穫だった。
夜、マリシアは種子の保管の記録を読み返した。
うまくいったことだけでなく、失敗と迷いも残されている。
明日の誰かが同じ危険を避けられるようにするためだ。
彼女は最後の一行を書き終え、机の灯を消した。
その後、レイヴンは薬草農園へ戻り、種子の保管について担当者から直接話を聞いた。
書面では見落とす小さな困りごとがあった。
彼は急いで結論を出さず、明日までに試せる方法を一緒に考えた。
大きな計画ほど、現場の声を置き去りにしてはならない。
農民代表は試験農園の小さな白花を見て眉をひそめた。
「これを全部採れば、来年はどうなる」
エルナは採取区と種子保存区を色分けした地図を見せた。
「収穫しない畑にも賃金を払う」
レイヴンは予算表の一行を指さした。
「薬を待つ人のために、次の年の花を残します」
苗を育てる農民は不安を抱えていた。
リーナは一人ずつ話を聞き、何を約束できて何を約束できないかをはっきり伝えた。
安心させるための嘘は、いつか信頼を壊す。
だから彼女は、分かっていることを丁寧に説明し、次に知らせる時刻を決めた。
数か月後、荒れ地の向こうまで緑の列が続いた。
エルナは収穫量の予測を示し、初めて笑った。
「これなら来年は、今年の十倍の触媒を作れる」
レイヴンは畑の端で働く人々を見た。
黄金色の薬瓶の始まりは、誰かが土に触れるその手なのだ。
新しい農園の説明会で、エルナは予想外の数字を突きつけられた。
薬草の作付けを増やせば、村の冬麦が三割減る。
村長は契約金を喜んだが、パン屋の女性は立ち上がった。
「金貨を食べて冬を越せますか」
会場が静まり返った。
レイヴンは白花の苗を一つ持ち上げた。
「これを守りたい。でも、畑を失う人に犠牲を押しつけるなら、救う薬とは呼べない」
エルナは山腹の石灰地で段階栽培する案を出した。
食糧畑は維持し、薬草の試験区を別に設ける。
収量が確かめられるまでは拡張しない。
村長は契約書の最後に、自分の手で一行を書き加えた。
『凶作の年は食糧を優先する』
翌春、白花が咲いた畑の下では、麦の穂も風に揺れていた。
薬の成功を祝う席に、パン屋の女性が焼きたてのパンを持ってきた。
エルナはその一切れを、どの研究成果より大切そうに受け取った。




