第五十四話 王国宰相は俺を反逆者に仕立てた
審問前夜、王女のもとへ若い書記官が駆け込んだ。
宰相の封蝋が押された命令書を運んだ本人だという。
「私が偽物を届けました。断れば妹の勤める病院を閉じると言われたんです」
王女は逮捕を命じかけた近衛隊長を制した。
「証言するかは本人に選ばせます。まず妹さんを保護して」
その代わり書記官には、原本を渡した時刻と受領者を自分の筆で書き残すよう頼んだ。
翌朝、公開審問の席に宰相が現れた。
「伝票の数字など書き損じだ」
レイヴンは反論を急がず、出荷控え、運送人の受領印、宮廷の印章貸出簿を順に示した。
三つの記録に同じ一時間の空白があった。
書記官が震える声で、その時間に命令書を差し替えたと証言する。
王女は証人保護と工房の暫定操業を同時に命じるよう求めた。
「犯人を裁く間に患者を死なせれば、私たちも命令書だけを見ていることになります」
昼前、王国兵が工房を取り囲んだ。
作業員たちは瓶を抱えて立ち尽くす。
隊長は逮捕命令を読み上げた。
レイヴンは一歩前へ出て、まず薬の出荷を止めないでほしいと頼んだ。
患者の命は裁判の結果を待てない。
工房の食堂では昼食が手つかずのまま冷えていた。
誰かが
「逃げた方がいい」
と呟いたが、レイヴンは作業員に帰宅を許可し、残る者だけで設備を安全に維持すると告げた。
ゴルバは機械を止めるか尋ねた。
レイヴンは安全な範囲で生産を続け、作業員の避難経路を確保するよう指示した。
反抗して戦えば、宰相の望む反逆の証拠を与える。
彼は武器を持たず、命令書の正式な確認を求めた。
ヴァルディスは王宮で、騒ぎを起こせば民衆も工房を恐れると考えていた。
薬が止まれば、神殿の治癒事業に再び客が戻る。
しかし彼の計算には、工房で働く人々が単なる雇われ職人ではないことが抜けていた。
王都病院の医師が駆けつけ、今日の薬が届かなければ手術後の患者が危険だと訴えた。
兵士たちは互いに顔を見合わせる。
隊長は命令書を握り直した。
文字の上では簡単な逮捕が、目の前では多くの人の命に繋がっていた。
リーナは患者の配送先を読み上げ、兵士に確認してもらった。
そこには兵士たちの家族が通う診療所もあった。
彼女は脅さなかった。
ただ、今日必要な薬の行き先を見せただけだった。
逮捕状を持った兵の前で、レイヴンは研究資料を燃やさなかった。
代わりに封印した箱を二つ用意する。
一つは王国の監査官へ、もう一つは中立の医療協定事務局へ。
誰が何を持ち出したか、立会人の名前も記した。
反逆者という言葉だけで事実が消えないようにするためだった。
王宮の書記官は、逮捕命令の写しに記された日付を見て首を傾げた。
その日は国王が王女と共に療養地を訪れており、王印を使う公式決裁が行われていなかった。
兵士の副官が研究資料を押収しようとした。
レイヴンは製造秘密を守るため、独立した立会人のもとで封印するよう求めた。
偽造を暴くまでは、資料が消されることこそ危険だった。
兵の隊長が差し出した逮捕状には、宰相府の発行時刻が記されていた。
だが、その時刻には告発の根拠となる荷車はまだ国境の検問を通っていない。
エレオノーラは検問記録と時刻印を並べた。
「証拠を確認する前に逮捕を決めたのですか」
隊長は答えられない。
レイヴンは作業員の前へ出た。
「私を連れていくなら、薬の出荷だけは止めないでください」
隊長は剣の柄から手を離し、命令の再確認を求めた。
エレオノーラから密使が到着し、国王は逮捕命令を出していないと伝えた。
だが正式な取り消しには時間が必要だった。
レイヴンは深く息をついた。
あと少し、誰も傷つけずに持ちこたえなければならない。
夕暮れ、隊長は強制執行を迫られた。
工房の門前で剣が抜かれ、作業員の間に緊張が走った。
レイヴンは手を広げた。
「私は逃げません。だから、ここで働く人に剣を向けないでください」
レイヴンは工房の鍵を机に置いた。
自分が逮捕されても、検査手順と出荷の記録が残るよう、マリシアとゴルバに責任を分けていた。
個人の自由より先に患者の安全を考えた。
その日の午後、偽造された逮捕命令で、王女エレオノーラは命令書を運んだ書記官と向き合った。
命令書を運んだ書記官は筆跡を証言すれば職を失うと震えた。
その言葉に、周囲の者は答えを急いだ。
しかし王女エレオノーラは、相手が言い終わるまで遮らなかった。
王女は原本を封印し、証人の名前を公開せずに監察官へ提出した。
誰かが
「それで十分ですか」
と尋ねた。
十分だと言える人はいなかった。
それでも、いま確かめられる事実を一つずつ積み上げるしかなかった。
兵士の一人が剣を下ろした。
次にもう一人。
隊長は彼らを見つめ、命令の正当性を確かめるまで待機すると告げた。
宰相が欲しかった反逆の光景は生まれなかった。
代わりに、王都じゅうがその命令の出所を疑い始めた。
三日後、宮廷の封印係が提出した印章の貸出記録には、証言と一致する時刻が残っていた。
だが王女は記録だけを理由に宰相の有罪を宣言しなかった。
監察官の前で、書記官が自分の筆跡と差し替えの経緯を説明できるまで審問を延期したのだ。
工房には仮の操業許可が届き、ゴルバは待っていた配送車を一台ずつ送り出した。
最初の荷車が門を出たとき、近衛隊長は自分の署名をした通行証を渡した。
命令に従うだけだった男が、今度は患者のために責任を引き受けていた。
審問の傍聴席には、閉鎖された診療所の看護師が座っていた。
彼女は法の言葉に詳しくない。
それでも、前夜に薬が届かなかった患者の体温を記した紙を持参していた。
王女はその記録を証拠と混同せず、別の机へ置かせた。
偽造を裁く手続きと、今夜の薬を届ける手続きは異なる。
しかし、どちらも止めてはならない。
看護師は帰り際、通行許可を持った配送係とすれ違った。
荷車の上には、昨日空だった薬箱が並んでいた。
彼女は審問の結果を待たずに病院へ走った。
翌朝、病院から届いた短い報告には、薬を受け取った患者の名前が記されていた。
王女はそれを審問記録とは別に保管した。
証拠の扱いを誤らず、命も守る。
その二つを同時に果たせたことが、彼女には何より重かった。
審問のあと、書記官は妹の病室へ戻った。
証言したことを後悔していないかと問われ、彼は首を横に振る。
「怖いよ。でも、明日から薬が届くと知って、ようやく眠れる」
王女はその言葉を聞き、保護命令が紙の上だけで終わらないよう、病院への護衛配置まで確かめた。




