12
真理は自宅のダイニングテーブルに座り窓から見える東京の夜景をじっと見つめていた。
見つめているといっても今の彼女には輝かしいネオンの数々も透き通って見えてしまう。
窓の外を生気なく見つめたまま微動だにしない。
雲行きは怪しく今にも降ってきそうである。
ライブに行った服装のまま一口も口を付けていないコーヒーは既に冷めきって湯気すら立っていない。
アキの声、言葉、雰囲気、指や仕草、そんなものを思い出す度、目には涙が込み上げた。
アキの「ごめん。」という言葉が胸を締め付けた。
次会う時に何を言えばいいのか、考えてみても言葉が見当たらない。
おもむろに立ち上がると隣の寝室へ行きクローゼットを開ける。
その奥から30cm四方の小さな箱を取り出す。
中にはアキが真理に贈ったA4程のスケッチや写真、詩などが大量に入っていた。
その1つに真理の為に書いた曲の楽譜も入っている。
真理は数枚束になったその楽譜を何気にぱらぱらとめくった。
するとその中から1枚の紙がひらりと落ちる。
それは初めて目にするアキのメモ書きだった。
真理は小さな声で読んだ。
明日、あなたの記憶が全てなくなるならば今この瞬間何をする。
明日、世界が滅びてしまうならあなたは最後に何を想う。
明日、目覚めた時天国にいたならあなたは空の上で何を祈る。
もし生まれ変わってまたこの世に戻ってきたらあなたは明日をどう生きる。
明日、私の記憶が全てなくなるならば今この瞬間あなたを抱き締める。
明日、世界が滅びてしまうなら私は最後にあなたを想う。
明日、目覚めた時天国にいたなら私は空の上であなたの幸福を祈っている。
もし生まれ変わってまたこの世に戻ってきたら私はもう一度あなたと明日を生きたい。
真理の心の奥底から言い表せない感情が一気に込み上げた。
「アキぃ、アキぃぃ。」
真理は震える手でそのメモを胸に抱き締めぼろぼろと泣いた。
立ち上がるとリビングに置いたバッグまで走って携帯電話をとった。
「アキ」を押す。
止まらない涙を拭いながら何度も繰り返すコールにアキがでてくれるのをひたすら待った。
涙は電話の縁を伝い手のひらにぽとぽとと落ちる。
コールはそのまま留守番電話の機械的な音声へ変わった。
真理は手を下ろし電話を切るとそのまま床へとへたり込んだ。
その時だった。
家の呼鈴がなった。
真理はインターフォンの液晶に映った人影に目をやる。
アキだった。
真理はぐしゃぐしゃになった顔でなりふり構わず玄関まで走り鍵を開ける。
「アキぃぃぃ。」
真理はアキに抱きついた。
「アキ、もう離れたくない。もう絶対、二度と離れたくない。私にはアキしかいないの。ごめんね、ごめんね。」
真理は喉に言葉をつかえながら必死にアキに想いを伝えた。
アキは両手を真理の肩に置き静かに離すと目をじっと見つめた。
「謝るなよ。逃げてたのは俺なんだからよ。」
真理は仕切りに鼻をすすりながら首を横に振る。
「真理とか女とか男とかそういうの関係なしに、俺は誰かを幸せにするとか、一生かけて守るとか、やっぱそういう事ってできねーんだわ。ずりーだろ。でもな…なんだろな……。」
「お前の事が頭から離れねーだわ。夜中に目が覚めるとお前は今日1日何してたんだろって。」
アキは笑った。
そして真理は泣いた。
アキは真理の肩を抱えたまま玄関を閉め部屋の中へと入っていった。
シャクナゲの花がほころび始めた五月の夜、外は雨が少しぱらつき始め無数のネオンをぼんやりにじませる。
ネオンがにじむのは雨なのか、はたまた涙か。
タバコの匂いの中に混じったアキの香りを真理は知っている。
アキの長い黒髪が鼻先に当たる度にその香りは広がり真理を包んだ。
まるで人の体温に初めて触れるような不思議な感触が神秘のようで真理の息遣いは強まり、手と手は固く結ばれお互いの手のひらに滲み出た汗が重なる。
「真理」と名前を呼ばれ再び涙が溢れた。
古い木造りの時計だけが他人事のようにカチカチと音をたて、過ぎ行く時を刻み、深夜の国道を列をなして走り去るトラックのエンジン音が闇に溶けていく。
幾時経っただろうか。
張り詰めてあった真白なベットシーツが床まで垂れ下がる頃、アキの四肢は和らぎ強ばった筋肉は羽毛のようにふわふわと柔らいだ。
アキは真理に背中を向け両肩が肺の動きに合わせて上下に動く。
真理はその肩に手を置きアキの背中にぴたりとうずくまる。
アキはふと、床に落ちてる自分のメモ書きに気付いた。
「あなたと明日を生きたい。」
アキがぼそりとそう言うと、真理はきつくアキを抱き締めた。




