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まだ本来の色調まで至らぬ若い陽の光が、薄いまぶたを突き抜け眼球までをもオレンジ色に染めた。
けたたましいその色彩に気付いた時、橋の下で目を覚ます。
身震いと激しい頭痛、口の中でカラカラの喉が水分を懇願している。肩まで伸びた黒髪と不精髭には砂やら土が付着し、最近見かけるようになった蟻が腕をよちよち伝う。
真理の家に転がり込んで二年。酔っていたのか薬なのか、何かを怒鳴り付けては壁に大きな穴を空け、飛び出したきり帰っていない。
それ以来またアキの日常は常軌を逸する事になっていった。
昨晩はライブを終えて大量の酒を煽り、クラブのトイレで薬をやった後、見知らぬ場所で見ず知らずの女がベッドの横にいた所までなら記憶がある。
ジョン・ゾーンの白いバンドTシャツは血で襟から右胸あたりまで真っ赤だ。驚き自身を確認する。どうやら大量の鼻血と口の中、右頬の内っ側を大きく切っていた。舌先にベロンベロンと破れた皮が当たる。
「とにかく水」と思いよたよた歩き出しながら、昨晩の記憶を呼び戻す。
何があったんだ?
唯一の救いは、そこは知っている場所で昔2度ほどホームレスとなっては夜を明かした場所であったことだ。
ポケットを探り所持品を確認する。その瞬間着信音が左ポケットの奥深くから鳴り響く。
慌てて電話を取るとそれは聞き慣れた純平の声だった。
「やっと出た!!おいっ、どこに居んだよ。だいじょぶか、アキ?」
「あぁ、口の中がいてーよ。なんなんだよこれ?」
「昨日はめちゃくちゃだよ。」
純平はため息をつく。
「レンチェのヒロさんと一戦交えたんだぜ。」
多少困ったように笑って話した。
「ヒロさんもラリってたからレンチェの連中と他のバンドの奴らも協力して止めてくれたけど、お前思いっきり右フックもらってたぜ。」
噴き出すように笑った。
「マジかぁ。俺がヒロと?あのヤロー、ギタリストのくせにフックなんかくれやがって。」
口の中をもごもごしながらしかめっ面だ。
「んで原因は?」
「お前がフル・レンチェの音楽否定したからだよ。レンチェの核はヒロさんだろ?ヒロさんの音楽話しに楯突いたんだよ。」
昔よくアキ達のバンドと対バンしてたフル・レンチェはよく知っていたし、ヒロは何かと面倒見もよく、アキやその他のインディーズバンドにとって兄貴分のような存在だった。
純平の話しだとアキがレンチェの歌詞は詰まらないと言ったらしい。
難しい言葉の繋ぎ合わせだけで全体像を見失い情景が浮かばないと。
音と言葉との因果関係を見出す事ができないなどと、ペラペラと止む事のない理屈で毒ついたようだ。
作詞作曲は全てヒロだった。
始めは笑ってたようだが、あまりにもしつこく、そしてどこか的を得たその言葉に段々と表情を変え最後は取っ組み合いの挙げ句、右フックを放った。
血だらけになったアキは
「俺は俺の聖地で絶望の歌詞を蓄える」
と言い捨て出て行ったという。
その話しを聞き二人してまた噴き出す。
「所でどこよ?」
純平が尋ねる。
「橋。」
「あれ?昨日夜中探し回ったけどそこに居なかったなぁ。まぁいいや。待っとけ、今から行ってやっから。」
純平はアキとスリーピースのバンドを組むベーシストだ。
ファンキーというよりは吉沢元治のようなアーティスティックなベーシストでエレキはもちろん、ウッドベースやチェロまで熟す。
幼稚園から中学に上がるまでピアノとバイオリンも習っていた。
TOOLのジャスティンのようにギターのようなベースラインを引く事もあった。
少しブラウンがかった長髪にパーマをかけたその風貌は全盛期のロバート・プラントのようだ。
顔は深い二重まぶたに瞳が大きく、鼻、口共によく整った、いかにもモテそうなバンドマンといったところである。
背丈は187ありやせ型、指が以上に長くタッピングの如くフルピッキングをこなした。
一度演奏するとそのスケールの大きさに仁王の如く鬼気迫るものを感じさせるのは不思議なものだ。
優しく気が利き、何よりもアキを天才扱いしている。
以上な程に。
それは尊敬を通り越しどこか崇拝の気配すらあった。
優し過ぎて色々背負い込む事も多々ありいつも周囲を気に掛けている。
アキは幾度となく彼に救われたし、今後も多分に迷惑をかけ続けるのだろう。
アキは少し血の滲んだクシャクシャのセブンスターをくわえ、よく出演するGAYAGAというライブハウスのロゴ入りライターで火を灯す。
セブンスター独特の少し香りを漂わせる煙と口の中の血、それに酒の混じった粘っこい唾液が合間って吐き出すように一服する。
4月の心地よい風が通り抜けるが、車で走る人々は、Tシャツを血に染めた男を眉間にシワを寄せながら通りすがる。
アキはわざと目を合わせ、行ってしまう車をあえて目で追っている。
15分もすると焦げ茶にオフホワイトのラインが入ったワーゲンTYPE2で純平がやってきた。
テキサスから取り寄せた代物だ。
左ハンドルなうえにマニュアルときたらそれなりに慣れを要するだろう。
それらを初めから難なく操る純平は器用な男だった。
「すげーな。血だらけじゃん」
純平がペットボトルの水を差し出した。
タバコを土手の方へ投げ捨て、水を口に注ぎぐちゅぐちゅとした後に吐き出す。
若干血の混じったその水は異様に泡立ちアスファルトの上に佇む。
続けてペットボトル半分ぐらいまで一気に飲み干す。
「はぁぁ」と大きなため息のあと全てを飲み干した。
純平は少し笑ってまだあるぞと、一口だけ飲みかけた自分の水を差し出した。
アキはそれを無視して車に乗り込む。
純平も運転席へと乗り込む。
「夏のツアー前に事件起こすなよな。お前の音聴きたがってる奴は全国にいるんだから。」
アキ達のバンド「リジン」はアンダーグラウンドでは既にカリスマ的存在であり「信者」と呼ばれる一部の熱狂的なファンがデビュー当時から付いてまわった。
アキを殴ったヒロが率いるフル・レンチェも全国区のバンドにのし上がり飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
リジンとフル・レンチェ、後にこの2バンドは90年代初頭のシアトル、グランジシーンのニルヴァーナ、パールジャムのような一大ムーブメントの象徴的存在へと変貌していく。
「バンド辞めてやろーかな。」
ボソッとつぶやく。
「何で?」と純平。
アキは答えない。
「辞めたいなら辞めても構わないよ。お前は音楽だけに留まる器じゃないしな。きっとギター弾くのもお前という表現の一手段でしかないんだろ?」
アキは黙ったまま窓の外を虚ろな目で見ている。
純平がここまでアキを慕うようになったのはアキが書いた原稿用紙18枚にも及ぶ長い長い詩を読んでからだ。
彼曰く鉈で身体を真っ二つに裂かれ跡形もなく消えてしまう感覚に陥ったと言う。
身動きがとれなくなり気付いたら涙が溢れ嗚咽したという。
その事があってから純平は当時最強のバンドの名を欲しいままにしていた「KID IZO」を脱退しアキと行動を共にするようになった。
KID IZOのアルバムはジャパンチャートで3位を記録し武道館でもライブをする程の実力派であった。
当時純粋なロックバンドがタイアップ等もなくメジャーシーンのチャートで上位を記録する事は非常に珍しい事であった。
KID IZOでの純平のベーシストとしてのポジションは絶対的で、奏法や方向性は違うがレッチリのフリーのようなバンドでの存在感を放っていた。
純平の突然の脱退は日本のロック界に少なからず衝撃を与えた。
「坂本は?」
「あいつはああいう性格だからね、あまり深くは関わらないよ。12時過ぎた頃には帰ってたぜ。」
純平の紹介で元々インプロでJAZZを叩いてたドラマーの坂本薫を招き「リジン」は誕生した。
坂本は無口でとにかくタバコを口元から絶えさせない男だった。
少し赤みがかった長い髪をオールバックにし、傷跡のある目尻と切れ長の目はいつもクールで近寄り難いオーラを醸し出していた。
筋肉質で身体中にタトゥーを施し首筋には大蛇の鱗のような模様が見える。
その見た目とは裏腹に的確なリズムと変則と変拍子を見事に操るうまさは一流で、異常な程多い手数は3歳からの英才教育の賜物だ。
父親も兄もドラマーである。
プロとして海外での演奏も多く、国内外のアーティストのリスペクトを多く受ける。
アキは坂本との二人っきりのほとんど会話のない時間が案外好きだった。
「今日は夜にスタジオ抑えてあっから、とにかくそれまでゆっくり休めよ。俺は絵里香と出てそのまま坂本と落ち合うからベット使って構わねーよ。」
純平はタバコをふかしながら信号待ちをしている。
車のステレオからはオーティス・レディングのライブが流れていた。




