第63話 崩れる戦況
森の空気が、明らかに乱れていた。
風が吹いているわけではない。だが、流れが一定ではない。さっきまで感じていた“読みやすさ”が、消えている。
空気は、いつも素直だ。圧力差があれば動くし、障害物があれば回り込む。
だからこそ、術式で制御できる。だが今は違う。
流れが細かく分断され、渦を巻き、均一な層を作らない。
「……誰かが、意図的に乱してる」呟いた瞬間、前方の敵が踏み込んだ。
速い。だが、それ以上に“無駄がない”。
俺は反射的にエアブレードを展開する。圧縮、形成、射出。これまで何百回も繰り返してきた流れだ。
だが、敵は刃が完成する前に横へ逸れた。
「また……!」予測されている。いや、違う。
術式の“途中”を見て動いている。俺の魔力の流れを読んでいるのか。
次の一手を考える前に、右側で火が弾けた。
「リナ!」振り向くと、リナが二人に挟まれている。
火魔法で牽制しているが、押し切られている。
敵は魔法を受けていない。避けているのではない。踏み込ませない位置取りで、詠唱そのものを潰している。
間合いの管理が、異常にうまい。
「下がれ、今カバーする!」
俺は地面付近の空気を圧縮し、衝撃波を横に流す。範囲を広げたエアショット。
牽制には十分なはずだった。
しかし。敵は一瞬で間合いを外し、衝撃波の端だけを掠めて後退した。
効いていない。いや、当たっていない。「どうして……」
距離は取れていた。タイミングも遅くない。だが、当たらない。
リナが後ろへ跳び、なんとか距離を取る。その足取りが少し乱れている。
「大丈夫か」
「平気……じゃないけど、まだ動ける」
短く答える声に、わずかな息の荒さが混じる。
軽傷ではない。俺は奥歯を噛みしめた。
距離は取れている。だが、状況は悪い。
敵は無理に攻めてこない。こちらの出方を見て、最適な位置を保っている。
「……読まれてる」そう言葉にした瞬間、理解が一段深く沈んだ。
魔法が読まれているのではない。“行動”が読まれている。
俺が何をしようとしているか。その前提で動かれている。
だから、発動前に潰される。
なら、「速度を上げればいい」
思考と同時に、空気の圧縮を加速させる。術式の簡略化。
精度を削ってでも、発動までの時間を短くする。粗くてもいい。当たれば意味はある。
圧縮、形成。その途中で、敵の一人が踏み込んできた。
近い。間に合わない。とっさに術式を解き、後方へ跳ぶ。
空気を足元で弾き、強引に距離を取る。着地と同時に、もう一人が横から迫る。
連携。俺の動きに合わせて、二方向から圧をかけてくる。
「くそ……!」
今度はソニックブーム。振動を一気に増幅し、広範囲に放つ。
空気が震え、見えない衝撃が森の中に広がる。
だが、敵は地面を蹴り、振動の薄い方向へ逃げた。
完全に範囲を把握されている。
「どうなってる……」振動は見えない。だが、逃げられた。
感知しているのか、それとも経験で読んでいるのか。
いずれにせよ、通じていない。
その間にも、前線は削られていく。
リナが再び押される。火の軌道を限定され、逃げ場を奪われている。
「左から来る!」声を上げるが、遅い。
敵の一撃がリナの肩を掠め、体勢が崩れる。
「っ……!」膝をつきかけるリナを見て、頭の中が一瞬白くなる。
距離は、まだある。間に合うはずだ。そう判断して、俺は真空斬撃の準備に入る。
空気を削り、空白を作る。圧力差で内部から破壊する、現状最大の一撃。
だが。術式の構築が、進まない。
空気が安定しない。乱流が層を崩し、真空が成立しない。
「……なんでだ」理論は間違っていない。
手順も、何度も成功している。なのに、できない。
敵が動いた。俺ではない。リナへ向かって。
「やめろ!」叫びと同時に、術式を中断し、走る。
もっと早く判断していれば。もっと単純な魔法を選んでいれば。
思考が遅い。その事実だけが、やけに鮮明だった。
距離が縮まる。だが、足りない。
敵の刃が振り下ろされる、その直前。別の仲間が割り込み、なんとか防ぐ。
金属音が響き、火花が散る。
間に合った。だが、それは俺じゃない。
「……」呼吸が乱れる。
魔力は残っている。術式も組める。なのに、戦況を変えられない。
何をすればいいのか、判断が追いつかない。
敵は、待っている。こちらが動くのを。その上で、最適な位置を取り続けている。
俺は空気を読む。だが、あいつらは“戦場”を読んでいる。
視界の端で、リナが立ち上がる。まだ戦える。
だが、このままでは削られるだけだ。何かを変えないといけない。
そう思うのに。次の一手が、決まらない。
「……間に合わない」気づいた時には、もう遅れている。
それが、今の俺の現実だった。




