【第八章】第59話 実戦任務
王都を離れると、空気はすぐに“自然”に戻った。
研究機関で感じていた均された流れはなく、風は好き勝手にぶつかり、枝葉を揺らし、地面の温度差に引かれて歪んでいく。制御されていない、ただの空気。
だが、その“ただの空気”の方が、妙に重く感じられた。
「……静かすぎない?」リナが小さく呟く。
周囲は森だ。鳥の鳴き声も、葉擦れの音もある。だが、それらが逆に際立っている。人工的な静けさではない。何かが“抜けている”ような感覚。
「人の気配がないな」足を止めずに答える。
任務の内容は単純だった。王都近郊に出没した武装集団の排除。
盗賊、あるいはならず者の類。そう説明されていた。
だが、「盗賊にしては、情報が少なすぎる」報告書を思い出す。
目撃例は断片的。人数も曖昧。行動範囲も一定しない。
そして何より、戦闘記録がほとんど残っていない。
「普通、もっと騒ぎになるよね」リナが周囲を見渡しながら言う。
「近くに村もあるのに」
「襲っていない可能性がある」
「え、じゃあ何してるの?」
「分からない」
それが一番問題だった。目的が見えない集団は、動きが読めない。読めない相手は、対応が遅れる。
「……まあいい」小さく息を吐く。
やることは変わらない。見つけて、制圧する。それだけだ。
前方を進む王国魔導士の背中を追う。
今回の任務には、研究機関からの人員だけでなく、実戦経験のある魔導士が同行している。彼らは無駄な会話をしない。ただ周囲を見て、必要な情報だけを共有する。
その動きは、研究施設で見た“部隊”そのものだった。
「……やっぱ違うな」思わず呟く。
「何が?」
「歩き方」
リナが一瞬だけ前を見る。「あー……確かに」
彼らの動きは、環境に合わせて変化している。
地面の硬さ、風の流れ、視界の開け具合。すべてを前提にしている。
無意識ではない。意図的だ。
「慣れてるな」
「実戦、ってやつ?」
「だろうな」
言葉にすると簡単だが、その差は小さくない。
理論と実践。分かってはいたが、こうして並ぶと、はっきりと見える。
足を進める。森の奥へ。光が少しずつ落ちていく。
木々の密度が増し、空気の流れが細くなる。
「止まれ」前方の魔導士が、手を上げる。
全員が一瞬で動きを止める。音が消える。風の流れだけが残る。
意識を集中する。空気を読む。乱れ。わずかな違和感。
「……いるな」
「どこ?」リナが小声で聞く。
指で示す。左前方、木々の間。直接の気配は薄い。
だが「流れが変だ」風が一度、遮られている。
自然ではない。意図的に“立っている”。
「……ほんとだ」リナも気づく。
その瞬間、「来るぞ」前方の魔導士が低く言う。
次の瞬間、空気が、切り裂かれた。音は遅れてくる。先に、圧が走る。
「っ……!」身体が勝手に動く。横に跳ぶ。
同時に、背後の木が斬り裂かれる。風刃。
「……速いな」単純な威力ではない。無駄がない。最短距離。
「展開!」王国側の魔導士が叫ぶ。同時に、陣形が組まれる。早い。
一瞬で役割が決まる。前衛が前に出て、後衛が距離を取る。連携が完成している。
視線を前に向ける。木々の間から、人影が現れる。
一人、二人、三人。さらに。「……四人か」
数は少ない。だが……違和感が消えない。
装備は簡素だが、無駄がない。動きも、構えも。
そして何より「……隙がないな」リナが小さく呟く。
同意する。盗賊ではない。少なくとも、ただの。
「……訓練されてる」口に出す。
その瞬間。相手の一人が、わずかに視線を動かした。
こちらを見た。その目に、迷いはない。
「始まるぞ」誰かが言う。
空気が張る。森の中、わずかな空間。
そこが一気に“戦場”へと変わる。
「……」深く息を吸う。空気を取り込む。流れを読む。
「いける」小さく呟く。
相手は強い。だが「やることは変わらない」空気を掴む。圧をかける。
戦闘が始まる。その瞬間。わずかな違和感が、胸の奥に残ったままだった。




