第37話 真空実験
学園の外れにある廃訓練場は、昼間でも人が寄りつかない場所だった。
石壁は半分崩れ、床には古い亀裂が走っている。かつては実戦訓練に使われていたらしいが、今は放置され、風だけが通り抜けている。
だから都合がいい。壊れても問題がない。
「……ほんとにここでやるの?」
リナが周囲を見回しながら言う。
「適している」
「いやまあ、壊しても怒られなさそうではあるけど……」
言葉の端に不安が混じっている。
当然だ。今回やるのは、今までとは違う。空気を動かすのでも、圧縮するのでもない。消す。
「一応聞くけどさ」
リナが腕を組む。
「どんな感じになる予定なの?」
「空気がなくなる」
「それは聞いた」
「圧力が消える」
「それも聞いた」
「音が伝わらなくなる」
「……ちょっと面白そう」
興味と警戒が混ざった顔になる。
「ただし」
一拍置く。
「外部との圧力差が生じる」
「はい危ないやつ」
即答だった。
「制御できれば問題ない」
「その前提が信用できないんだよね」
もっともだ。だが、ここまで来て止める理由はない。
「まずは小規模でやる」
地面に円を描く。直径一メートルほどの範囲。
「この中の空気だけを排除する」
「……排除って言い方がもう怖い」
無視する。集中する。空気の流れを掴む。圧縮ではない。振動でもない。
存在そのものを薄くする。粒子の密度を下げる。間を広げる。押し出す。
どこへ?それはまだ分からない。
だが、「……いける」
感覚が揃う。次の瞬間。円の内側の空気が、消えた。
「……」音が、消える。
完全ではない。だが、明らかに違う。風の音が弱い。リナの呼吸音も、遠い。
「え、何これ」
リナが手を入れる。すぐに引っ込める。
「気持ち悪っ」
「成功だ」
「成功なのこれ!?」
だが確かに。空気は薄くなっている。圧が違う。静かすぎる。不自然な静寂。
「……」
そこで違和感に気づく。魔力消費が少ない。予想よりも、はるかに軽い。
「おかしいな」
「え、もう?」
「負荷が低すぎる」
通常なら、もっと魔力を消費するはずだ。だが、今は違う。
むしろ「楽すぎる」
まるで、最初からそこに空間があったかのように。
「……ちょっとそれ嫌な予感しかしないんだけど」
リナが距離を取る。
俺は円の内側を見つめる。空気が“消えた”場所。だが、本当に消えたのか?
「……違うな」
「何が」
「消しているわけじゃない」
思考が一段深くなる。
「どこかに移動している」
「は?」
リナが固まる。
「空気は消えない。なら、移動している」
「ちょっと待って、それどこに」
「分からない」
だが確実に、どこかへ押し出されている。その“先”がある。
「……」
なら。もっと広げたらどうなる。
「ちょっと」
リナが察する。
「やめといた方がいい顔してるよそれ」
「問題ない」
「絶対問題ある」
だが、止まらない。ここで止める理由がない。範囲を広げる。半径二メートル。さらに三メートル。空気を薄くする。消す。広がる。静寂が、空間を覆う。
「……っ」
リナが一歩後ろに下がる。
「これ、やばいって」
音が消える。風が止まる。圧が抜ける。世界が一瞬、軽くなる。完全な静寂。
成功だ。だが、次の瞬間。崩れた。――ドンッ!!
空気が一気に流れ込む。圧が戻る。爆風が発生する。
「っ!!」衝撃が体を叩く。
地面が割れる。石壁が崩れる。リナが吹き飛ばされる。
「くっ……!」踏みとどまる。
だが終わらない。流れが止まらない。空気が歪む。真空領域が揺れる。
「……?」
その中で。一瞬だけ。違う感覚が混ざる。風でもない。圧でもない。何かが、触れた。
「……今のは」
次の瞬間、完全に崩壊する。
空気が戻る。
圧が安定する。
静寂が終わる。
残ったのは――破壊された地面と、静まり返った空間。
「……っ、ちょっと!」
リナが起き上がる。
「今の何!?死ぬかと思ったんだけど!」
「制御に失敗した」
「分かってるよ!!」
怒鳴られる。当然だ。
だが「成功でもある」
「は?」
真空は作れた。範囲も広げられた。だが。
「制御ができない」
それが問題だ。圧力差が大きすぎる。戻るときの反動が強すぎる。
そして「……」
あの一瞬。違和感。確かに感じた。
「何?」
リナが警戒した顔で見る。
「さっき」
「うん」
「空気が戻る前」
一瞬だけ。何かがあった。
「……何か、混ざった」
「え」
リナの表情が固まる。
「混ざったって何」
「分からない」
だが確かに。空気ではない何か。振動でもない。圧でもない。別の“存在”。
「……それ、冗談じゃないよね」
「冗談ではない」
思い出す。ダンジョン。あの異常な空気の流れ。そして発表会の教師の言葉。
空気が存在しない状態は?
「……」
繋がる。これは偶然ではない。この世界には、すでにある。あるいは触れてはいけない領域がある。
「……決まりだな」
「いや何が!?」
リナが半ば叫ぶ。
「これはただの魔法じゃない」
空気を扱う話ではない。もっと根本。もっと深い。
「この先に、何かがある」
視線を落とす。崩れた地面。だがその奥に、確かに感じた。空気の“外側”。その気配を。
夜の風が、遅れて吹き抜ける。だがその空気は、もう以前と同じには見えなかった。




