第十一話「二人だけの時間 前編」1
第十一話「二人だけの時間 前編」は4分割で更新していきます。これは1つ目です。
「あの……嬌叔母様」
朝食前、春燕は、ちょうど部屋を出てきた嬌に声をかけた。
「おはよう、春燕。どうしたのですか?」
嬌は珍しい!と驚いて春燕に近づいてきた。
「あの……今日、凌偉様と出かける約束をしたんです。それで、あの……」
春燕は自分の衣の裾をぎゅっと握りしめる。
「かっ、可愛い衣を貸していただきたくて!」
頭を下げた瞬間——
春燕の身体は嬌の部屋へ“吸い込まれるように”引きずり込まれた。
勢いよく閉まる扉。
次に鳴り響いたのは——
スパァァァン!!
嬌が衣装部屋を開く音だった。
部屋の向こうには、色とりどり、四季折々の鮮やかな衣がぎっしり。
どれも丁寧に手入れされ、美しく揃っている。
そしてその全てが——
嬌が「春燕に似合いそう」と買い集めたものばかりだった。
「さあっ! どれにしますっ!?」
嬌の眼光はいつもの倍。
キラキラ……いや、ギラギラしている。
「こ、こんなに……」
春燕はその数に圧倒され、嬌叔母様って本当に沢山衣装を
お持ちなのね。と、一人感心していた。
嬌は夏用の衣を次々と春燕にあてていき、
最終的に春燕が選んだのは——
白い薄紗に、白い花を散らした刺繍。
袖と裾だけ、淡い瑠璃色に色づく爽やかな夏衣。
「今日は暑くなるでしょうから。」
嬌は春燕の髪を手際よくまとめ、一つのお団子に仕上げ、
赤い髪飾りと梅のかんざしをつける。
「まあ可愛い! 似合ってますよ」
嬌の声音は誇らしげだった。
*
嬌と春燕が食卓に入ると、恭信が真っ先に目を細めた。
「おや、春燕。これは可愛らしい」
「ありがとうございます」
春燕は少し恥ずかしげに微笑む。
その横で——凌偉の動きが止まっていた。
粥の入った匙を宙で止めたまま、微動だにせず、ただ春燕を凝視している。
「おはようございます、凌偉様」
視線があまりにも真っ直ぐで、春燕は思わず目をそらした。
「ああ……おはよう」
凌偉はゆっくりと匙を戻し、なおも春燕から目を離さない。
「初めて見る衣だ」
「嬌叔母様と選びました」
「髪型も似合ってる。……可愛い」
夏祭りの時よりずっと早く、照れもなく、その言葉が出た。
「あっありがとうございます……!」
春燕は顔が熱くなり、思わず姿勢を縮める。
「……ッッ!!」
嬌はその様子を見て、
茶碗を粉砕しそうな勢いで握りしめて悶えていた。
「今日はどこに出かけるのかな?」
二人を優しく見つめながら恭信が問う。
「農地の別邸に連れて行きます」
凌偉は食後の桃をかじりながら答えた。
「……そうか。それはいい」
恭信は落ち着いた笑みを浮かべた。
*
「農地の別邸……に行くのですか?」
春燕は思わず聞き返した。
てっきり街中の茶坊あたりに行くものだと思っていたからだ。
「そうだ。馬に乗って行く」
凌偉は淡々と答える。
琳家の大門前にはすでに一頭の馬が待っていた。
艶のある黒毛が朝日に光る——凌偉の馬、蒼影だ。
「蒼影!」
春燕は駆け寄り、自然と頬がゆるむ。
厩で世話を手伝うことは多いが、蒼影に“乗る”のは
琳家に来たあの日以来だった。
「一緒に行けるのね。嬉しい!」
蒼影の首元に腕を回して抱きしめる。
蒼影も鼻先を春燕の頬に寄せ、すり寄ってくる。
「……オレより懐いているな」
凌偉はふっと息をこぼし、微笑んだ。
「今日は愁飛様と雪麗は来ないのですか?」
いつも護衛として寄り添う二人の姿が見えない。
「ここから近いし、安全な場所だ。それに……」
そこで凌偉は言葉を切り、蒼影に先に跨った。
そして迷いなく春燕の手を取る。
「えっ……」
引かれるままに、春燕は凌偉の前に座る形で馬に乗せられた。
凌偉が後ろで手綱を握る。
両腕が自然と春燕を囲むようになり、距離が一気に縮まった。
すぐ背後で、低い声が耳に落ちる。
「今日は誰にも邪魔されずに、二人だけで過ごしたい」
たったそれだけで、春燕の心臓が大きく跳ねた。
「さあ、行こうか」
言い終えると同時に、蒼影が軽やかに地を蹴る。
風が二人の間をすり抜け、景色はあっという間に流れ出す。
街並みを抜け、開けた道へ。
春燕は胸に手を当てながら、ただ凌偉の体温を背に感じていた。
※作者より
「水月鏡花」の更新は【週2日/月・金 21時頃】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が、
少しずつ近づいていく時間を、
見守っていただけたら嬉しいです。
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