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水月鏡花 ―冷たい当主と、静かに灯る恋とほどけていく心―  作者: 麻倉ロゼ
第二章「花心、光にほどく」

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第六話「それぞれの、大きな一歩」4

第六話「それぞれの、大きな一歩」は4分割で更新していきます。これは4つ目です。

 数日後。

朝、琳家はいつもより少しだけ浮き立った空気に包まれていた。

春燕しゅんえんが、ついに街の薬局、琳安堂で働く日が来たのだ。


朝から昼まで、週に三日。


帳場の手伝いも、屋敷の仕事も続けたい――

そんな春燕の願いを尊重した形だった。

春燕はというと、夜のうちから何度も持ち物を確認していた。

紙、筆、巾着、手巾ハンカチ……。朝になってもそわそわと落ち着かなかった。


 朝食の席。

「今日から行くのですよね!!」ときょうがぱっと立ち上がり、

春燕の髪にそっと金のかんざしを挿した。

牡丹と蓮子が細やかに彫られた、華やかな細工だ。


恭信きょうしんは、春燕の腰帯に翡翠の佩玉はいぎょくを留める。


「お守りだ。街で何か困った事があったら、

これを見せなさい。全てうまくいく」


そんな二人に続くように、凌偉が手にしていたのは、

小ぶりの花梨の木で出来たそろばんだった。


「オレからはこれを。使う事も多いだろうから」


「これは…凌偉様のそろばんでは?」

凌偉が常に袖に忍ばせて使っている大切な物のはずだ。


「オレのはある」

そう言って、凌偉はもう片方の袖から黒檀こくだんのそろばんを取り出した。


「それは…!」

黒檀の光沢が淡い朝の光を受けて輝いていた。


 ――あの雨の日、凌偉の両親の部屋で二人で見つけた大切なもの…。

そのうちの一つが今、凌偉の掌に乗っている。


春燕の胸がじんわり熱くなった。


「お借りします」自然と笑みがこぼれる。

「貸したんじゃない。春燕にあげたんだからな!」

念を押すような口調に、春燕は思わず瞬きをする。


「春燕。誰かに聞かれたら言え。このそろばんは凌偉からもらったと。いいな?」

「は…はいっ!わかりました」

勢いに押されながらも、春燕は、そっと大事に袖へしまい込んだ。



 外へ出ると、門前に二人の使用人が待っていた。

令菘れいすう志晃しこうだ」凌偉に紹介された二人は深く頭を下げた。


「初めまして。令菘れいすうです。誠心誠意、努めさせていただきます」

落ち着いた物腰から、誠実さが伝わってくる。


志晃しこうです!春燕様!本日から

護衛を担当いたします!」

こちらは、対照的に明るくて、春燕の緊張を

ふっと軽くしてくれる笑顔だった。


「二人は兄弟で、楊家の門下生だ。琳家では警備も任せている。

街にも詳しい。春燕の護衛を頼んでいる」

 凌偉がそう紹介すると、春燕も丁寧に頭を下げた。


私に護衛だなんて、と言いかけたが――。


凌偉が自分を心配してくれている気持ちが伝わり、

そっと飲み込んだ。


「お嬢様…どうかお気をつけて」

雪麗も心配になり見送りに駆けつけていた。


「ありがとう雪麗。大丈夫よ」春燕は雪麗に微笑む。


「行ってまいります」

 春燕は振り返り、凌偉の前でまっすぐに言った。


「ああ。行ってこい」


春燕は手を振り、初めての一歩を踏み出した。

袖の内側で、凌偉から譲り受けた花梨のそろばんが小さく、心強く揺れていた。

※作者より

「水月鏡花」の更新は【週3日/月・水・金 21時頃】です。


春燕と凌偉、それぞれの心の距離が、

少しずつ近づいていく時間を、

見守っていただけたら嬉しいです。


続きが気になりましたら、

ブックマークで見守っていただけますと励みになります。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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