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 ひかりは足早に歩いていた。

 若草色のしなやかなリブカットソーは見た目だけでなく七分袖という機能面からも涼しげな印象を与える。二段のフリルがついたミニスカートから見える足は少女の隠れた魅力の一つである。


「まったくもう」


 季節は夏といっても9時すぎてまで太陽がいてくれるはずもない。代わりに存在感を示す円に近い大きな月からの光と街灯を頼りに進む。

 今晩帰れそうにない母からの連絡を受け、着替えを届けに行った帰りなのだ。


「メールでもしてくれたらいいのに」


 母からの一報が届いた時にはすでに夕食の準備済み。早朝より緊急で呼び出された母に食べさせようと作った力作が無駄に終わった。普段、自分の分だけなら簡単にすますのだが一人で食べるには豪華で量がありどうしようかと頭が痛い。小食な彼女にはとうてい食べきれず、残しておくとしても母は2、3日帰れそうにないとのことなので痛むのは確実。


(もったいないな)


 食べられるだけ食べて処分。仕方なく方針を決め家路を急ぐ。


「…………」


 公園の入り口で足を止める。公園をショートカットすれば約五分の短縮。痴漢等の防犯を考えると公園の外周の道を歩くのがいい。ただ面倒くさくもある。


(どっちにしても人通りがあるわけでもないし)


 外周の道が大通りに面し、人の行き来が激しいなら安心だがそうでもない。車の通行量はまだあるが歩行者は少ない。

 それならばとひかりは意を決して公園を選択する。危険度が変わらないならどちらを通っても同じだと。

 一応もしものためにとスマホをカバンから取り出そうとする。何かあった場合、電話で助けを呼ぼうとアドレスを呼び出す。誰にしようかと思ったとき、一緒に手に握った鍵につけられた水晶が揺れながら月明かりで光る。呼ばれた気がし、リダイヤルで朱乃の番号を探す。発信ボタンに指を置き公園に入る。


「――――?」


 一歩踏み入れた瞬間、強い違和感を感じた。

 ファンタジーを心底から信じているわりに霊感というものはまったくない。幽霊の前兆ではないなと確固たる根拠もなく判断する。

 一番怖いのは同じ人間だがそれもないと判断。常日頃から他人から注目を浴びているので、また自らも他人の視線をいつも意識しているので最近では何となく人の気配というものが分かるようになっていた。愛を語っているカップルさえここにはいない。


「……まぁいいか」


 いっそ引き返そうかとも思ったがそのまま進むことにした。違和感はあるが身の安全よりも好奇心が勝った。いままで一度も感じたことのない違和感の正体がなんなのかと。

 かといって無警戒というわけではない。より一層の注意を払い進み始める。


「あ、なるほど」


 五感をフルに使おうと聴覚に集中してようやく違和感が何か気がつく。

 静かすぎる。

 蝉などの虫や動物の鳴き声が聞こえないだけならまだ理解もできる。だが公園の外周を走る車の音すら聞こえない。

 あるのは蒸し暑い風の流れだけ。

 急に寂しくなって電話をかけ、誰かの声を聞きたい欲求にかられる。汗ばんだ携帯の発信ボタンに親指をかけるが思いとどまる。夜道の一人歩きが寂しいから電話したというのは年頃の少女としてはありだが、自分のキャラクターではない。


(むしろ逆)


 夜道が怖い友人に頼られるのが自分である。

 ここは一人で進むべきだと決心して歩を進める。

 この公園は子供の遊び場という目的もあるが、人と自然への対話、街と自然の融合といったコンセプトで造られている。犬の散歩やジョギング、もしくはウォーキングできるようにもなっているので、昼間なら利用者は多いがさすがに今は人ひとりいない。

 ひかりはゆっくりとした歩調で中央を横切るウォーキングコースを進む。ほぼ中央にさしかかったとき低く唸る動物の声が耳に届く。


「――?」


 久々に聞こえた音に反射的に目をやる。ウォーキングコースから芝生に入った奥の木陰、距離にして十数メートルの位置にひかりはとんでもないものを見た。


「……ト、……ラ?」


 野良犬なら、百歩譲って狼であるなら――シルエットが似ているから野良犬と幸いにも勘違いし――まだ冷静に正確な判断ができたはずだ。平和な日本は過去のこと。ある程度の危険を想定し対処法は考えている。

だが21世紀の都会の公園に虎がいるということ自体、想像だにしていない。


「――っ」


 見間違いかと思い目を凝らす。街灯は届かないが月光はそれを照らす。

 だが事実は何一つ変わらない。

 間違いなく虎はそこにいて、間違いなく自分を見ている。

 動物園で見る距離よりは遠くにいるが見間違いではない。いや、檻がない分むしろ近くに感じられる。

 完全に成長しきった虎は低い体勢でひかりを見る。月光を受けて毛が銀に輝く。今の彼女には判断できないことだが白虎と呼ばれる虎である。


――ゴクリ


 野性という表現が的確な身のこなしに恐怖する。


 どうして? なぜ? という疑問よりも先に生命の危機を間近に感じる。理不尽な状況にパニックになりそうなものだが普段から冷静さを保つように心がけているおかげでどうにか避ける。

 かといって状況が打開できるというわけでもない。

 走って逃げた方がいいのか? それとも刺激しないようにこの場でいた方がいいのか? 結論が出ないまま立ちつくす。


(死んだふりは……クマよね。いやでもクマってホントは死んだふりしちゃダメとかいうし。……そんなことよりトラの対処法ってなによ! 走って逃げたって動物の方が速いだろうし、携帯で助けを呼ぶにしても声に反応して襲ってこられたらイヤだし。……でもこのまま立ちつくすわけにもいかないし。……こういう時のヒロインってどうするのよ!)


 答えのでないまま時間は過ぎる。

 その間、白虎はじっとしていたわけではない。ひかりを値踏みするように目線を動かす。


――ガァォォォォォォォ!


「キャァ!」


 身を起こして叫びにひかりは後ずさる。白虎は単に威嚇のつもりだったのだがひかりにそれがわかろうはずがない。むしろ普通の女子高生が街で虎に出会ったときの対処にしては頑張ったほうといえる。パニックになり取り乱さなかっただけでも褒められるべきだ。

 ともあれ、ひかりに何の強さを感じなかったのだろう。白虎は大きな牙を見せつけるように飛びかかる。


「――――!」


 突如訳の分からぬ状況に陥り、死の危険にさらされたとき人はどうするだろう?

 脳の許容量が越え何もできず立ちつくし死を迎えるか、もしくは、


「――ハァハァハァ……」


 生存本能が勝り、死を回避しようとするか。

 ひかりは反射的に身体が動き横に跳びかわす。牙、爪に直接身体に触れることはなかったがかなりの至近距離だったので風圧だけはしっかりとその身に受けた。

 10メートルを一気に間合いをつめる脚力にその重量。当たれば確実に死を容易に連想させひかりの顔から血の気が引く。


(勘弁して)


 ファンタジーが好きでよく想像していた。今の状況はあまりにも非現実的である意味ファンタジーといっても過言ではない。なにしろ現実の日常生活で野生の虎に襲われる状況など起こりえない。

 ファンタジーの世界に常々触れたいと願ってはいた。だがこういう即、死と隣り合わせの状況は望んでいない。

 いや望んでなくもないが、それならせめて対抗策の1つや2つは欲しい。

 チートではなくてもいいのでせめて知恵と勇気で何とかなる程度の力が欲しい。


 低く呻く鳴き声に白虎を見る。すでに臨戦態勢でこちらを見ていた。

 距離は先ほどの半分といったところ。距離がない分避けることがさらに困難となった。


「……最低」


 いまとなっては電話で助けを呼んでも間に合う――そもそもこの状況を信じてもらえる――はずもない。そもそも公園を通ったことが選択ミスだった。


(せめてもの救いは……)


 現状の事実はどうかわからない。動物園やサーカスから逃げ出してきた虎に襲われたというのが現実的なつじつま合わせだろう。


(死ぬ前にファンタジーに出会えたならマシな人生ね)


 ひかりはそう思うことで自身を納得させる。

 ある日突然異世界に召還されてカッコイイ剣士と世界を救う旅にでる。世界が突然危機にさらされ、それを救うためにやってきた勇者に「君の力が必要だ」と言われとにかく協力する。という人生なら何の後悔もしない。むしろ満足して死ねる。

 もしくは異世界転生時に若者のファンタジー離れを嘆く女神にチート能力をもらって異世界を旅してみたかった。


 だがイヤなのはファンタジーをまったく感じないで死ぬことだ。


 今の現実に不満があるわけではない。

忙しいけれども一生懸命働く母を手助けしての家庭。朝起きるのこそつらいが、親しい友人と笑って過ごす学園生活。将来に不安がないわけではないが平和で平穏な人生が待っていると思われる。

 けれどそのままでは人生の締めくくりを迎える時、「ああ、ファンタジーって無かったのか」と今、心底信じているものを否定する発言が自分の口からでる可能性をひどく恐れている。

 ファンタジーを信じることは父との最後のつながりで、彼女にとってファンタジーは父そのもの。何も不思議なことの起こらない現実に生きることで、他人との協調のためしている上辺での現実主義を長くすることでファンタジーを信じる心を失うことをひどく恐れている。

 それならば理不尽ではあるがここで白虎に襲われて死ぬ方がマシだった。


(お母さん、きっと後悔するわね)


 心残りがあるとすれば母のことだ。

自分が夜、病院に呼び出しその帰りに虎に襲われて死んだという状況はきっと呼びださなければよかったと自分を責めることだろう。父の死の際の母の取り乱す様を見ているので娘を失ってまで気丈に生きれるとは思えない。


「ごめんね」


 ひかりは聞こえるとは思わないが口にする。

 ひかりのつぶやきを諦めととったのか白虎は跳ぶように迫る。

 ヒロインたるもの無様に生き延びようとすべきではないと覚悟を決めたとはいえ、死の恐怖にまで耐えれるはずはない。

目をギュッと閉じ最後のときを迎えようとする。


――バシューーン!


 だが白虎は一向に来ず、身体は痛くない。それどころか何かにぶつかって跳ねとばされたような音がする。


「――――?」


 ひかりはおそるおそる目を開く。すると視界が真っ赤になっていることに驚く。


「何、コレ?」


 目がおかしいのかと思い、目をこすろうとしたときに見えた手の色は正常。理由を知ろうと観察してみると自分を中心に赤い光のようなものが半円のドームとなり覆っていた。故に赤いフィルム越しに見ているような感覚に陥っていた。

 目下の驚異だった白虎はというと少し離れた位置で強い衝撃を受けてノビたのか横たわっている。


「防御魔法? 結界? シールド、バリアー……」


 自分のファンタジーの知識で赤い光を説明しようと模索する。どうやら光が自分の危機に現れ、白虎から守ってくれたようだ。


「…………?」


 となれば次に気になるのは「なぜ?」だ。

 生命の危機に秘めたる力が解放された。という単純な話なら問題ない。むしろ喜ばしい。

 だがそうではない。ずっと右手で握っていた鍵のキーホルダーの先の水晶が輝いているのだ。


「朱……ちゃん?」


 今日もらった水晶はお守りだといっていた。だがここまで直接な効果があるお守りなのだろうか?

 いやそんなのはあり得ない、現実にはあり得ない。


 白虎は気がついたのか起きあがりひかりを見る。赤い光の存在に気がついているだろうが気にもせず再び突進してくる。


――バシューーン!


 だが光を突き抜けることはできない。ぶつかりはじき飛ばされる。


(さっきもこうだったのかな)


 倒れている白虎を見て場違いなことを考える。気持ちが落ち着いてきたというのでなく神経が麻痺してきたというべきか。

 水晶からの光は衰えることなく輝いている。それがいつまで持つかはわからない。無限ということはないだろう。


「……あ、なんで?」


 答えが返ってくるかどうかは別として朱乃に電話しようとした。だが、つながらない。ディスプレーの表示を見ると圏外になっている。この公園は通常電波状態は良好なはずなのにだ。

 それならば虎が倒れている間に逃げようとする。水晶が光の発生原因なら自分の移動について来るのではないかと判断した。


「ウソ、マジ!」


 今までどうしてたのか不思議なくらい足が動かない。まるで地に根付いたかのような錯覚すら覚える。


「街に虎はいる。結界のおかげでなんとか生き延びる。助けを呼ぼうにも電波は届かない。逃げようにも足は動かない」


 今の現状を口にすることで整理しようとする。


「ファンタジー?」


 自分が思い描いていたファンタジーとの遭遇とはかけ離れている。訳のわからないまま生命の危機、とりあえず命拾い。

 自分に状況を打破できる術がない以上、それができてついでに説明してくれる人間が助けに来てくれるのがファンタジーの正しいあり方だと半ば真面目に思う。


「では、満喫しますか」


 どうしようもないと腹をくくる。

一度は本気で死を覚悟した、それに比べれば今の状況は楽ともいえる。きっと誰かが助けに来てくれる。それがファンタジーというものだ。


 白虎を見るとまだ懲りないのか立ち上がり突進する。今度は趣向を変え、爪でなごうとするが赤い結界はビクともしない。


(光の幕みたいだけど……物理的硬度も備えているのかな? 不思議ね)


 冷静に分析する。赤い結界のおかげで白虎も赤く見え、何となく最初見たときほどの恐怖心が消えていた。一転して動物園の檻の外から見ている感覚になる。もっとも向こうは本気で自分を喰い殺そうとしているところが違うが。

 ガシガシと何度も捕獲の邪魔をする赤い結界を殴る白虎を見て、


(助けが来るならできれば早いほうがいいな)


 当面の安全は確保されたとはいえ肉食獣に捕獲の対象とされている状況はお世辞にも過ごしやすいとは言い難い。

 檻の中の動物を見るのと檻の中で動物を見るのでは抱く感覚は全然違う。

 そんな彼女の望みは叶えられる。



「――朱き鞭にて踊れ! 呪われた人形のごとく!!」


 言葉に呼応しどこからか発生した朱い鞭が白虎を背後から襲う。

 鞭の攻撃力はいかほどのものだったのだろうか? 白虎を一撃で葬る。


「へ?」


 驚くべきはその後だ。悲鳴をあげ倒れた白虎の身体が数秒後にはかき消える。まるで今まで存在していたことさえ嘘のように。


(これって……やっぱり?)


 現実ではあり得ない状況。これを人はどう呼ぶのか?


「――朱き守りよ、その任を解く」


 声に呼応して今までひかりを覆っていた赤い結界が消滅する。


(やっぱり……残念、私の秘めた能力じゃないんだ)


 予想通りなのは嬉しいができれば期待を裏切って欲しかったという気もする。

「あれ?」


 キーホルダーを見るといつの間にか水晶がなくなっている。落ちたのかと地面を確認するが見つからない。つないでいた紐はそのままなので溶けてなくなったような気がした。


「ひかりちゃん! 大丈夫!」

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