後日談 アーニャ、久しぶりに王宮に戻る、はずの朝。
素敵なレビューを頂きました!
石河翠さま、ありがとうSS!
「アーニャ、アーニャ。起きてください」
旦那さまの落ち着いた柔らかな声がする。ううん、と寝がえりをすると、おでこを撫でられて前髪をすくわれた。
んー……きもちいー……でもしゃむい……
優しい手ざわりと共に触れるおふとんの外の空気が思いのほかつめたくて、アーニャはもふもふの掛布にもぐりこむ。
「むにゃむにゃ、 しゃむいからやぁです……もうちょっとだけ」
「……っ……あなたという人は」
息をのむ音がきこえたかと思うと、そろりと首元に細くておおきな手が入ってきた。
「ん、つめた……っむーーーー!!!!」
くちびるをふさがれたかと思うと朝から濃厚にほんろうされる。ぱしぱしと迫っている胸をたたくのだが、軽く片手で握られると逆にベッドに縫いとめられてしまった。
「んー! んーー!! っぷはっ! ベネットさんっひどひっ」
涙目になりながらやっと開放してくれた薄紫色の瞳を見上げるのだが、夫は悩ましげに眉をひそめながら色気全開でこちらを軽く睨んでくる。
「ななななぜにらむのです?」
「アーニャ、あなたは今日がどういう日か覚えてますか?」
「え? どういう日って……あああっ! 王宮メイドの出仕日っ!!」
「そうです。あなたは今から起きて支度をしなければならないというのに」
「そうでしたっ! やだ、初日から遅刻なんて怒られちゃうっ!! ベネットさん、手をはなしてっ」
前に勤めていた寄宿舎からではなく家から王宮に行くとなると、いつも起きていた時間よりも早く出なければならない。
今、何時かわからないけれどベネットさんはもう支度がすんでる! やばひっ……て、なんで手を放してくれないの?!
あせっているこちらを尻目に、ベネットはなぜか握っている手をさらに指と指を絡ませて解けないようにしてくる。
「え、え、ベネットさん、時間ないんですよね?」
「そう、正確に言えばあと三十分で出なければなりません」
「ち、遅刻するっ!! ね、ベネットさん、手をどけて? 起きられないですって、ひゃんっ」
「ええ、本当に時間がないというのに」
そう言いながらベネットさんは身体を寄せて、ふっと耳元に息を吹きかけてくる。
冷えた空気が流れてきているはずなのに熱く感じて逃げるように首を傾けると、今度は耳朶をはむりと食べられてしまった。
「無防備すぎです。耐えているこちらの身にもなって貰いたいのですが」
「やめやめっ、くすぐった……もうっ! ベネットさんっ!!」
本気で止まらなくなりそうな唇からいやいやして逃げると、はぁ、と悩ましげなため息が降ってきた。
「仕方がないですね」
すっとベネットさんが離れると同時に身体を支えられて、いつのまにか起こしてもらう。
「あああありがとうございます」
寝乱れて少しはだけている寝巻きを掛布で隠して見上げると、ベッドに座ったベネットさんも金色のすこし長めの前髪を掻きあげてこちらを見ている。
撫でつけてあった髪が一筋、ぱらりと落ちた。
ひゅんっと心臓がはねる。
やだやだ、やめてベネットさんっ。
夫の色が出すぎている流し目に顔が赤らんでくるのがわかって、思わず前のめりにもふもふの掛布につっぷした。
「ベネットさん、ひどひ!」
「酷いのあなたです。なぜ出仕日の朝にそんな姿を見せるのですか。愛でる時間もないというのに」
「べ、ベネットさん、だめっ」
今度は手で耳をくすぐられて、あわててアーニャは身を起こして胸の前でばってんを作る。
「わかっています。もうすでに七分を使ってしまった。あなたの支度と髪を整えたら出る時間だ。朝食はパンだけでも食べなければ」
ベネットさんはそう言いながらも、ばってんを作るために伸ばした指をするりと掴んで口づける。
「でもあと三分、私に時間をくれませんか? 支度、手伝いますから」
「べ、ベネットさ……ん……」
アーニャの返事はとけてきえた。
ぽんやりと真っ赤になって動けないアーニャの為に支度を整えてくれるベネットさん。
手のひらサイズのバターパンを持たせてくれ、出来た夫は後ろに回るとアーニャの髪をとかしてくれる。
「もう、自分で、結えるようになったのにぃ……」
「私の楽しみを奪わないでください? さぁ、できましたよ。食べ終えましたか?」
息も耐えだえうらめしげに呟くアーニャに、心持ち嬉しそうなベネットさんの応えと問いが後ろから届く。
「あっ、すみません、もう少し」
アーニャはぱくぱくぱくっと手元のパンを急いで食べて立ち上がる。
「アーニャさん、ありがとうが先です。礼を欠いては心象が悪くなりますよ」
「あ! ……ありがとうございます、ベネットさん」
「よろしい。では行きましょうか、と言いたいところですが、まだですね」
「はひ?」
なにかまだ気づかずにいけないことをしてしまった?
それとも何かお支度でおかしいところがある?
きょろきょろと自分の身の回りを見てみるのだが、ベネットさんが手伝ってくれたおかげで完璧である。
「どうも今日はあなたの罠に嵌る日のようだ」
ベネットさんはそう呟くと、アーニャの顎を捉えて小さな桜色の唇の脇をぺろりと舐めた。
「ベベベベネットさんっ?!」
「私の可愛すぎる妻はこんなところにパンくずを付けてしまうのだから」
きっちり一分三十秒。
パンくずの隣もゆるりと食らう夫に手も足も出ない新妻。
ぽかぽかと叩く小さな手はやがてすがるように夫の外套を掴み、足に力が戻ってくるまで腰を支えてもらいながら二人寄り添い王宮への坂を登っていくのであった。
おひさしぶりです。
石河さまから素敵なレビューを頂きとても嬉しく、お礼にSSをと思い立ちました。
私もどうやらイチャコラが読みたかったみたいです。
あいかわらず二人を書こうとするとこれでもかと砂糖をつぎ込んでしまいますね。そんな仲良しさんを一緒に読んで下さってありがとうございます。
いつかまた二人に会えますように。
2020.4.22 なななん