(シー・イズ)エレクトリック・ジェネレイタ
西暦二千何年かの八月三十一日、錦景市の夏の終わり。
黒須ウタコは紫色の浴衣を身に纏い、団扇を仰ぎ汗を冷やしながら、星座を眺めていた。
静かな夜空。
まだ花火は打ち上がっていない時刻。
ウタコは敷島の陸上競技場の傍、利根川の河川敷に設置された花火大会の会場にいた。その南側には特設ステージが用意されていて、そのステージの上にウタコは立っている。
小さなステージだ。
そのステージの前にはパイプ椅子が四列並んでいて、それが客席だった。用意された客席は少なかったのだけれど、全ては埋まっていなかった。錦景女子高校の軽音楽部のメンバ以外には、これから何が起こるか全く知らないという感じのサンダルを履いたおじいさんと、携帯ゲームに夢中な子供たち、それからエクセル・ガールズのファンと思わしき、ピンクとブルーの半被を纏った気合の入った青年団。客席の向こうに広がる芝生の上には様々な色合いのシートが敷き詰められ、花火の見物客たちでとても賑やかで騒がしいのに、ステージ側はそちらとはうってかわって寂しい感じだった。
このステージで今夜、錦景女子高校のロックンロールバンド、シナノと、それから錦景商業のエクセル・ガールズがライブをする予定になっていた。この二組が選ばれた理由は運営委員会の予算不足によるものだった。予算不足で、プロのミュージシャンを呼ぶことは出来ない、花火大会の会場をある程度賑やかにしてくれればそれでいい、どうせライブを見る見物客は例年通りほとんどいないだろうから、ということで今年はアマチュア、しかも女子高生アーティストを呼ぶことになったようだ。
どういう経緯でシナノとエクセル・ガールズが選ばれたのか、その細かなことは分からないけれど、どうやら裏では錦景第二ビルにあるメイド喫茶ドラゴンベイビーズのオーナである、天之河ミツキが関わっていたようだ。エクセル・ガールズは普段はメイド喫茶ドラゴンベイビーズで働くメイドさんだ。エクセル・ガールズのプロモーションのために、彼女が動いたことは想像に容易い。ミツキは錦景女子高校出身だ。シナノが選ばれたのは、多分彼女が錦景女子高校出身だから。それから、メジャーデビューすることが決まったからだと思う。
シナノはメジャー・デビューすることになっていた。まだこれからの季節のことは全く分からないけれど、予定では一枚のアルバムを発表して、来年の三月に解散する。
それってつまりどういうことかと言うと。
「んふふっ」
伝説を作るっていうこと。
そんな未来を考えると、笑顔が止まらないウタコなのでした。
「大トリは私たちに決まっているでしょう!」
ステージ裏には、楽屋、というには粗末な白い屋根のテントがあった。その下で、シナノとエクセル・ガールズはスタンバイしていて、そこから尾瀬ミハルの罵声が響いたのだ。
ウタコはステージから降りて、裏に回る。
「メジャー・デビューをする私たちに決まっているでしょうが!?」
白いテントの中は珈琲の薫りが充満していた。
武尊アマキと奥白根マミコはパイプ椅子に腰掛け足を組み、ミハルの罵声を余所にインスタント珈琲を優雅に飲んでいた。
「いいえ、そんなこと決まってませんっ!」
ミハルに負けず劣らずの鋭い罵声を響かせたのはエクセル・ガールズの、自称マネージャの水野レナ。彼女は錦景商業ではなくてなぜか中央高校の二年の女子だった。「最後を飾るのは私の、私だけの二人の天使だわ!」
どうやらミハルとレナはどちらが大トリをやるかで揉めているようだった。睨み合っているのは二人だけで、アマキとマミコと同じように、エクセル・ガールズの森永スズメと橘マナミは優雅にインスタント珈琲を飲んでいた。スズメはレナの背中に向けれ苦笑しながら言う。「私たちはレナちゃんだけの天使じゃないよ」
レナはスズメの方に振り返り悲痛な表情をして言った。「いじめないでよぉ、スズメちゃん」
「いじめてないよ」スズメはレナのことを睨み言った。
そして謎の沈黙が発生。
「へっくしょん!」迷彩柄のタンクトップにホットパンツにミリタリーブーツという装いのアマキが盛大なくしゃみをした。「ああ、ちくしょ」
「私たち、シナノだわっ!」気を取り直して、という感じがミハルが怒鳴った。
「いいえ、エクセル・ガールズですっ!」レナも怒鳴り返す。
二人は顔を近づけて「がぉ」ってな具合で獣みたいな顔をして睨み合った。
紫色の火花が二人の間でバチバチと散っていた。
なんちゃって。
「はぁ」
ウタコはそんな二人を見て小さく息を吐き、そしてテントの隅に置いていたアコースティックギターを手にしてテントから逃げるように走って離れた。
いつものウタコだったらきっと、ミハルに加勢するんだけれど。
なんだか、そんな気分になれなくて。
最後なんてどっちでもいい。
なんていうか。
凄く。
歌を歌いたい気分だった。
音楽に身を委ねたい気分だったので。
それを誰にも邪魔されたくなくって。
だから。
歌わせて。
ウタコはステージ裏のテントから少し離れた先の芝で覆われた斜面に腰掛けて、ギターを鳴らした。
そして歌った。
彼女は発電機。
らんらんらぁって。
夏のカーテンコールを感じながら。
一人で嬉しくなりながら。
錦景市の夜空を見上げてセンチメンタルになりながら。
花火を待ちながら。
「おぅいえ、抱き締めなきゃあ♪」
最後は乱暴に弦を振るわせた。
そして。
耳に響いたのは誰かが傍で手を叩く音。
はっと横を見て、ウタコは驚いた。「あなた」
伊香保温泉で出会った、彼女は発電機のモチーフになった、彼女がウタコの隣に腰掛けて座り、笑顔で手を叩いていたのだ。「いい曲ね、凄く好きだわ、なんて曲なの?」
「えっと、えっと、」ウタコは突然の彼女の登場に戸惑いながらも精一杯伝えようと思った。「これは、その、これはあなたの曲よ」
「私の曲?」
「そう、彼女はエレクトリック・ジェネレイタ」
そして発電機の彼女にシナノのメジャー・デビューが決まったこと、一枚のアルバムを出して解散すること、そして伝説になること、それからこの夏にあった様々な出来事を、なぜか夢中でウタコは彼女に話した。
彼女に聞いて欲しかった。
だから話したんだ。
でも。
どうしてだろう。
分からない。
「ああ、ごめんなさい、私ばっかり話してしまって」
「よかった」
「え、よかった?」
「うん、」彼女は優しい笑顔で頷き、自分の膝に顔を埋めた。そしてすぐに顔を上げて夜空に向かって叫んだ。「続きがあって、本当によかった!」
ウタコは突然の大きな声に吃驚して目を大きくする。
その瞬間だった。
最初の花火が打ち上がった。
ひゅうっと空気を鳴らし、夜空で弾けて光が回転するように動いて花を咲かせた。
紫色の向日葵が見えた。
それを皮切りに次々に花火が打ち上がる。
しばらく花火の色とりどりの閃光に見惚れていた。そしてふと、横を見ると彼女はすでにそこにはいなかった。
あれ、いつの間に?
周囲を見回す。
どこにもいない。
本当にどこに行ってしまったんだろう?
まだ名前も聞いてなかったのにな。
「ウタコ!」
花火の破裂する音に混じって背中の方からミハルが呼ぶ声がした。「ウタコ、ねぇ、どこにいるの!?」
「はい、ここに、」ウタコは立ち上がり、ミハルに返事をした。「私はここにいますっ!」
「ウタコ、やったわ!」ミハルの声のテンションは高かった。ミハルはこちらにウサギみたいに跳ねながら走ってくる。
「え、何がですか、何をやったんですか?」
「綺麗ね、」ミハルは途中で跳ねるのを止めて、花火を見つめながらウタコの方にやって来る。「純粋で濁りがない、っていう感じね、んふふっ」
ウタコはそんな風に言うミハルの顔をじっと見つめてから、彼女の体を認可も得ずに抱き締めた。
「え、ちょっと、なぁに、急に?」ミハルは吃驚したみたいだ。
認可も得ずに抱き付いたのは、多分今が初めてだった。
「んふふっ、なんでもありません」
ウタコはミハルの唇に自分の唇を重ねた。
認可も得ずにキスするのは、今が初めてだった。
「え、なんなの?」ミハルの声は笑っている。でも、戸惑っている。ミハルをそんな風に困らせるのは、なんだか、楽しかった。「ウタコってば、可笑しいんだから、ああ、ウタコ、私、やったの、勝ったのよ」
ミハルは拳を持ち上げて言った。
「ああ」
どうやら最後はじゃんけんで勝負を付けたようだ。ミハルは満点の笑顔だった。
そしてステージの方から音楽が流れて来た。
エクセル・ガールズの踊れるダンス・ナンバ、エクセル・ディスコ。
ディスコティックに踊りたくなって。
二人は手を繋ぎ客席に向かって走った。
この夏はまだ続く。
この夏の回転はまだ、止まらないでいて。




