バレンタインズ12(トゥエルブ)
江坂が三国に逢ったのはほぼ一年ぶりのことだった。
「三国? お前、三国なのか?」
「それ以外の誰かに見えるか? 江坂」
江坂の記憶が正しければ、三国は下着泥棒で捕まり、警察のお世話になっていたはずだ。
「久しぶりだな。いつ出てきたんだ」
「拘置所には入っていない。初犯だったから説諭で帰してくれたんだ」
三国が初犯どころか下着ドロの常習犯であることは、仲間たちだけが知っている事実だった。
「それで、何の用だ」
「あの日が近づいているんだ。決まっているだろう」
江坂はナツミカンスピリットを一本くわえると、火をつけた。
「今度は何を盗む?」
「もちろんチョコレートだ」
持ち運びに便利な軽量ラジカセからスパイ大作戦のメインテーマが流れている。狭いワゴンの中には三人の男。安物のヘッドセットをつけ、色々なキーやスイッチのついた機材の前に座っている。彼らにとっては見慣れた光景だった。
「アルファよりチャーリィへ。そちらの準備はどうだ」
「万全だ。いつでもいけるぜ」
スピーカーから返ってきた言葉まで以前と同じだ、とアルファこと江坂は思った。江坂の隣りに座る南方がバンドを調節し、感度を良好にする。この一年の間に、南方は趣味の盗聴技術と共に無線の操作技術も飛躍的に向上させていた。
「アルファよりブラボーへ。行動を開始してくれ。迅速に、しかし確実に、だ」
「了解」
やはり以前と同じやりとりを繰り返し、作戦は始動した。
目標は、町内一の巨乳美女と噂の小張トウコのチョコレートだ。
三国、淀屋、田辺のスリーマンセルがオートロックの自動ドアへ、音を立てず近づいていく。淀屋は大学では野球部、田辺はラグビー部に所属している。彼らの身体能力にベテラン三国の技術が加われば潜入できない場所はない、と江坂は思っている。ちなみに彼らの所属している二つの部は、現在集団痴漢行為が発覚して活動停止中だ。
三国がオートロックに正確なパスコードを打ち込み解除する。パスコードは事前に南方が抜き出していた。この辺りの準備は、抜かりない。
「解除したぞ」
「よし行け。88888号室だぞ」
三人が非常階段を上がっていく。それに連動して、ビルの裏側からは守口、中崎、鶴見が仕掛けたロープを伝い、ベランダへの侵入を開始する。入り口と裏口。不測の事態に備え、両方から仕掛けるのが江坂のやり方だった。彼ら三人は学生時代から覗きとクライミングの名手として慣らした男たちだ。この程度のことは朝飯前だった。
「ブラボーよりアルファへ。ターゲットは室内にいる模様。どうする?」
「何だって?」
おかしい。この時間には、小張トウコは短大へと行っているはずだ。
南方から提出されたデータに素早く目を通す。小張トウコは真面目な性格で、この日この時間の講義は一度も休んだことがない。
「ブラボーよりアルファへ! 緊急事態だ! ターゲットは我々の行動に感付いている! あのアマ、用心棒を雇い……うわあっ!」
三国の断末魔がスピーカーを通じてワゴン中にこだました。江坂と南方、ドライバーの森ノ宮が同時に耳を塞ぐ。
そして、スピーカーが伝えるのはただの砂嵐になった。
「……いったいどこから漏れたんだ」
森ノ宮が呻く。蒲生のヤツだ、と江坂は感付いた。前回のミッションで、イズミとの両想いが発覚した蒲生。当然のごとく江坂たちは蒲生を袋叩きにし、盗撮、覗き、痴漢などヤツが今まで行ってきた悪行を町中に公にした。裏切り者に対する鉄の制裁だ。
ヤツがそのことを恨んで、俺たちの先回りをし、ターゲットに情報を漏らした。考え得ることだった。そもそもこの町内で江坂たちと同等に張り合える男といったら、ヤツしかいない。
「アルファよりチャーリーへ。ブラボーがやられた。突入を急いでくれ」
「今ベランダに取り付いた! 普段着用のブラを発見! ちくしょう! こいつはどう見てもBカップだ! あの女、パットをつけてやがった!」
「……情報管理が甘かったか」
江坂は昨年末に盗撮した小張トウコのミニスカサンタ姿を思い浮かべた。あのときに、胸の張り出し方が少し不自然だとは思っていたのだ。
江坂はヘッドセットの位置を直した。
「アルファよりデルタへ。君たちの出番だ。頼む」
植え込みで待機していたデルタチームが自動ドアを抜け、高層マンションのビル内へ消える。デルタチームの平林は空手二段。九条は柔道と合気道初段。チームの中で最も危険な二人だった。
「俺も出る。南方、森ノ宮。バックアップを頼む」
二人が驚いたように江坂を見た。
「江坂さん。どうしてあなたまで」
「三国はともかく、淀屋と田辺がやられたとなると、用心棒は相当の手練れだ。あの二人だけでは不安だ」
引き留めるような南方の視線を無視して、江坂は覆面をかぶった。
「引き上げるべきだ、江坂。いつものあんたなら、情報が漏れていたと気付いた時点でそうすると思うがね」
森ノ宮が煙を江坂の覆面に吐きかける。江坂は顔の前で掌を動かした。
「前回、三国が言ったことを覚えているか?」
江坂は二人の瞳を睨み返した。
「三国は言った。来年がある、来年がある。そう言い続けてここまで戦果ゼロを続けてきたんだ。もう、俺はこれ以上耐えられない……と」
二人は無言で江坂の言葉を聞いていた。
「あのときの三国の言葉があったから、俺たちはミッションをやり遂げることができた。あの一言があったから、今の俺たちはあるんだ。誰一人この世の中に絶望することなく、生きていけているんだ」
江坂はエアガンを抱え、安全装置を解除した。
「世間は俺たちのことを変態だの犯罪者だのというだろう。だが、これは俺たちの生き甲斐だ。俺たちの生きている証なんだ」
ワゴンのドアが開け放たれた。
「社会からは抹殺されようとも、魂は死なない。俺は、行く」
ドアが閉ざされた。灰色の巨塔へと歩んでいく江坂の後ろ姿を、四つの瞳が眺めていた。
「……やるしか、ねえか」
「そうですね」
88階にたどり着いた江坂が見たのは、この世のものとは思えない光景だった。
リノリウムの床に、淀屋と田辺が倒れている。完全に昏倒しているようだ。そして、傷だらけの平林と九条が片膝をついて、虫の息で立っている。そして88888号室の前にいるのは。
「……タコ? いや、火星人か!」
南方のデータに、小張トウコの趣味が宇宙との交信とロズウェル巡りとあったのを思い出した。
火星人が八本の触手のうちの六本を伸ばし、平林と九条を攻撃する。合気道の使い手である九条が必死で防御するが、鞭のようにしなる触手はつかみどころがなく、二人はさらに傷を増やした。
「平林! 九条! 援護する!」
江坂はエアガンをフルオートで撃ち放つ。火星人は弾幕を三本の触手で払い抜けると、江坂に突進してきた。
「ちっ!」
伸びてきた触手をバックステップでかわす。だが、左側からフック気味に出てきた別の触手の直撃を受け、江坂は壁に叩きつけられた。
スピード、パワー共に地球人とは桁違いだ。それに、この変幻自在の触手。淀屋たちがやられるのも無理はない、と江坂は思った。
首筋に火星人の触手が巻き付く。そのまま持ち上げられた。息が詰まる。
これで終わりか、と薄れ行く意識の中で江坂は思った。
江坂を覚醒させたのは、耳元で響いた南方の叫びだった。
「チャーリー、ベランダより室内への侵入完了! ターゲットはチャーリーに気付き、現在ベランダへ! 今がチャンスです!」
88888号室のドアの向こう側から、女性の叫び声が聞こえた。火星人の意識がそちらへ向く。
江坂は隙を逃さず、火星人の顔面にほぼ零距離でエアガンを連射した。
火星人は意味不明の叫びをあげた。
「おりゃあッ!」
平林が最後の力を振り絞り、渾身の正拳突きを放つ。その一撃を受けた火星人は、ついに床に倒れ伏した。
江坂はふらつく足を動かし、壁を伝って88888号室のドアに手をかけた。ドアは音もなく開き、ピンクと白が多くを占める内装が目に飛び込んできた。
靴も脱がず絨毯に足を踏み入れる。左手に見つけたタンスの下から二段目を開くと、様々な色合いの女性下着と共に焦げ茶色の箱が仕舞われていた。
江坂は箱もろとも、下着を両手いっぱいに抱えた。ヘッドセットは、何とか江坂の頭にくっついていた。
「アルファより総員へ。ミッションクリアー。総員撤退せよ」
ワゴンに詰め込まれた十人の男たちは、互いに何度もハイタッチを繰り返していた。
喜びを共有し、チョコレートの小箱と下着の山を中心にひとしきり盛り上がったあと、江坂は淀屋と田辺に尋ねた。
「ところで、三国はどうした?」
二人は顔を見合わせた。
「さあ……。俺たちよりは長くヤツの攻撃に耐えていたはずだが……。江坂も知らないのか?」
「俺たちが着いたときには、お前たち二人しか転がっていなかった」
平林が言うと、九条も頷いた。
「これが、アブダクションというやつか」
ムー民でもある鶴見の一言に、皆が妙に納得した。ムー民というのは怪しい科学雑誌を購読している人々の総称のことだと、宇宙から解説が入った。
あいつならどの星に行っても己の生き様を見つけるだろう。江坂はそう思った。
ワゴンが四つ辻を左折した。
「ちょっと停めてくれ」
江坂が森ノ宮に指示した。森ノ宮がブレーキをかける。
「やり残したことを思い出した。先に行っておいてくれ」
そういい残すと、江坂はワゴンのドアを開け、飛び降りた。
後方から質問の声が飛んでくるが、無視して歩みを進める。一軒の家の前で足を止めた。
表札を見る。イズミと記してあった。そして、門の前には一人の男。
「三国……。いや、蒲生」
振り返った男の顔は、三国。そういえば三国と蒲生は顔つきがよく似ていたと思い出した。
「さすがは江坂だ。いつ気がついた?」
にやけた笑い顔を崩さず、蒲生は問いかけた。
「情報が漏れていたとわかったときだ。お前が本気で復讐を考えるなら、整形くらいは厭わないだろうと想像した」
「どちらにせよ、蒲生のままではこの町で生きていけないからな。お前たちのおかげで」
顔は笑っていても、その奥の目は笑っていない。
「本物の三国はどこだ」
「拘置所の中さ。下着泥棒で捕まったという噂は本当だ」
最初からすべて仕組まれていたということか、と江坂は苦々しく思った。
「しかし、なぜなんだ蒲生。復讐をしたいだけなら、こんな手の込んだことをしなくても……」
「またやってみたくなったのさ。ミッションを」
蒲生はイズミ家を見上げた。
「ひりつくようなスリル。あれをもう一度、感じてみたくなったんだ。お前たちと……そして俺自身の力を、もう一度試してみたかったんだ」
江坂はただ蒲生を見ていた。こいつも俺と同じだ。俺たちと同じだ。自分の生きる道を、探している。自分の生きた証を、どこかに残したがっている。
そしてこいつの生きる道を、俺たちは奪ったのだ。
「俺たちは……十一人じゃなく、十二人でミッションをこなしたんだな」
「ああ。バレンタインズトゥエルブ、だ」
ナツミカンスピリットの箱を取り出し、一本くわえる。ライターで火をつけようとするが、指が震えて思い通りにいかない。
「俺たちの力はどうだった」
「予想以上だったよ。楽しませてもらった」
予想以上だったのはお前の頭脳だ、と江坂は心の中で言い返した。
蒲生が身を翻した。背中が遠ざかっていく。
「また……俺たちと組む気はないのか?」
背中に江坂は問いかけた。
蒲生が右手を挙げた。その手には、焦げ茶色の小箱が掴まれていた。
「気が向いたら、な」
蒲生は自らの道を歩き出した。小さくなっていくその背中を、江坂はただ見つめ続けていた。
(完)




