59.観測対象
隔離区画は封鎖された。
防火扉が閉まり、機械式ロックと電子ロックが重なる。
内部は減圧こそしていないが、空調は独立系統に切り替えられた。
外気との循環は遮断。
排気はフィルターを三段階通す。
微粒子・有機物・未知成分すべてを想定した設定だ。
万一に備えた処置だ。
隔離区画前には武装警戒員が二名。
銃は構えていない。だが安全装置は外れている。
照準は床。
引き金にかかる指は、ほんのわずかに力を帯びている。
廊下は静まり返っている。
だが静寂は安心ではない。
音がないことが、逆に圧迫感を生む。
だが解析室では分解は行われていない。
分解は好奇心ではなく、責任を伴う行為だ。
未知の機構に触れることは、危険を開くことでもある。
触れた瞬間に何が起きるか分からない以上、
不用意な接触は戦術的愚行だ。
未知は、敵と同義だ。
「本艦での詳細分解はできないな。」
艦長の判断は即断だった。
迷いはない。
それは慎重さではなく、役割の理解だ。
あさひは前線の刃であり、研究所ではない。
刃は切るためのもので、解体するためのものではない。
「未知装備。意図的反応あり。危険性評価未確定。」
CICに沈黙が落ちる。
オペレーターの指は止まらない。
キー入力は続く。
だが空気が重い。
誰もが同じ疑問を抱いている。
“これは何だ。”
あさひは戦闘艦だ。
研究艦ではない。
火力と探知に最適化された艦であって、未知現象を扱うための艦ではない。
その境界を越えれば、任務を逸脱する。
逸脱は、判断の曖昧さを生む。
曖昧さは、死を招く。
「データは全て本国へ即時転送。」
光ファイバー経由で波形・映像・音声データが送られる。
発光時のフレーム単位映像、音声スペクトル解析、微振動波形。
空気密度変化のログ。
監視カメラのブラックアウト時間。
生体反応の変動。
全てが暗号化され、陸へと流れていく。
海上で完結する問題ではない。
数分後、返信。
短い文面だが重い。
『分解禁止。現状維持。専門部隊派遣を検討。』
さらに追記。
『可能であれば観測艦しょうなんへ移送。』
判断は迅速だ。
それだけ重大ということだ。
陸も、これを“通常案件”とは見ていない。
艦長は頷く。
「ヘリ搬送準備。」
格納庫でローター整備が始まる。
整備員が無言でボルトを確認する。
輸送計画が即座に組まれる。
飛行経路、風向、燃料、交代要員。
敵兵は隔離されたまま。
装備も分解せず密閉容器へ。
輸送コンテナは電磁遮断仕様。
内部環境は一定温度に保たれる。
振動緩衝材が敷き詰められる。
衝撃を与えないための配慮だ。
医療区画では生体データを継続取得。
心拍は安定。
血圧も正常範囲。
だがストレス反応がほとんどない。
アドレナリン上昇も軽微。
戦闘直後の捕虜とは思えない。
恐怖も混乱もない。
“計算”だけがある。
そのとき。
隔離区画の環境センサーが反応する。
「空気密度、微変動。」
通常では起きない数値。
誤差範囲とも言える。
だが直前の事象と重なる。
敵兵が目を開く。
そして――
意図的に、ゆっくりと、音を発する。
今度は短い。
明確な発声。
抑揚がある。
意味がある。
目的がある。
胸元の紋様が発光。
今度は五秒。
先ほどより長い。
光は脈打つように強弱を持つ。
一定のリズム。
まるで信号。
監視カメラが一瞬ブラックアウト。
電源系統は正常。
しかし映像だけが落ちた。
ログにはエラーが残らない。
記録媒体だけが、空白を示す。
空白。
物理的痕跡がない妨害。
「……妨害か?」
敵兵は微笑している。
初めて、明確な感情が浮かぶ。
恐怖でも混乱でもない。
優越。
自分が“理解されていない”ことを知っている者の表情。
まるで言っているかのようだ。
“これは理解できないだろう。”
CICに緊張が走る。
その瞬間、艦内の誰もが同じことを思う。
これは事故ではない。
実験だ。
こちらの反応を観察している。
艦長は短く命じる。
「しょうなんとの合流を最優先。」
戦闘は終わった。
だが――
未知との接触は、今始まった。
――――――――――
ワラマンガ機関区画。
蒸気と油の匂いが混ざる狭い空間で、応急班が膝をついている。
工具が軋み、ボルトが締め直される。
汗が床に落ちる。
「主機第一系統、軸受損傷。」
「第二系統、回転可能。ただし振動大。」
海水はすでに排出され、止水は完了している。
だが推進軸は歪んでいる。
回転はする。
だが完璧ではない。
振動が金属を伝う。
規則的ではない振動。
内部疲労が進めば、再び止まる可能性もある。
「全力は無理だ。」
機関長が短く言う。
「三ノット……いや、二・五が限界。」
それでも回る。
それは“生きている”ということだ。
完全停止は、敗北を意味する。
CICへ報告が入る。
『ワラマンガ、微速前進可能。』
あさひ艦長は即座に判断する。
「曳航は行わない。」
曳航すれば、あさひの機動が制限される。
未知の敵がいる海域で、それは危険だ。
「自走で移動。あさひは外周護衛。」
通信回線が開かれる。
『目的地はオーストラリア。ダーウィンを想定。』
政治的にも現実的な選択。
ワラマンガ艦長の声は疲労しているが、はっきりしている。
『了承。本艦、微速航行開始。』
艦体がわずかに震える。
ゆっくりと、ゆっくりと前へ進む。
速度二・七ノット。
海図上ではほとんど動いていないように見える。
だが停止ではない。
それが決定的に違う。
あさひはワラマンガの左舷側、五百メートル外側を並走する。
距離は近すぎず遠すぎず。
即応可能な間合い。
レーダーは全周警戒。
ソナーは断続的にアクティブ照射。
しょうなんはやや後方で観測を継続する。
三艦は隊形を組む。
三角陣形。
中央に損傷艦。
外周に防護。
それは戦時の陣形だ。
空は静かだ。
だが、静けさは安心を意味しない。
ワラマンガの甲板では、乗員が損傷部を再確認している。
砲塔はまだ動く。
弾薬庫は無事だ。
だが速度が出ない艦は、逃げられない艦だ。
それは誰もが理解している。
CIC。
「現在速力二・六。振動上昇傾向なし。」
「推進軸、持ちそうです。」
航路が引かれる。
オーストラリア北部。
約八百海里。
この速度では数日かかる。
長い。
あまりにも長い。
その間、何も起きない保証はない。
あさひ艦長は窓の外を見る。
海は穏やかだ。
しかし彼は知っている。
この移動そのものが、外交問題になる。
敵覇権国家の兵を収容し、
未知の現象を観測し、
損傷艦を他国へ護衛する。
すでにこれは、単なる戦闘の後処理ではない。
国際事案だ。
ワラマンガ艦橋。
艦長がゆっくりと海を見つめる。
速度は出ない。
だが沈まない。
それで十分だ。
あさひが伴走している。
その存在が、事実上の防壁になっている。
だが守られているのは艦だけではない。
この世界の均衡だ。
そのとき。
しょうなんから通信が入る。
『局所空間振動、微弱ながら持続検出。』
発信源は――
ワラマンガ。
正確には、その近傍。
あさひCICに緊張が走る。
敵兵は隔離中だ。
だが現象は消えていない。
距離が離れても、反応は持続している。
それは偶発ではない可能性を示す。
振動は周期を持ち始めている。
まるで、何かの同期を取るように。
まるで、座標を合わせるように。
ワラマンガはゆっくり進む。
あさひはそれを守る。
だが誰も確信は持てない。
これは退避航行なのか。
それとも――
何かに“導かれている”のか。
海は静かだった。
だが、静けさはもはや平穏ではなかった。
その静寂の下で、
目に見えない何かが、確実に動き始めていた。
ここまで書いてみましたが、
設定が固まりきってなくその場その場で追加している状態で、
一度止めて設定を一から組み直します。
いい感じの部分は残しつつ、
ちゃんとした土台を作ってから最初から書き直します。
ここまで読んでくださっている方々に読んでくださった感謝と謝罪を申し上げます。




