18.測る国
キャンベラ。
国防省地下、状況統合室。
照明は落とされていない。
むしろ、必要以上に明るい。
影を作らないためだ。
表情を曖昧にしないためでもある。
ここは、
緊張を演出する場所ではない。
恐怖を共有する部屋でもない。キャンベラ。
国防省地下、状況統合室。
照明は落とされていない。
むしろ、必要以上に明るい。
天井灯は影を作らない配置で固定され、
壁面スクリーンの光量も抑えられていない。
暗転も、演出もない。
影を作らないためだ。
表情を曖昧にしないためでもある。
ここは、
緊張を演出する場所ではない。
恐怖を共有する部屋でもない。
怒号も、
沈黙も、
感情的な判断も、
最初から想定されていない。
事実を並べ、
仮説を許容し、
結論を急がないための空間。
判断を“止める”ためではなく、
判断を“遅らせる”ために作られた部屋だ。
壁面スクリーンには、
空域の広域図。
複数レイヤーで重ねられた航跡ログ。
断続的に更新される通信の断片。
各航空基地からの定期報告、
早期警戒機の追跡ログ、
艦隊司令部からの位置情報、
それらが秒単位で時刻を刻みながら
無機質に積み上げられている。
どの情報も、
「異常」とは表示されていない。
警告色も、
強調表示もない。
それが、
この部屋の空気を
かえって張り詰めさせていた。
それらの中央に、
一つの映像だけが固定されていた。
日本機と並走する、
自国のF-35。
画面が切り替わっても、
拡大されても、
解析画面に移っても、
その映像だけは消えない。
意図的に残されている。
どちらも、
機首を向けていない。
どちらも、
背を見せていない。
距離は一定。
高度差も最小限。
互いの存在を、
過不足なく意識した配置。
均衡した距離。
意図の読める間合い。
そこには、
偶発性がない。
「……確認するが」
防衛次官が口を開く。
声は低く、
感情を含まない。
「日本側は、
敵対行動を
一切取っていないな」
それは質問ではなく、
確認だった。
すでに答えを知った上での、
最終確認。
「はい」
情報将校が即答する。
「照準動作なし。
火器管制レーダー照射なし。
電子妨害の兆候もありません」
「回避機動は?」
「不要と判断しています。
距離は終始、管理下です。
意図的に“詰めていない”」
次官は、
スクリーンから視線を外さずに言った。
「意図的だな」
誰も否定しない。
否定する理由が、
どこにもない。
「彼らは、
“確認はするが、定義はしない”
という態度を取っている」
それは評価ではなく、
観測結果だった。
日本側の行動は、
過剰でも、
不足でもない。
定義を与えれば、
次の段階に進まなければならなくなる。
その一線を、
意図的に踏まない。
室内に、
短い沈黙が落ちる。
「……日本らしいですね」
誰かがそう呟き、
すぐに口を閉じた。
ここは、
印象を共有する場ではない。
「問題は」
次官が、
ゆっくりと椅子に深く腰をかける。
「こちらが、
どう振る舞うかだ」
スクリーンに映るF-35は、
変わらず安定した姿勢を保っている。
燃料消費。
推力配分。
操舵角。
すべてが、
“通常”の範囲内だ。
緊急対応ではない。
即応でもない。
計画飛行として、
成立している。
「日本は、
沈黙を維持するだろう」
「はい。
少なくとも、
政府としての公式発表は
当面ありません」
「隠し通せると?」
情報将校は、
一瞬だけ言葉を選んだ。
「……日本国内では、
しばらくは可能でしょう。
制度も、
世論も、
まだそれを許容しています」
「だが、
我々は違う」
その一言で、
室内の空気がはっきりと切り替わる。
「この現象は、
“国内問題”として
閉じられない」
別の将校が補足する。
「我が国の位置が、
日本の北にある以上、
空域の接続は
偶発では説明できません」
「一度ではなく、
繰り返し確認されています」
「否定は困難です」
次官は頷いた。
「沈黙を選ぶ、ということは、
確認を拒む、ということだ」
「我々には、
それができません」
それは、
政策でも、
理想でもない。
意志というより、
国家の性質だった。
オーストラリア政府は、
転移以来、
一貫して同じ姿勢を取っている。
分からないなら、
確かめる。
確かめられるなら、
実際に行く。
危険かどうかではない。
“可能かどうか”が判断基準だ。
それは、
外交的に安全な態度ではない。
だが、
この国は
その不安定さを引き受けて
成り立ってきた。
「日本と連携する」
次官が言う。
「ただし、
日本の“沈黙”を
破らない形でだ」
「具体的には?」
「政府同士ではない。
軍同士だ」
即答だった。
「現場と現場を直接つなぐ。
データは共有する。
判断は委ねる。
だが、
言葉にはしない」
「頻度は?」
「上げる」
迷いはなかった。
「隠せなくなるまで、
確認を続ける」
それは、
前進の宣言であり、
同時に覚悟だった。
「日本国内で、
我が国の機体が
頻繁に目撃されれば、
いずれ噂になる」
「ええ」
「国際線が消えた空で、
外国軍機だけが
定期的に飛んでいる理由を、
誰かが問い始める」
沈黙。
「その時、
日本政府は
どうすると思う?」
情報将校は、
少し間を置いて答えた。
「……認めるしかありません」
「だろうな」
次官は、
短く息を吐く。
「我々は、
日本を追い込むつもりはない」
「だが、
世界を確認することは、
やめない」
それは、
支援でも、
圧力でもない。
ただの姿勢。
だが、
退かない姿勢だ。
「命令を出せ」
次官が言う。
「北方ルート、
定期確認飛行を開始」
「日本側とは?」
「事前連絡。
完全共有。
だが、
公表はしない」
「了解しました」
命令が流れる。
この瞬間、
オーストラリア政府は
一線を越えた。
まだ、
世界が何であるかは分からない。
ここが地球かどうかも、
確定していない。
だが、
空が続いている以上、
確かめないという選択は
存在しなかった。
日本は、
沈黙を守る国だ。
オーストラリアは、
沈黙を測る国だ。
どちらが正しいかは、
まだ分からない。
だが、
両者が同時に動いたことで、
一つだけ確かなことが生まれた。
この世界は、
もう
一国では隠しきれない。
境界は、
すでに破れている。
そして今度は、
音を立てて、
広がり始めていた。
事実を並べ、
仮説を許容し、
結論を急がないための空間。
判断を“止める”ためではなく、
判断を“遅らせる”ために作られた部屋だ。
壁面スクリーンには、
北方空域の広域図。
複数レイヤーで重ねられた航跡ログ。
断続的に更新される通信の断片。
各航空基地、
各艦隊、
早期警戒機から上がってくる報告が
秒単位で時刻を刻みながら積み上げられている。
それらの中央に、
一つの映像だけが固定されていた。
日本機と並走する、
自国のF-35。
拡大されても、
切り替えられても、
その映像だけは消えない。
どちらも、
機首を向けていない。
どちらも、
背を見せていない。
距離は一定。
高度差も最小限。
互いの存在を、
過不足なく意識した配置。
均衡した距離。
意図の読める間合い。
「……確認するが」
防衛次官が口を開く。
声は低く、
感情を含まない。
「日本側は、
敵対行動を
一切取っていないな」
それは質問ではなく、
確認だった。
「はい」
情報将校が即答する。
「照準動作なし。
火器管制レーダー照射なし。
電子妨害の兆候もありません」
「回避機動は?」
「不要と判断しています。
距離は終始、管理下です。
意図的に“詰めていない”」
次官は、
スクリーンから視線を外さずに言った。
「意図的だな」
誰も否定しない。
否定する理由が、
どこにもない。
「彼らは、
“確認はするが、定義はしない”
という態度を取っている」
それは評価ではなく、
観測結果だった。
室内に、
短い沈黙が落ちる。
「……日本らしいですね」
誰かがそう呟き、
すぐに言葉を止めた。
ここは、
印象を共有する場ではない。
「問題は」
次官が、
ゆっくりと椅子に深く腰をかける。
「こちらが、
どう振る舞うかだ」
スクリーンに映るF-35は、
変わらず安定した姿勢を保っている。
燃料消費。
推力配分。
操舵角。
すべてが、
“通常”の範囲内だ。
「日本は、
沈黙を維持するだろう」
「はい。
少なくとも、
政府としての公式発表は
当面ありません」
「隠し通せると?」
情報将校は、
一瞬だけ言葉を選んだ。
「……日本国内では、
しばらくは可能でしょう。
制度も、
世論も、
まだそれを許容しています」
「だが、
我々は違う」
その一言で、
室内の空気がはっきりと切り替わる。
「この現象は、
“国内問題”として
閉じられない」
別の将校が補足する。
「我が国の位置が、
日本の北にある以上、
空域の接続は
偶発では説明できません」
「一度ではなく、
繰り返し確認されています」
「否定は困難です」
次官は頷いた。
「沈黙を選ぶ、ということは、
確認を拒む、ということだ」
「我々には、
それができません」
それは、
政策でも、
理想でもない。
意志というより、
国家の性質だった。
オーストラリア政府は、
転移以来、
一貫して同じ姿勢を取っている。
分からないなら、
確かめる。
確かめられるなら、
実際に行く。
危険かどうかではない。
“可能かどうか”が判断基準だ。
それは、
外交的に安全な態度ではない。
だが、
この国は
その不安定さを引き受けて
成り立ってきた。
「日本と連携する」
次官が言う。
「ただし、
日本の“沈黙”を
破らない形でだ」
「具体的には?」
「政府同士ではない。
軍同士だ」
即答だった。
「現場と現場を直接つなぐ。
データは共有する。
判断は委ねる。
だが、
言葉にはしない」
「頻度は?」
「上げる」
迷いはなかった。
「隠せなくなるまで、
確認を続ける」
それは、
前進の宣言であり、
同時に覚悟だった。
「日本国内で、
我が国の機体が
頻繁に目撃されれば、
いずれ噂になる」
「ええ」
「国際線が消えた空で、
外国軍機だけが
定期的に飛んでいる理由を、
誰かが問い始める」
沈黙。
「その時、
日本政府は
どうすると思う?」
情報将校は、
少し間を置いて答えた。
「……認めるしかありません」
「だろうな」
次官は、
短く息を吐く。
「我々は、
日本を追い込むつもりはない」
「だが、
世界を確認することは、
やめない」
それは、
支援でも、
圧力でもない。
ただの姿勢。
だが、
退かない姿勢だ。
「命令を出せ」
次官が言う。
「北方ルート、
定期確認飛行を開始」
「日本側とは?」
「事前連絡。
完全共有。
だが、
公表はしない」
「了解しました」
命令が流れる。
この瞬間、
オーストラリア政府は
一線を越えた。
まだ、
世界が何であるかは分からない。
ここが地球かどうかも、
確定していない。
だが、
空が続いている以上、
確かめないという選択は
存在しなかった。
日本は、
沈黙を守る国だ。
オーストラリアは、
沈黙を測る国だ。
どちらが正しいかは、
まだ分からない。
だが、
両者が同時に動いたことで、
一つだけ確かなことが生まれた。
この世界は、
もう
一国では隠しきれない。
境界は、
すでに破れている。
そして今度は、
音を立てて、
広がり始めていた。




