754 被害が出るレベルだった
「そんなことになっていたとは……」
フェーダから事情を聞いたカーターが唸る。
スマートな振る舞いを見せることが多いカーターが怒りに体を震わせていた。
表情こそ険しい程度で激怒しているようには見えなかったが。
発散されている怒気は殺意にも等しい。
『こりゃあ冷静な判断は難しいか』
少し頭を冷やす必要があるだろう。
そう考えて流れを変えるべく俺が発言しようと思ったのだけれど。
そのタイミングで何人かが慌てて集まりから離脱。
尋常でない臭気にやられてしまったようだ。
そして少し離れた場所でうずくまる。
『食べてすぐにあの臭いはキツいよな』
その後のことは推して知るべしなことになったのは言うまでもない。
どうにか我慢していた使用人たちの多くが犠牲となった。
他に被害者としてカウントされたのはダニエルや一部の騎士たちもだ。
俺は分解の魔法を使って即座に対処した。
でないと他の面子まで連鎖的にやられそうだったし。
あとは軽く治癒魔法も範囲魔法で使っておく。
うずくまっていた面々が楽になったようで顔色が良くなった。
ただ、臭いが消えた訳ではない。
そのため気分の悪さの完全解消には至らない。
故にうずくまった状態は未だに続いている。
匂いの元は離宮にいた面々の呼気なので解消するのは困難だ。
まさか息をするなとは言えない。
どうしたものかと考えていると、総長が寄って来た。
「お見事ですね。
分解と治癒の魔法ですか?」
「おお、よく分かったな」
フッと笑みを浮かべる総長。
「魔法は興味深いものが多いですから。
調べるだけでも楽しいものです」
返事を聞いて魔法オタクという単語が思い浮かんだ。
好きこそものの上手なれと言うし、悪いことだとは思わない。
素直に凄いものだと思う。
が、もっと感心させられる事実があった。
「それにしても、よく平気でいられるな」
離宮組には聞かれないよう小声で聞いた。
「ええ」
再び微笑む総長。
「長らく伏せっていたお陰かと。
寝ても覚めても気分の優れぬ日々に慣れてしまったようです」
「ああ、なるほど」
総長の言い方は控えめだが、毒により酷い状態が長らく続いていたからな。
痛みだけでなく吐き気もずっと続いていたはずだし。
それにより耐性ができたとしても不思議ではない。
「ナターシャが耐えられるのは意外だが」
特に苦しそうな様子も見せず、うずくまっている面々を介抱している。
「あの子は私が伏せっている時に無茶なことをしていたようですから」
聞けば、総長と苦しみを少しでも共有できるようにと色々やっていたという。
そのため耐性持ちになったらしい。
『厨二病かよ』
ツッコミを入れたいところだが、気にしている場合ではない。
カーターがフェーダ姫を連れてきたからだ。
「ヒガ陛下、紹介するよ。
私の姪であるフェーダ・エーベネだ」
「お初にお目にかかります。
フェーダ・エーベネにございます」
優雅な仕草で挨拶をするフェーダ姫だが、かなり匂う。
おそらく彼女を護衛している面子より臭気は強い。
『かなり食べまくったんだな』
元日本人としては相手が吸血鬼だったことを知っていたのではと言いたいところである。
そうでないのはシノビマスターとして面会した時に確認済みだが。
とにかく挨拶を返す。
「ハルト・ヒガだ」
言い終わるやいなや、フェーダ姫は勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありません!」
「は?」
いきなり謝られても訳が分からない。
「王族が簡単に頭を下げるものじゃないな」
困惑しながらも言ってみたが、顔を上げようとはしない。
「どういうこと?」
カーターに説明を要求する。
「いやー、ニンニクばかり食べていたそうなんだよ」
自分も困っているという顔で返事をするカーター。
「そのせいで、あの有様だろう?」
うずくまっている面々の方を見た。
被害を出している自覚はあるようだ。
「謝るなら彼らに対してだと思うが?」
「近づくと悪化するだろう?」
謝りたくてもできない訳だ。
「それと、この場所はヒガ陛下のものだろう。
謝るのは決して間違ってはいないと思うよ。
匂いをこもらせたり、そのせいで汚したりしてしまった訳だし」
「そういうことなら気にしてない。
別に食べたくて食べ続けた訳ではあるまい?」
「籠城する間、もっとも手に入りやすかった食材だそうだ」
「……それは同情する」
食糧確保で苦労した結果であるならフェーダ姫が悪いとは言えない。
「だから頭を上げてくれないか。
これでは俺が悪者のように見えてしまうんだが」
「えっ!?」
驚きに目を見張った状態でフェーダ姫が頭を上げた。
説得に応じたというよりは、思わずといった感じである。
「あの、あのっ、えっと……」
あわあわして完全にパニック状態だ。
とりあえず落ち着いているカーターと話すことにした。
「で、俺の方に来たのは挨拶と謝罪だけじゃないんだろ?」
「そうだね。
ヒガ陛下なら、魔法でどうにかできるかと思ったんだけど」
「可能か不可能かで言えば可能だ」
俺の返事にフェーダ姫が目に見えて反応した。
「本当ですか!?」
異臭化した体臭は本当に嫌だったのだろう。
人に迷惑をかけるからだけではない。
成人したばかりの女の子にとっては死ぬほど恥ずかしいはず。
生きるために食べざるを得なかったとはいえ憐れな話だ。
詰め寄るように聞いてくるフェーダ姫の必死さを見れば尚更そう思う。
一方でカーターの表情が、やや暗めである。
「あまり過度の期待はしない方が良さそうな話だね」
その発言をしたカーターの方を見てフェーダ姫も何かを感じ取ったようだ。
おずおずと俺の方へ視線を戻してくる。
「いますぐどうにかしようとするなら体への負担が大きい」
「そんなにですか?」
それまで黙って聞いていた総長が不思議そうに聞いてきた。
「解毒の魔法の応用のような気がするのですが」
なかなか鋭い。
臭いを放つ成分が体内に入り込んでいることを理解しているようだ。
知識としてなのか勘で言っているのかまでは分からないが。
「解毒の魔法は何の効果ももたらさないぞ」
「そうなのですか?」
「臭いのせいで毒に近いものと考えたんだろ?」
「はい……
違うのですか?」
神妙な表情で聞いてくる総長。
「毒なら元気でいられるはずはないよな」
指摘すると、ハッとしてフェーダ姫を見た。
「体調を崩しているようには見えないですね」
「フェーダ姫、そのあたりはどうかな?」
「そうですね」
少し考え込んでから答え始めた。
「胃腸の具合が悪くなる人もいましたが……」
「それは生で食べたからだろう。
加熱しないと刺激成分が強く残るからな」
「そうかもしれません。
少なくとも私は生では食べていませんし。
体調を崩したりもしていません。
むしろ以前よりも調子がいいくらいなのですが」
「ニンニクにはそういう効果があるからな」
「詳しいね」
カーターが感心している。
「ヒガ陛下は賢者なのですよ」
何故か総長がドヤ顔で俺を持ち上げる。
「幅広い知識をお持ちで、我々の窮地を救っていただいたこともあります」
飢饉対策のことを言っているのだとは思うが。
『そういうのって他国の人間に言っていいものなのかね』
明確にはせず、ぼかしているけどさ。
友好国相手でも伏せておくべき情報なんじゃないのかと思うのだが。
「おお、確かに我々の知らないことを色々と知っているね」
ニンニクについては現代日本の知識だったりするけど。
他のことに関しても【諸法の理】によるものだったりするし。
自分でうそぶくならともかく、他人から言われると恥ずかしいものがある。
厨二病みたいなものだ。
「では体への負担が大きいというのは、どういうことなのでしょうか?」
当事者であるフェーダ姫には死活問題と言えるほどの重大事だ。
確認せずにはいられないだろう。
「毒なら抜けば悪いものが無くなるから体調は回復するだろう。
だが、体の調子を良くしていたものが無くなれば、どうなる?」
「あ……」
フェーダ姫は俺の返事を聞いて落ち込んでしまった。
「逆に体調を悪くしてしまうということですか?」
確認すべく聞いてきたのは総長だった。
酷なようだが確かめねば対策を考えることもできない。
総長の目はそう語っていた。
「匂いを消しきるとそうなる」
ニンニク注射というものがある。
そういう匂いがするだけでニンニクのエキスを抽出している訳ではない。
だが、その栄養成分はニンニクにも含まれている。
つまり匂いのすべてを除去しようとすると栄養分まで奪ってしまうことになりかねない。
体調に害を及ぼさぬレベルで魔法を行使することは可能だ。
消費魔力や制御の問題もあるが、今更である。
それよりも問題になるのは本人の感覚だ。
あるはずのモノがいきなり失われる。
精神的なものであれば喪失感を感じ、場合によっては精神疾患を患うことになるだろう。
だが、今回のケースでは肉体に関連する部分での喪失になる。
確実に体調不良を感じることになるだろう。
どの程度のダメージになるかは不明。
試したことがないが故に。
データなしでは平均的な状態しか予測不能。
それも推定であるが故に個人差がどれだけ出るかが読めないのが痛い。
『できれば避けたいよな』
「では、今の状況を改善できる程度に調整するのは無理なのでしょうか?」
「あ」
総長の言葉でオンオフのデジタル的な発想しかしていなかったことに気付かされた。
自分のバカさ加減に情けなくなってしまったのは言うまでもない。
読んでくれてありがとう。




