728 シノビマスター寝室に忍び込む
修正しました。
王女は自信が → 王女は自身が
音もなく爪先から床に降り立つ。
窓から差し込む月明かりを背に浴びながら。
床に投影された影よりも濃い闇色の装束に身を包んで。
俺はエーベネラント王国の王城にある離宮のとある一室に現れた。
「どなたですか?」
深夜であるにもかかわらず椅子に座っていた若い女が声を掛けてきた。
この部屋は寝室である。
女と俺以外には誰もいないことは確認済みだ。
にもかかわらず強く誰何する様子がない。
怯えた風でもない。
至って自然体である。
ちなみに結界魔法で部屋の外とは遮断してあるので誰にも気付かれてはいない。
女はそのことに気付いてはいないはずだ。
ただ、異変があれば動くはずの護衛が現れないことには気付いているだろう。
バックアップに不備があることを悟りながら顔色ひとつ変えない。
『大したものだ』
泰然自若とは似て非なる感じだが動じていないことだけは間違いない。
「オ初ニオ目ニカカル」
覆面に仕込んだボイスチェンジャーの術式で声が変わる。
『こいつは楽だわ』
自分で声を変えるのって意外と面倒なんだよね。
俺はトモさんみたいに声のプロじゃないし。
『仕込んでおいて良かったー』
とはいえ喜んでいる場合ではない。
女が立ち上がりカーテシーで挨拶してきたからな。
「こちらこそ、初めまして」
優雅で堂に入った所作である。
『見事なものだな』
礼儀作法を習い実際に幾度となく使ってきた本物の余裕がそこにあった。
侵入者に対する恐れなど微塵も感じない。
実際にどう思っているかは知る由もないが。
「我ガ名ハ、シノビマスター。
深夜ニれでぃノ寝室ニ立チ入ル無礼ハ詫ビヨウ」
「シノビ……マスター様でいらっしゃいますか?」
「イカニモ」
「私はフェーダ・エーベネと申します」
彼女が名乗ったように彼女こそがフェーダ姫である。
ここは最上階の3階だが、階下には護衛がそれなりにいる。
大半は操られて差し向けられた暗殺者だった者たちだが。
正気に戻った者をかくまっていると言った方が正しいのかもしれない。
『カーターに通ずるものがあるな』
人によっては甘いと言われるのだろうが。
それ故なのだろう。
彼女には影武者もいない。
言うまでもなく王女の意向だろう。
『優しさと覚悟を持ち合わせているか』
フェーダ姫の覚悟は本物だろう。
際どい状況でありながらも黒幕の魔の手を逃れ続けているのだから。
カーターを彷彿させてくれる王女様である。
『そういえば顔立ちも似ているか』
何処か面影がある。
叔父と姪の関係だから似ていても不思議はない。
自動人形たちが集めた情報にあった肖像画では他に似ている親族はいないのだが。
ここまで来ると実の親子ですと言われたら誰もが信じてしまうだろう。
『ここまでカーターに似ているとは思わなかったからなぁ』
だとすると、似ているのは外見だけではないかもしれない。
さすがに【霊眼】スキルは持っていないけどな。
スキルは無くても、それに近いような能力を持っている可能性はある。
『何かしら直感のようなものを感じたから離宮に引きこもったか』
思ったよりもその可能性が高そうだ。
カーターほど鋭いという訳でもないようだが。
『いや、もしかしたら俺が来ることも予感していたか?』
「承知シテイル。
座ラレヨ。
話ハ少シ長クナル」
俺の言葉にフェーダ姫が意外と言わんばかりに口を開いていた。
「お急ぎの御用件、ということでしょうか?」
「ソノ通リダ。
察シガ良クテ助カル」
「それはどのような?」
「ソノ机ノ上ヲ見ヨ」
光の魔方陣を机上に展開してから転送魔法で日記を送り込む。
「本ですか?」
首を傾げながら不思議そうに魔方陣が消えていくのを見ている王女。
突如として出現した2冊の日記にも動じることがない。
『天然でなけりゃ大物だな』
雰囲気的にはどちらもありそうなので断定できない。
まあ、それについて詳しく考えるのは後でいいだろう。
「見タ目ハソウダガ内容ハ偽リノ日記ダ」
フェーダ姫が俺の方を見た。
「どういうことでしょうか」
困惑の表情を浮かべている。
「日記なのにウソが書かれているのですか?」
「イカニモ」
「どうして、そのようなことを?」
「読メバ分カル。
ソレヲ書イタ者ガ何ヲ意図シテ用意シタノカガナ」
俺にそう言われて王女は椅子に座って赤い背表紙の方を手に取った。
最初から読み進めていく。
速さを意識した感じで流し読みをしている。
が、途中で完全に止まってしまった。
言葉を失って数ページ戻って読み直し始める。
流し読みしていた時より明らかに遅くなっていた。
それでも熟読するよりはスピーディに読んでいたように思う。
『気丈なものだな』
そして記述されている最後のページまで目を通し終わった。
「こんなことって……」
嘆息と共に呟きが漏れ出ていた。
ある意味、致し方なかったと思われる。
『覚えのないことなのに自分のことが書かれているんだからな』
しかも、それが身内を憎んだ上での殺人なのだ。
フェーダ姫は信じられないものを見てしまった者の目をしていた。
だが、さほど時間を要せずして我に返る。
手にしていた背表紙の赤い日記を机の上に置く。
すかさず青い方を手にしてページをめくり始めた。
赤い方を読んでいた時とは違ってページを行き来しながら慌てた様子で目を通している。
おおよその内容が想像できるから必要な部分だけを探して読んでいるようだ。
そして日記を閉じて青い方も机の上に置く。
「はあっ……」
フェーダ姫は疲れ切った様子で明示的に溜め息をついた。
そうやって意識的に気持ちの切り替えをはかったのだろう。
次の瞬間には、強い意志を持った瞳を俺の方へ向けてきた。
断罪でもするかのような気迫もある。
まるで俺が悪いことをした張本人と言われているような気分になってしまった。
まあ、それは俺の被害妄想だ。
それが証拠に──
「これはシェーデル伯爵の仕業ですね」
王女は自身が思い当たる節があるのであろう名を口にしていた。
ちなみに黒幕の名前がトーテン・シェーデルである。
肖像画を見る限りでは痩せぎすで病的なまでに青白い肌をしている野郎だ。
ハッキリ言って骨格標本と言ってしまえるレベルでガリガリである。
『ひとことで言うなら骸骨だろ』
しかしながら、それ以上に頭部ユニットが目立つ。
人であるはずなのに髑髏としか言い様がない。
不気味さが際立っている。
絵だけで見れば人であるという証明の方が難しそうだ。
それっぽい服を身に纏えば、幽霊船の船長と言われても誰も疑うまい。
では、現状はどうなのか。
瘴気の中に埋もれる姿は肖像画そのもの。
いや、狂気に彩られた表情をしている。
絵では無表情だった伯爵も迫力があるが、見た瞬間のインパクトが違う。
「何故ソウ思ウ」
王女の口調は断定的だった。
何らかの根拠があるはずだ。
「どちらも彼の者の字です」
「……………」
あまりにシンプルな回答に俺は言葉を失った。
確かに同じ字だ。
そのことには俺も気付いていた。
が、伯爵本人の字であるとは想像だにしていなかったのだ。
普通はそんな真似をするはずがないと思い込んでいたが故に。
『そりゃあ、何も言えなくなるだろう?』
言い訳するように自問する。
何を思って自分で書いたのか伯爵を問い詰めたい気分だ。
自分が犯人ですと言っているようなものだからな。
筆跡鑑定されれば即バレするようなアホな真似をする神経に呆れ果ててしまう。
あえて理由をつけるなら己の考えた内容を一字一句でも変えたくなかったからか。
妄想垂れ流しなシナリオにこだわる黒幕らしい発想だと言える。
そのことに気付かなかったのは実に恥ずかしい。
『思い込みは良くないよな』
「あの……」
俺が何も言わないことを不審に思ったのか王女が声を掛けてくる。
「断定スルカラニハ伯爵ノ書イタ字ヲ見タコトガアルノダナ」
俺は何もなかったように問うた。
こればかりは調べようがなかったのだ。
『あの野郎、書類仕事は一切しねーし』
俺が奴の自筆であることに気付かなかった理由のひとつでもある。
サインすらしないのだ。
過去に遡ればしているのかもしれないが、そこまでは調べきれていない。
「手紙を何通も受け取っていますので」
『そいつは盲点だ』
フェーダ姫の個人的な持ち物まではノーチェックだった。
「手紙?」
しかも何通もだと王女は言った。
書類仕事をしない男が?
「恋文です」
思わず吹きそうになった。
止めるために全力で【千両役者】を使わせていただきましたとも。
『仕事もせずに何やってんだ、髑髏野郎っ!』
内心で全力投球のツッコミを入れておく。
「姫ハ隣国ノ王子ト婚約シテイタダロウ」
「よく御存じですね。
確かにその通りです。
ですが、あの男には関係なかったようですよ」
王女の話によると伯爵の横恋慕であるとのこと。
何度も断ったそうだ。
『それで絆されるとでも思ったのか?』
あり得ない話だ。
大国の王子との婚約を蹴るなど戦争をする覚悟が必要になってくる。
情で動くほど、この王女はバカではない。
『ああ、黒幕はバカだったな』
爵位を剥奪されても文句は言えない横槍を入れているのだから。
『犯行の動機は、失恋による逆恨みか?』
短絡的と言わざるを得ない。
国家を揺るがす規模で復讐を企むなど厨二すぎるだろ。
読んでくれてありがとう。




