659 戦場よりヤバいかも?
「ハルトくーん、こっちこっちー」
乱闘を止めさせるべく頭を悩ませる俺に声が掛けられた。
背後から。
「はい?」
声は俺たちのいる廊下を挟んだ大広間の向かいの部屋から聞こえてきたようだ。
こちらはふすまで区切る形でいくつかの広間が並ぶ形になっている。
大広間では広すぎる人数で利用するための部屋だ。
そのうちのひとつからふすまを開けてエヴェさんがひょっこり顔を覗かせる。
「こっちですがな、ハルトはん」
申し訳なさそうな顔で手招きされた。
合間に片手で拝むポーズを見せる。
『あー、そういうこと』
合点がいってしまった。
何故こういうことになったのかは未だに不明ではあるが。
ひとつ判明したことがある。
『これ、ベリルママの仕業だ』
よくよく考えれば気付けたはずなんだが。
自分の間抜けさ加減に嫌気が差すというものだ。
状況に動転して視野狭窄に陥るなど間抜けとしか言い様がないだろう。
一気にガックリきてしまったさ。
『可変結界の精度と強度で気付けよ』
密かにセルフツッコミを入れてしまうのも無理からぬところだ。
どう考えたって、うちの面子では無理なレベルだったからね。
頑張れば俺にもできるかなって感じ。
もちろん、この状況に混乱している俺がそんな真似をするはずもない。
この時点で残る候補はベリルママとその眷属たる亜神の面々しかいなくなる。
生真面目なルディア様が理由もなくこんなことする訳はない。
常識人なエヴェさんも同様。
リオス様、フェム様、アフさんがやったというなら常識を疑う。
会って間もない相手にここまで大がかりなイタズラめいたことをするだろうか。
『ラソル様ならやりそうだけど』
そこまで非常識だとは思えない。
『……ベリルママが非常識だとは思わないけどさ』
微妙にモヤモヤしたものを感じながら部屋へと入った。
「いらっしゃーい」
入るなりテンションの高いベリルママに迎えられる。
だが、入った直後はそれが気にならなかった。
思わず「狭っ!」と言いそうになるのを我慢するのが精一杯だったのだ。
普通は広間の中に数人しかいない場合は広々と感じるものだが。
余剰スペースなどほとんどなかった。
多重展開された3Dの幻影魔法が大半のスペースを潰す格好となっていたからだ。
『なんじゃこりゃー!?』
思わず叫びそうになったのをどうにか抑え込んだほどである。
映し出されている映像は大広間の光景だ。
様々な位置や角度から捉えた大小の映像が流されている。
一番大きい映像は斜め上から全体を見下ろすような感じになっていた。
古参組や人魚組が入り乱れて枕を投げ合う姿が手に取るように見て取れた。
他の小さめの映像は各チームの状況を流している。
もちろん月影やエリスたちもその中に含まれている訳だ。
「……お邪魔します」
俺が広間に入ろうとすると、いくつかの幻影魔法が縮小された。
それにより俺のスペースが確保される。
おそらく後ろに続く面子が入ってくる時も同じようになるのだろう。
『自動でこうなるように術式を組んでいるのか』
というのも俺が入る時に追加で魔法が行使された様子がないのだ。
つまり最初からこうなることを前提に魔法が使われていたことになる。
この状況を先読みしていたのか。
あるいはこの程度の術式は組み込んであるのが常識なのか。
どちらであるかは読めない。
『正直、どっちもありそうだもんな』
いずれにせよ自動で対応するという発想がなかったのでアイデアは貰っておく。
それが終わると何かが気になった。
微妙な違和感を感じるのだ。
何かがおかしい。
後続のために脇に避けつつ、違和感の正体に気を配る。
だが、何がおかしいのか分からない。
「お邪魔……します?」
首を傾げながらノエルが入ってきた。
俺と同じことを感じているようだ。
「お邪魔しまっせ」
やや困惑の表情を浮かべながらアニスが続く。
「……失礼します」
おずおずとレオーネが入ってきた。
微妙な間を置いてペコリと頭を下げる。
「あの、お邪魔します」
最後にリオンがペコペコしながら入ってきた。
『ここまで落ち着きがないとはな』
リオンだけではない。
俺も含めて何故かソワソワする。
微妙に嫌な予感がするというか。
少なくとも何か妙だと感じているのは、みんな同じようだ。
俺の気のせいではなさそうである。
『なんだろうな?』
頭の中には疑問符しか浮かんでこない。
「良く来たな」
些か疲れたような様子を見せているルディア様。
「歓迎する」
フェム様も似たような雰囲気だ。
「いらっしゃい」
「待ってたよー」
リオス様とアフさんは普通に歓迎ムードで特に変わった様子はない。
だが……
「あーん、ハルトくーん、遅いよー」
ベリルママが些かおかしいと言わざるを得なかった。
『入った直後からテンション高かったしな』
まず頬が上気している。
瞳が潤んでいてニコニコと笑みを浮かべているのだが。
『これって……』
「酔ってますね」
「うふふふふぅ、酔ってませーん」
いかにも楽しそうにケタケタと笑い出す。
本人は否定しているが、そうは思えない訳で。
「神様って酔わないんじゃないんですか」
エヴェさんに確認を取ってみた。
「いやあ、それがやね……」
エヴェさんが何か言おうとしたのだが。
「酔ってませんよぉ────────っ」
テンションの高い妨害が入った。
もちろんベリルママである。
『間違いなく酔ってますよね』
そうツッコミを入れたかったが、言えなかった。
酔っ払い相手だと押し問答にしかならない。
幸いにして酔っているのはベリルママだけだ。
『とにかく酔いが覚めるまでどうにかやり過ごさないとな』
そんな風に考えていたのだが……
「そうそう、酔ってませーん!」
思わぬ伏兵がいた。
楽しそうにケタケタと笑っているが、ベリルママではない。
リオス様であった。
『まさかリオス様まで酔っていたのかよ!?』
特に変わった様子はないと思っていたのに。
見事に騙された。
これで酔っ払いが2人。
ルディア様やフェム様が疲れた様子を見せるわけだ。
この2人の相手で消耗したのだろう。
『ルディア様たちが抑えきれないとか、どうすりゃいいんだよ』
それは大広間の方が枕の飛び交う戦場になるわけである。
あれは確実にベリルママたちがあおった結果だ。
でなきゃ幻影魔法で大広間のバトルを見物なんてしないだろう。
枕投げもどきの乱闘は未だに終わる気配を見せない。
『どうすんだよ、これ』
責任者出てこいの心境である。
まあ、この件に関しては俺ではない。
そして目の前にいる。
責任者でありながら責任の取れる状態でないのが質の悪いところだ。
『酔っ払いだもんなぁ』
行動に根拠も理由も伴わない訳で。
これほど厄介なことはない。
俺は思わず額に手を当てて溜め息を漏らしてしまった。
頭痛ものである。
とにかく、この2人をどうにかしないといけない。
そう思って頭を悩ませ始めた時のことである。
「そそ、酔ってないんだよーん」
第3の伏兵現る。
「アフさんまでっ!?」
つい反射的に叫んでしまった。
「ふひひ、サーセン」
俺の叫びに反応してアフさんが変な謝り方をした。
あまりの似合わなさに苦笑すら出てこない。
3人も酔っ払いがいることに俺は四つん這いでガックリさせられてしまった。
「エヴェさーん」
脱力しきった状態で状況説明を求めるべくエヴェさんに目を向けたのだが。
「んもうっ、ハルトくんはこっちなのー」
ベリルママがそう言うと──
「おわぁっ!?」
俺は宙に浮かされベリルママの胸元へ強制ダイブさせられた。
抵抗することすらままならない強力な理力魔法である。
「うぶっ!」
柔らかい感触にキャッチされたのはいいが、息ができない。
「んーっ、可愛いでちゅねーっ!」
ギュッと抱きしめられること数分。
たっぷり胸の海に沈み込まされたのは言うまでもない。
『普通の人間だったら窒息死させられてたな』
物騒な話である。
あと、いかに息子とはいえ成人した人間を幼児同然に扱うのはどうかと思う。
『それもこれも酔っ払ったからなんだろうが……』
そして、これで終わりではないことに戦慄が走る。
次は膝の上に頭を押し付けられた。
あまり扱いが優しくないのが悲しい。
『じゃなくてっ!』
横たえられた上に強制膝枕である。
ベリルママと2人きりならば許容もするというものだ。
泣かれちゃ敵わんし。
だが、亜神の皆さんもいらっしゃる。
加えて数が少ないとはいえ妻と婚約者もいる。
『超恥ずかしいんですけどぉ!』
赤面フルバーストなんですがっ。
逃れたくてしょうがないので動こうとしているのだが、ままならない。
有無を言わさぬ理力魔法での固定がなされている。
本物の神様相手に無駄な抵抗だ。
『どうしてこうなった』
そう言わざるを得ない。
途方に暮れるとは、まさにこのことであろう。
読んでくれてありがとう。




