644 心の安まる暇はあるのだろうか
「あれなら畏縮はしないよな」
痛みで目が覚める方法は俺も考えなかった訳ではない。
ただ、普通に頬を張ったくらいではダメなのは想像できたので諦めていたのだ。
あんまりやり過ぎると虐待と思われかねないし。
そういう意味ではカーラの採用した方法は巧妙だと言える。
彼女ら同士でぶつかったのであれば文句が言いにくい。
その状況に追い込んだカーラが非難される向きもあるだろうが。
しかしながら、それも上の空で幻影に釣られたネージュたちに責任がないとは言えない。
故に俺は狙いが分かったとき若干の悔しさを感じた。
『その手があったか!?』
まあ、今更である。
それにちょっと可哀相にも思えたから俺に実行できたかは疑問が残る。
別にネージュたちは悪いことをしているわけじゃなし。
今ではうちの国民である。
野郎ならこれくらいは厳しめにすることにも躊躇いは感じないが女の子が相手だとね。
あとネージュたちが痛そうにしているのを見ていると、こちらまで痛くなりそうだ。
「些か荒療治ではあるがのう」
シヅカが苦笑している。
「やり過ぎたでしょうか」
カーラがションボリしていた。
「いや、これくらいしないとダメだったと思う」
「くーくぅ」
その通り、とローズが頷いた。
「だと良いのですが」
割と気にするタイプである。
「気にしても始まらんぞ、カーラ」
俺が声を掛けるも浮かない顔をしたままだ。
「そうだな、そこは正気に戻るための代価と思ってもらう他あるまい」
ツバキもフォローしてはくれたけど落ち込んだ状態から抜け出せないらしい。
どうやら想定したよりネージュたちのダメージが大きかったようだ。
未だに呻いたまま立ち上がることができないでいる。
『それ程のダメージには見えないんだがな』
カーラ以外は皆もそう思うらしく、顔を見合わせてしまった。
そのうち呻き声が啜ったりしゃくり上げたりするようなものに変質していく。
「「「「「えっ!?」」」」」
ローズ以外の全員が驚きのあまりガン見ですよ。
人竜組が泣くとは思ってなかったからさ。
「くー、くうくくっくー」
あー、泣いちゃったーとは予兆を感じていたらしいローズの言である。
その言葉通りネージュたちは泣いていた。
そのうちにわんわんと声を上げて泣き始める者まで出る始末。
「えーっと……」
『なぜ泣く?』
痛くて泣いたとは思えないのだが。
だが、ぶつかったことを切っ掛けにして泣いたのであるなら他に理由のつけようがない。
「カニ───ッ」
クレールが手を伸ばして泣き叫んだ。
幻影など既に消えているというのに。
現実を受け入れたくないのだろう。
未だにトリップ状態という訳ではないだけマシと言える。
「カニがーっ」
オロルもクレールと似たような状態だ。
「御馳走がぁ───っ」
シフレは台詞が違うだけかと思っていたら──
「消えちゃったよぉーっ」
ルシュが引き継いでいた。
「戻ってきて───っ!」
コリーヌもだ。
ネージュ、リュンヌ、シエルの3人は叫んだりはしないが涙を次から次へと流している。
『痛みじゃなくてカニが消えたのが辛いのか……』
そこまでカニ好きになっていたとは。
思わず皆の方を見てしまったよ。
生暖かい視線でネージュたちを見ている。
ちょっと顔色を悪くしているカーラを除いて皆も同じように感じているようだ。
「どうしたね、カーラさんや」
俺が声を掛けるとビクリと体を硬直させた。
「ああああのっ、あのあのっ……」
硬直はすぐに解けたが、あわあわした感じで挙動不審になる。
「おーい、大丈夫か?」
呼びかけても俺の声に反応しない。
『今度はカーラがポンコツになったのか』
頭が痛くなりそうだ。
そしてカーラがガバッと頭を下げ、同じ勢いで戻ってきて直立した。
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんっ」
何度もペコペコ頭を下げながら誤り始める。
『責任を感じるのは分かるんだけどさ』
極端すぎやしないだろうか。
「「「「「ええっ!?」」」」」
今度はネージュたちが驚く番であった。
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結局、責任を感じたカーラが人竜組の面倒を見ると言って連れて行ってしまった。
シヅカはカーラを手伝うと言っていたし。
守護者組も手を貸してくれるようだ。
じゃあ俺もとついて行こうとしたら次のイベントまで休むように言われてしまった。
せっかく気を遣ってくれたようなので、その言葉に甘えることにする。
『散歩でもするか』
浜に出れば誰かしらいるだろうから話し相手になってくれるだろうと思ったのだ。
そしたら宿泊施設の外に出たところでベリルママとばったり出会った。
「あ、ベリルママ」
「ハーイ、ハルトくん」
ベリルママは1人のようだ。
眷属である亜神は誰もいない。
少なくともルディア様は一緒かと思ったのだが。
ベリルママは俺の微妙な仕草などでそれを悟ったのだろう。
「皆は一旦もどったわよ」
戻ったというのはベリルママたちが普段いる神域のことだな。
「えっ、何かあったんですか!?」
ちょっと焦る。
次から次へと事件なんか発生されても困るんですがね。
「大丈夫よ、何もないから。
念のための確認ね」
「確認……ですか?」
「ええ、そうよ。
イタズラ坊主がいるでしょ」
「ああ、なるほど……」
その単語を耳にしただけで理解できてしまった。
そんなの1人しかいないからな。
言うまでもなくラソル様である。
『それにしても筆頭眷属がイタズラ坊主か……』
ベリルママも眷属の皆さんも大変だ。
「皆もすぐに帰ってくるから気にしないで」
「はあ」
「それよりも、晩御飯とっても美味しかったわ」
「ありがとうございます」
「姉さんがお忍びで日本の専門店や料理旅館に出かけるのも頷けるわね」
「ちょっ!?」
『なにやってんだ、エリーゼ様は!?』
管理神が自分の管理している世界に降りていって専門店巡りやグルメ旅?
『フリーダムすぎるだろ』
しかしながら場景は容易に想像できる。
というか目に浮かぶようだ。
「あら、今の私も姉さんと同じようなことをしている訳だけど?」
それこそ悪戯っ子のような目をして言ってくるベリルママ。
「そりゃ、そうなんでしょうけど……」
色々と条件が違うはずである。
うちの国民はベリルママと俺の関係性を知っているからお忍びではない。
西方人には神様が降りてきていることを知られるような環境でもない。
『……まあ、いいや。
エリーゼ様だもんな』
俺がガックリと肩を落とすとベリルママにクスクスと笑われてしまった。
「話は変わるけど」
「はい」
「次のイベントは何時頃に始まるのかしら」
この質問はルディア様たちを呼び戻すタイミングを考慮してのことだろう。
「あー、時間は決めてないんです」
これは嘘ではない。
気を遣って予定変更なんてしたら即バレするだろうし。
「そうなの?」
「食べ過ぎた者たちもいますので」
「ああ、そうね。
本当に美味しかったもの」
「ですが、少しは懲りてもらわないと」
「それで消化する魔法を使わないのね」
「はい、当人たちは温泉に向かったようです」
腹ごなしと称していた。
「血行をよくして消化を促進させようってことね」
「そうなります」
「じゃあ、私もルディアちゃんたちを誘って入ってこようかしら」
「いいですね。
上がったら連絡ください。
そこから集合時間を調整しますので」
「あらっ、ハルトくんは一緒に入ってくれないの?」
「ぶはっ」
思いっ切り咽せてしまった。
どうにかベリルママの正面だけは回避できたけど。
「からかわないでくださいっ!」
「だってハルトくんはお嫁さんたちと一緒にお風呂入ったりするでしょ」
「ぐっ」
事実なだけに言い返せない。
「お母さんと一緒には入ってくれないの?」
「うっ」
『これはヤバいかも』
断ると泣かれそうな気がする。
するけど俺の感覚からすると受け入れられそうにない。
成人してから母親と一緒に風呂に入るのは何か違う気がするのだ。
小さい子なら分かるのだけど。
「いえ、あの……」
頭をフル回転させようと思うのだが、泣かれるかもと思うとブレーキがかかる。
思い浮かぶのは『ヤバい』と『どうする?』ばかり。
情けなさも感じてはいるがウェイトが違う。
どうにかこうにか絞り出した答えが──
「ルディア様たちが了承されるかどうか……
リオス様たちとは今日はじめて会ったばかりですし……」
これでは苦しいと思うが、これが精一杯。
「プッ」
「え?」
咳をするときのような仕草で手を口元へと持って行くベリルママ。
『なんだ?』
俺は怪訝な表情を浮かべそうになりながら、それを見ているしかできなかった。
泣かれるのとは違うようだとは感じていたんだけどね。
それでも『万が一、泣かれたら……』とか考えていたからだ。
様子を覗っているとベリルママは顔を背けつつ俯いていった。
そしてその仕草から肩を振るわせ始める。
『ヤベッ、泣かれるぅー!』
俺、大ピンチ!!
読んでくれてありがとう。




