1599 五分五分か?
ウルメが時間と体力を使って仕掛けた罠。
それが見事にハマったと思った瞬間に外された。
カエデが読んでいたのか、はたまた瞬時の反応かは分からない。
罠から繰り出された一撃を見た瞬間でさえ表情を変えなかったからな。
そういう意味では前者のようにも思える。
が、試合の時のカエデはずっと無表情を貫いてきた。
加えて対処の仕方がね。
あの受け方からするとダメージはほぼ無いに等しいのだが。
直撃はさせなかったとはいえ、攻撃が当たったのは事実である。
必ずしも読んでいたとは言い切れない訳だ。
いずれにせよ対応力がハンパない。
シーン流の伝承者というのは伊達ではないってことだな。
おまけにソロ冒険者として旅を続けてきたことで実戦経験も豊富なはず。
レベル的に一回り上の相手でも容易には攻撃を当てられないだろう。
ウルメには荷が重そうだ。
とはいえ、まだ決着はついていない。
カエデは受け流しただけだ。
ただ、あの窮屈な姿勢でぐらつかないのだから足腰の強靱さも並みではなかろう。
自分が同程度のレベルであったなら敵に回したくはない。
組み手をするのだって勘弁願いたいね。
ルーリアなどは修行が捗るとか言って進んで組み手をしたがりそうだけど。
「くっ」
流しきられた状態になってウルメが悔しげに声を漏らした。
だが、なおも諦めない。
その瞳からは諦観など微塵も感じられなかった。
とはいえ体勢は極めて不利だ。
全力の攻撃を流されたのだからな。
急に止まれるものではない。
しかも両脚で蹴りを放ったものだから踏ん張ることさえできない状態だ。
一方でカエデは姿勢こそ低いものの万全である。
蹴りを流しきる間に跪座の状態へと体勢を整えていた。
当然のようにウルメの腕を取りにいく。
難なく掴んだのは言うまでもない。
「「「「「あーっ……」」」」」
ほとんどのミズホ組が落胆の声を漏らした。
皆はここまでと思っているようだ。
無理もない。
完全に王手の状態だからな。
決してウルメを侮ったりはしていない。
その力量を知った上での判断である。
何の根拠もない訳ではないのだ。
試合前なら俺もきっと同じ結論を出しただろう。
しかしながら、今は違った。
腕を取られたウルメはなおも歯を食いしばっている。
その表情は──
「それがどうした」
と吠えているかのようであった。
まだ何かするつもりなのだ。
その意志を読み取れたからこそ気付いたことがある。
思わず──
「その手があったか」
と言いそうになった。
どうにか喉のあたりで堪えたけどな。
ウルメの反撃が見られたなら、それはきっとサプライズになるからだ。
せっかくの見所で驚きが半減するのは勿体ない。
皆には存分に驚いてもらわないと。
まあ、しくじることも考えられるんだけどね。
それでも反撃を試みたというだけで驚きに値するんじゃなかろうか。
皆は終わったと思っている訳だし。
確かにウルメは腕を取られた。
とはいえ、それは片腕だけだ。
人の腕は2本あることを忘れちゃいませんかね。
それこそウルメが勝負を諦めていない理由に他ならない。
さすがに両手を塞がれると厳しいからな。
他の相手ならいざ知らず、カエデに両手を封じられて対抗するには無理がある。
だが、今の状態は幸いなことに手が片方空いていた。
さしものカエデも体勢的に両腕を封じる形にはできなかったのだ。
もっとも、ウルメにも同じようなことが言えた。
空いた方の手を使うには体勢を整える必要がある。
ゴッ!
ウルメが空いている拳で舞台の床を叩く。
その反動で体を反転させた。
塞がれた方の腕に負担がかかるのが明白な無茶な行動だ。
それでもウルメは躊躇わない。
片方の腕はくれてやると言わんばかりであった。
その覚悟がウルメに味方する。
カエデが関節を極めようとしていた動きを途中で止めたのだ。
あのまま続けていれば、ウルメの覚悟したことが現実となっただろう。
関節が抜けるか腕が折れるか。
それはカエデの反則負けが確定してしまうことになる。
ウルメはそこまで考えての行動ではなかったはずだ。
ただただ必死になるあまりの覚悟でしかなかったのだから。
そこに複雑な思考の入り込む余地はない。
単なる偶然である。
それでも千載一遇のチャンスが巡ってきたのは事実だ。
「っ!」
にもかかわらずウルメは苦々しい表情を浮かべた。
その表情になったのは己が理想とするような武術家の戦い方ではないからだろう。
己が招き寄せたチャンスがルールを逆手に取ったものだと気付いたようだ。
卑怯だとか邪道だという思いが頭の中で渦巻いていそうである。
それでも手を伸ばす動きは止めなかった。
画策したものでないなら仕方がないと割り切ったというところか。
「取った!」
ウルメが片腕だけでカエデに組み付いた。
蹴りによって伸びきっていた脚を素早く戻して床に踏ん張ってみせる。
腕は取られたままなので立ち上がることはできなかったが。
それでも腰を落としきった体勢はカエデも同じ。
勝負は五分五分のところにまで盛り返したと言えるだろう。
罠は不発に終わったが、決して無駄ではなかった。
「「「「「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」」
観客席が沸きに沸いた。
もちろんミズホ組もだ。
「ちょっと、どうなってんのよ!?」
驚きを露わにするレイナ。
「知らんがなっ」
アニスが興奮気味に返事をした。
「見た通りやん!」
何を当然のことを聞くのかと言わんばかりである。
それでもレイナは納得しなかったが。
「あそこまで完璧に封じられて諦めなかったの!?」
まだまだ驚きは消えない。
それは他の面子も同じようだ。
全員という訳ではないけどね。
「意識の差だろう」
そう言ったのはルーリアだった。
「どういう心境の変化があったのよ」
理解不能だと頭を振るレイナ。
「試合前はそこまで勝ちたいって感じに見えなかったけど?」
「せやな」
アニスも同意した。
「心境の変化じゃなくて意識の違い」
ボソッと言ったのはノエルだ。
「「えっ?」」
レイナとアニスは思わずノエルの方を見た。
その目は説明を求めている。
「あのドワーフのお兄さんは元から、ああいう感じだった」
「意味が分からないんだけど……」
「うちもや」
困惑しているレイナとアニス。
そんな2人を見かねたのか──
「2人とも根本的に勘違いしてますよー」
ダニエラが横から入ってきた。
「根本的にって何処が?」
目を白黒させるレイナ。
「ウルメさんは試合前も今も勝利第一主義じゃないってことですよー」
ダニエラの返事はレイナたちを困惑させた。
てっきりそうなったのだと思っていたのに違うと否定されてはね。
「ウルメさんがストイックな武術家だということを忘れていませんかー?」
「ああやって戦うことも修行の一環ちゅうことかいな」
アニスはそう言ってウルメたちの方を見た。
舞台の上ではウルメがカエデに力比べを挑んでいる。
パワーならドワーフであるウルメの方が上なのだから当然だ。
己の得意分野で勝負することに忌避すべき理由など何もない。
それに対してカエデは技で対抗していた。
ウルメの押し込みを力の受け流しと関節技で逸らせていたのだ。
不完全な状態で切り抜けられたとは言えカエデは完全に手を離した訳ではない。
今は組み付かれたことで十全に効果を発揮はできなくなっているが。
それでも上手く利用すれば一方的に押し切られるようなことにはならないのだ。
現状はわずかにも動いてはいないような状況である。
どうにか組み付くことに成功したウルメではあるが戦況的には五分と五分。
ここで場外へと押し切ることができなければ、勝利するのは厳しいと言わざるを得ない。
かなり消耗した状態だからな。
カエデが無理に勝負を急がないのは、それが分かっているからだろう。
強引なことをして反則負けのリスクを負うことはない。
パワーを封じることができれば充分ということだ。
「そういうことだ」
アニスの出した答えにルーリアが肯定した。
「貴重な実戦の機会に本気で戦えるなら、これ以上の修行の場はないだろう?」
ルーリアの言葉を耳にしたアニスとレイナはウンザリした表情を浮かべた。
「理解できなくてもいいわ」
「うちもや」
修行マニアには付き合っていられないということなんだろう。
読んでくれてありがとう。




