1110 仮面だけど賢者ではない
1台のバスが街道を走る。
追い抜いた割と長い隊列を組む馬車の一団が呆気にとられた様子で眺めていた。
いや、愕然と言う方が正しい。
『無理もないか』
馬車より大きな箱が馬なしで走り抜けていくんだからな。
しかも速い。
追い抜く時は街道脇の荒れ地に入ったので減速したけどね。
『これがハッチバック車のビーグルなら全開走行でも大丈夫なんだが』
いくら荒れ地に対応できるようにしてあるとはいえバスでは限度がある。
小回りが利かない分、路面への対応は大雑把になってしまうのだ。
先読みも乗用車細部のビーグルより難しくなるからね。
減速するのは仕方がないという訳だ。
それと乗り慣れていない人間がこのバスには同乗している。
その点からも減速しなければならなかった。
『車内でゲーゲーされちゃ堪らんからな』
それでも隊商より遥かにスピードが出ていたんだけど。
同乗者も最初はギャーギャーとうるさいのが何人かいたのは御愛嬌。
今は静かにしているので良しとしなければなるまい。
それよりも隊商の方が心配である。
いくら徐行運転と変わらない速度とはいえ、人が操作する乗り物だ。
心ここにあらずな状態では事故を起こしかねない。
そのことを懸念して意図的に距離を開けて追い抜いたんだが。
『人間には効果が薄かったようだ』
馬はビクッとしてたが、暴れ出すようなことだけはなかった。
野良魔物と遭遇しても暴れないように調教されているからだろう。
下手をしなくても人間の方がダメダメな状態である。
自損事故を起こすのは確実な気がしてきた。
『面倒くさいなぁ』
そうなったら、ほぼ確実にこちらのせいにされるのが目に見えているからな。
変に騒がれてバスの悪評が広まるのだけは勘弁してほしいところだ。
西方での俺たちの移動手段が減ることになりかねない訳だし。
しょうがないので魔法を使うことにする。
既に通り過ぎてしまったので、まずは斥候型の自動人形を転送魔法で展開させた。
縦長の対象に対応するために数体でカバー。
それでも光学迷彩をかけさせつつ飛行させているので気付かれた様子はない。
あとは自動人形たちに覚醒の魔法を指示するだけの簡単なお仕事です。
彼らも別に居眠りしている訳ではないが、それに近い状態だ。
覚醒の魔法は意識を飛ばしたような状態から復帰させる時にも使える。
これなら個人を対象にすることができるので消費魔力をセーブできるのだ。
今回のような縦列状態では範囲魔法として展開すると消費魔力に無駄が多くなる。
おまけに事故を起こさなければいいだけなので対象も絞り込むことが可能。
全員を復帰させる必要はないので省エネだ。
念のために御者に加えて隣に座る助手にも使ったけどね。
しかも覚醒は生活魔法である。
大魔法を使った時と違って自動人形が魔力切れ寸前になることもない。
使用後すぐに回収する必要がないのはありがたいことだ。
魔法を使った後にしばらく監視することができるからな。
『何も被害が出ていないのに変なことを考える輩だったら……』
それなりの対処をさせてもらうつもりである。
まあ、そういう事態にはならなかったがね。
ありがたいことである。
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一方、車中で鬱々としている男がいた。
「どうしてこうなった……」
バスの車内でボソリと呟く仮面の男。
さっきから、こればかり呟いている。
本来なら仮面周り以外は怪しげに見える要素がないのだが……
「どうしてこうなった……」
これのせいで怪しさは満点状態だった。
いや、台詞だけなら問題は少なかったかもしれない。
『醸し出す雰囲気がなぁ……』
見るからに陰気。
莫大な借金を抱えてしまった会社経営者のような陰鬱さを振りまいていた。
加えて目元を隠す白マスク。
ベネチアンマスクをシンプルにした感じなんだが。
あるいはサッカーで顔面を怪我した選手が使うフェイスガードを白く塗ったのに近いか。
目元はもっと隠れているが。
「どうしてこうなった……」
『あー、もうっ!』
鬱陶しいったら、ありゃしない。
とにかく、男の振りまく雰囲気がこの上なく暗いのだ。
しかも仮面で顔の上半分は隠れてしまっている。
ミステリアスな雰囲気がマッチして不気味さを演出してしまっていた。
『おまけに幻影の術式を組み込んでるからなぁ』
見破ることができるミズホ組以外には見た目がよろしくない。
仮面の隙間からわずかに見える焼けただれた皮膚。
顔の上半分が酷いことになっているのを想像させるには充分だ。
同乗している今回のゲールウエザー組の何人かも最初はドン引き状態であった。
主に宮廷魔導師団の面子な。
あとメイドたち。
それでも忌避する感じではなかったのは好印象だった。
仮面の男は、そんなことを気にする余裕はなかったがな。
「どうしてこうなった……」
本当にこればかりである。
同情的な視線の十字砲火を浴び続けたら壊れてしまったのだ。
いい加減に鬱陶しさが限界に近づいていたので、ひとこと言ってやることにした。
まずは風魔法でゲールウエザー組との間に遮音結界を展開する。
「どうしてこうなった……」
「ダンジョンに潜らなかったからだよ」
俺は仮面の男にツッコミを入れた。
その言葉を受けた仮面の男は瞬時に反応。
キッと俺を睨みつけてきた。
「くっ、卑怯だぞ」
声を潜めながらも苦情を言ってくる。
「ヒソヒソ喋る必要はないぞ」
「なんだと?」
「音声を遮断する結界を展開したからな」
言うが早いか、噛みつくような抗議の素振りを見せた。
変わり身が早い。
が、人の話を聞いていない証拠でもある。
『脊髄反射だけで行動するなよ』
「こんな──」
腰を浮かせかけている男を指先ひとつで制する。
「ぐっ」
触れてもいないが特級スキルの【気力制御】で圧力をかければ難しいことではない。
「迂闊な行動は慎め。
遮断してるのは音声だけだ」
「む?」
仮面の男は怪訝な表情をした。
何故、そう言われるのか分かっていないようだ。
周囲が見えていない証拠である。
言っておくが、仮面を被っているせいではない。
視野が狭まらないように術式で調整してあるからな。
「派手に動くと恥ずかしい奴だと思われかねんぞ」
バスに乗っているのは俺と仮面の男だけではない。
だからこそ遮音結界を使ったのだし。
「ううっ」
唸りながら仮面の男は浮かせかけた腰を席に戻す。
そのタイミングで俺は口を開いた。
「先に言っておくが、文句を言われる筋合いはないぞ」
仮面の男が不満そうに唇をへの字に歪ませた。
「俺はちゃんと選択肢を用意しただろ?」
「それが卑怯だと言うんだ」
仮面の男が絞り出すように文句を言ってきた。
「卑怯だと言うなら、どうして向こうを選択しなかったんだ?」
返事はない。
悔しげに仮面の男がギリギリと歯噛みしていた。
「最終的に自分で選んだことを忘れてもらっては困るな」
「ぐぬぬ」
「パワーレベリングしてれば、こんな見た目にならずに済んだのに」
「あれは嫌だっ」
強くなれるのに強硬に拒否してくるとは……
『そんなに嫌なのか』
拡張現実をオンにしても[恐慌]とか出てこないのでトラウマではないようだが。
「こっちの方がマシなのか?」
「これ以上、下手に強くなったら居場所がなくなる」
「は?」
訳が分からない。
「居場所がなくなるって何だよ。
別に排斥されたりはしないだろう?」
「なに言ってやがるっ」
渋い表情で吠える仮面の男。
まあ、ビルなんだけどね。
「化け物扱いされちまうだろうが」
『あー、そういうことか』
理解はできる。
人間は自分と違うものを拒む傾向があるからな。
ちょっとしたことで過剰に排除しようとするし。
そういう意味では俺は恵まれている。
化け物じみた魔法とか色々と見せているのに国民たちは慕ってくれるし。
『皆に感謝しないとな』
ビルが懸念していることも判明した。
これで、めでたしめでたしとはいかないのだけれど。
「矛盾してるぞ」
「何がだよ?」
「前よりレベルアップしてるじゃないか」
ベテランのソロ剣士が自力でレベル上げをするのは並大抵のことではない。
それを短期間で成し遂げているのだから相応の働きはしているはずだ。
化け物扱いされたくないのであれば、セーブすべきであろう。
「ぐっ」
言葉に詰まるビル。
「……稼がないと食っていけないだろ。
蓄えがないと、引退したあとが怖いしな」
「ふーん」
予想通りの答えである。
「ある意味、化け物呼ばわりについては既に手遅れだと思うがな」
「なにぃっ!?」
またしても腰を浮かせようとしてきた。
指を突き付けると【気力制御】なしでもブレーキがかかって戻ったけど。
「手遅れって、どういうことだよ?」
「ジェダイトシティでのビルの評価が化け物に近いってことだ」
「まさか……」
表情を強張らせながら、恐る恐る聞いてくる。
「冒険者たちの間じゃ密かに鬼神なんて呼ばれてるみたいだぞ」
「……………」
ビルは絶句していた。
そんな風に呼ばれるとは想像すらしていなかったのだろう。
「恐れられつつも敬意は払われているみたいだから、いいんじゃないか?」
「どこに敬意が払われる要素があるんだよっ!?」
「鬼神も神様じゃないか」
「別物だろうがっ!」
読んでくれてありがとう。