ひとまずは
『となりや』に俺たち以外の客はいない。店内には申し訳程度のBGMが鳴り響いている。
「ね、姉さん……。それってどういう」
あずみさんの言葉は、心なしか震えている。あずみさんの言葉を受けたみゃーちゃんは、乾いた唇をコーヒーで潤してから、目線をすっと宙に這わせて口を開いた。
「高校二年の春、私は『不良』と呼ばれる人種になった。それはあずみもよく知ってるだろう。ちょとしたことが原因でね、親との喧嘩だったり、勉強についていけなくなったり、理由は挙げるとキリが無いけどさあ……。不良になって変わったよ。先生や親の態度、周りの生徒達の反応、私を見る目がいきなり変わった。高校生の時分、気持ちのいいものではあったな。だけど、唯一変わらないものがあった。……あさみだけは、変わらなかった」
俺とジルはみゃーちゃんを凝視する。みゃーちゃんの言葉を待ち、俺たち三人は唾を飲み込む。
「あさみはね、幼馴染……だったんだ。元気で、明るく、よく気がつく、世話焼きのお姉さんみたいな奴だった。でも、あの日から……変わってしまった。あたし達が高校二年の丁度この時期位にさ、あの子……ひとつ大きなミスを犯したんだよ」
「どんなミスを……?」
ジルの質問に「うん……」と言ってから、みゃーちゃんは続ける。
「今回、トールボットがやったミスと同じ。発注ミスを……ね。あさみが、あんたと違ってたところは、仲間がいなかったことと、全てを売りさばけなかったことの二点だね。あんたも、男女問わず批判を受けたろ? あんな感じだよ」
「みゃーちゃんは? 助けなかったんですか?」
俺は当時の状況を頭の中で想像しながら、みゃーちゃんに聞いてみた。
「不良が学校の行事決める席にいると思うか?」
「ああ……。続けてください」
みゃーちゃんに手のひらを見せ、俺は話の順番を譲った。
「でだ、そこからあさみに対する嫌がらせが始まった……んだと思う。あいつは気丈に振る舞っていたし、学校で、たまに話していたけどそんな空気は感じさせなかった。それから一年だ。相当に疲れていたんだろうな。あさみはこの頃にはもう殆ど口を開くことは無かった。そんな時、ああ……忘れもしない。十月二十二日だ。私は不良の連中とカラオケに来ていたんだ。そこで電話が掛かってきてね。あさみの言っていたことはあまり聞こえなかったんだけど『どうしたらいい?』ってのは聞こえたから、私言ったんだよ。『あさみの事はあさみが決めなよ』ってね。今にして思うと無責任極まりない言葉だよ。本当に……。あいつは、最後の最後に、私を頼ってくれたってのに……。次の日、あさみが首を吊ったってのを聞いて私は後悔した。どうして、どうしてあいつのことを……無下に扱ったのか……」
みゃーちゃんは悔しそうに、下を向きながら下唇を噛む。太ももの上に置いている拳が、ぎゅうっと強く握られていた。
「……で、みや姉さんはどうしてその話を?」
「え……?」
そう言ったのはみゃーちゃんだけではなく俺も、ジルも、そうだった。あずみさんは煙草に火をつけ、一口煙を吐き出してから言った。
「いやぁ、ウチの姉さんが死んだのは……まあ、悲しかったけどさ……。あたしが気にしてたのは誰かに殺されたんじゃないかって心配していただけなんだよなあ……」
「なっ! あずみさん! いいんですか!?」
俺はついつい口を出してしまった。席を立ち、あずみさんに向かう。そんな俺に、あずみさんは鋭い視線を向け、威嚇してきた。
「う……うぅ、ぅぅ。す、みません」
そう小さく謝りながら、席に戻る。ジルが小声で「何やってんのよ」と言いながら、俺を肘で小突いた。そんなジルに「うるせえよ」と小声で返す。
「あ、あずみ……。許して……くれるの?」
「許すも何も、ないでしょ? みや姉、気にしすぎだよ」
「そんな、私は……」
あずみさんは、カウンター越しにみゃーちゃんの肩を軽く叩き、笑ってみせた。
「姉さんは悪くない。悪くない。悪く、ないんだよ」
みゃーちゃんは、あずみさんをまっすぐ見たまま、大粒の涙を一筋流した。その瞬間、憑き物が落ちたかのように涙が溢れだした。涙の後に微かに嗚咽を漏らしながら、みゃーちゃんは泣いた。
店内には時代を過ぎたジャズと、みゃーちゃんの泣き声が、いつまでも響いていた。
時刻は八時を少しばかり回ったところだった。トイレで母さんに「ジルと帰る、心配するな」と短いメールを送った後、すぐに返信があった。
『デートもイイけど、受験生としての本分を忘れることなかれ。まぁ、今夜は……ウフフ……国際交流ね』
どうやったらこんなに早くメールを打てるんだよ。テンプレートみたいじゃないか。しかも内容が、大いなる勘違いという点が痛々しい。恐らくだが、下ネタであろうメールを読み終え、俺は返信をすることなく元いた席に戻る。残りの飲み物を飲み干しながら携帯電話を机に置いた。
「じゃあ、そろそろお暇するわ」
もう泣き止んだみゃーちゃんがフーっと大きな息を吐いて、そう言ったので俺たちは付いて出るような形をとる。みゃーちゃんに奢ってもらったので、すかさず俺とジルはお礼を言う。
あずみさんにも一礼をして店を出る。外の空気はいつになく冷たく、俺たちを通り抜ける。
「みゃーちゃん、なんてゆーかさ……。良かったじゃん。……本当の事言えてさ」
みゃーちゃんは何も言わなかった。
駐車場について、車に乗っていけと言われたが、俺たちは遠慮して、徒歩で帰ることを決めた。みゃーちゃんが車を発進させ、見えなくなるまで見送ってから、俺たちは歩き始めた。
「良かったわね。みゃーちゃん。ちゃんと伝える事出来てた……よね?」
「ああ、そうだな。しかし、今思えば……大きな事になっちまったよな。お前が見つけたメモがこんな大ごとになるなんて、想像もしなかったよ」
そう言って、俺は秋の寒空を見上げながら言った。ジルは俺の左後ろで「本当にね」と呟いていた。
「まぁ、あれね! 地固まってなんとやらね!」
「間違えてるぞ、それ」
正しくは『雨降って地固まる』だな。こいつは慣用句を全く使いこなせないな。国語の成績が心配になる。数学よりはマシだろうけど。
「えー! 伝わってるならいいじゃない! 細かいわよー。ほら、これ、なんてゆーのかなーあれ! あれ!」
「『大は小を兼ねる』的なものか? いや、これも正しくはないか……」
「アンタ本当に受験生?」
「うるせえよ」
ジルは「えへへ」と笑ながら、少し歩みを早めて俺と肩を並べた。
まったく、忌々しいな。
そう思った刹那、強い風が俺たちの背を押した。俺は寒さに震え、ポケットという名の避寒地に手を潜り込ませる。
「あれ? 無い。無い、無い無い無い! ……無い!」
「どうしたの? その踊り、また学校の人気者になりたいの?」
ジルは呆れながらも冷静に、俺の行動から何が無いのかさぐろうとしていた。「踊り」と、ジルはそう言ったが、確かにそうかも知れない。ポケットに手を入れたり、出したり、身体中を叩いたりしているだけならいいが、俺の行動はもう携帯電話を捜すということを超越していたのだ。
まあ、詳しくは……俺の名誉の為に伏せておこう。
「何で三点倒立しようとしてるの? ん? ああ、携帯電話無くしたの? 鞄の中は?」
「ない!」
「ズボンの後ろポケットは?」
「ない!」
「上着の内ポケットとか?」
「ない!」
「シャツの胸ポケット?」
「ない!」
「わっか?」
「ない!」
「今夜はパーリィ?」
「ナイッ!」
「あずみさんトコじゃないの?」
「ナイス!」
俺はジルを一人置いて、走って『となりや』へ逆戻りした。
見られて困ることがあるとか、そういうことでなく、携帯電話が無いというのはどうしてこうも落ち着かないのだろう。現代人の恐ろしさを俺自身の中に、確かに感じることが出来た。ありがとう、携帯電話。待っていろ、携帯電話!
俺は息を切らしながら、『となりや』の扉を開く。俺は静かに扉を閉め、携帯電話を探す。カウンターには……誰もいなかった。




