直火式と抽出マシン
『この手紙が偶然でなく、しっかりとした手順を踏んで誰かの目に触れているのであるとしたら、ここに断言しておこう。これが、最後のメッセージである。
だが、これが見つかる時に私はもうこの学校の生徒ではないと思う。
率直に言おう。私はこの学校で、罪を犯した。こんな事で私の気が晴れる訳でも、罪が赦されるわけでもない。
しかし、この場を借りて告白しよう。
私は、人を殺してしまった。私が、殺してしまった様なものだ。
彼女は、体育館で首を吊っていた。
私は、いつまでも消える事のない十字架を背負い惨めに生にしがみつきながら生きていくのだろう。
以上が弱くて弱くて弱くて、弱い私の告白だ』
「終わったああああああ!」
俺たち三年一組は、ギリギリではあるが、午後六時二十五分に全てのフランクフルトを売り切ったのだ。知らぬ間にホットプレートの数は四つになっていた。
「よし、じゃあ片付けだー。みんなでキビキビと行こうぜ」
みゃーちゃんが元気良く檄を飛ばす。
片付けになって、より一層張り切るというのもどうなのだろうか。
片付けを終えて、体育館に移動し、藤峰祭閉会式を終えて、俺たちはようやく自由になった。
ここで、普通なら打ち上げをする流れになるのだろうが、うちの学校は歴史的に、打ち上げ禁止という事になっている。全く空気の読めない校則だ。まあ、校則が空気を読めるとは思っていないのだけれど。
楠宮に「打ち上げしよーぜー」とごねられたが、ほとんど無視する様に難を逃れた。
「海っ! 一緒に、帰るわよ」
下足場でジルに声をかけられた。こいつと面と向かって話すのが久し振りな気がしたが、気のせいだろう。俺はため息をひとつしてジルに言う。
「帰り道、寄るトコあるから。……お前も来い」
「手紙の事で何か掴んだみたいね!」
「急に生き生きするんだな……お前は。ま、その事だ。真相が掴めそうだ」
目を輝かせているジルを見て、またため息を吐いてしまった。これでは幸せが逃げてしまう。俺は歩みを少し早めた。ジルが俺に並んで歩いてくる。
「いいじゃない! 最近文化祭でいっぱいいっぱいだったし、ようやく本腰いれてーー」
「勉強が出来るよなーー」
ぶたれた。親父にもぶたれた事が無い。わけでは無いので、気にしなかった。ジルは堰を切ったように話し始めた。
「違うわよっ! アンタやっぱりバカなのね。いい? 気になった事をそのままにしておくのって悪い事なのよ! 例えば、二日間お風呂に入っていないのに街に繰り出す様なものよ! わかる?」
「文化祭、終わった瞬間に饒舌になるんだな。盛り上げるタイミング間違ってんじゃねえか? まあ、お前はそう言うタイプの人間、失礼、人魚、いや失礼、元人魚なんだな」
「いちいち細かすぎるわね……アンタ。気にしすぎ!」
気にするのはお前だろ。
と心の中でお経の様に繰り返しながら、俺は校門を抜けた。ジルは俺の前を歩き、校門を抜けた所で止まっていた。そして、俺の方を見る事なく手を後ろに組んでいた。
「でも、この二日間は褒めてやらん事もないかな。ハプニングが多かったけどさ、みんなにも認めてもらえたし……。災い転じてーーってやつね。ホントに感謝してるわ。ありがとう。海」
秋風に揺れるジルの金色の髪がキラキラと月明かりに輝いて、とても魅力的に見えた。
俺たちは電車をおりて改札の青い部分に定期券をかざす。定期券をかざす部分に名前なんてあるのかなーなどと考えながら、改札を抜ける。とっぷりと日が暮れていたので、足元に注意しながらジルと階段を降りる。
秋らしい、虫の声が涼しさを感じさせた。
「あずみさんに、何を聞くのよ?」
「いいだろ? すぐ分かる」
「えー! ケチ、阿呆、ばーか! 鬼ー、赤鬼ー、犬、猿、雉! 明太子の粒数えてろー! 近眼になってしまえ! メガネー、メガネ野郎ー! 未来形メガネ男子ー!」
「後半支離滅裂だな、おい」
その後もジルの悪口をブラックボックスのように右から左へと流していると、到着した。喫茶「となりや」だ。
古びた木の扉に金色の丸ノブが光っている。そのノブに『OPEN』という札がかけてある。俺達はノブを回して中に入った。
古い家の匂いとコーヒーのいい香りが心を落ち着かせてくれた。俺たち以外にお客さんがいないようだったので、カウンターに腰を落ち着けた。あずみさんは俺たちがカウンターに着いた後、奥の部屋から大声で言った。
「いらっしゃーい! 何人さーん?」
「あずみさーん。ぼくと、ジルでーす」
「おおー今行くー!」
すまんすまん、と言いながらくわえ煙草で奥の部屋からやって来たあずみさんは私服だった。
黒い裏編みのUネックにマスタード色のチノパン(丈が脛くらいまでのヤツだ)姿をしていた。
「おおっ、二人ともお疲れさん。飲んでけよ。何にする?」
「俺はカフェオレで」
「こっどもねぇ! アタシはカフェラテ下さいっ」
「おい! お前こそ、変わんねえだろうが」
「海、ちげーぞ。ラテとオレには明確な差があるんだよ。カフェ・オ・レってのはな、コーヒーにミルクを入れて作んのよ。
一方カフェラテな、これはエスプレッソコーヒーにミルクを入れて、さらにもう一手間、スチームミルクを入れんのさ。スチームミルクってのは蒸気で気泡を加えながら温めたミルクの事で、別名フォームミルクともいうんだ。
エスプレッソもわかんねーだと!? 勘弁してくれよ。エスプレッソってのは、水蒸気を発生させ、その蒸気圧を利用してコーヒーの粉の中に瞬間的に湯を通して抽出するコーヒーのことだ。これにゃぁ、直火式と抽出マシンの二つがあるんだが、そうだな、ウチにあるのはマシンの方だ。
んでだ。カフェ・オ・レの話に戻るとな、本場フランスではよくカフェ・オ・レを小さなカップではなくカフェ・オ・レボールっていう大きめの茶碗みたいなもんで飲むんだがこれがーーーー」
「あ、あずみさん。スゴイ!」
ジルが簡単の声を漏らす。確かに明確な違いは知らなかったな。それより、こんなに喋るあずみさんは初めてじゃあないだろうか? 流石は喫茶店の娘といったところか。
「ほいさ、お待ち」
そう言って俺たちの前にそれぞれの飲み物が届いた所で、一口カフェ・オ・レに口を付けてから俺は話を始めた。
「あずみさん、今日は本当にありがとうございました。感謝してます」
「大した事じゃあないよ」
「で、ですね。いきなりなんですが……。あずみさん、少し聞いて下さい」
そう言って俺は携帯にメモしていた、あの手紙の内容を読む。あずみさんの表情が、怒りとも、悲しみともつかない表情に変わったのは俺が『体育館倉庫で……』と言った後だ。
「あんた達……。いったい何してんの……?」
「調べてるんですよ。ジルが、どうしても許せないってね。俺もそう思いました。女生徒はどうして自ら命を絶ったのかーーーーと、そう思いまして」
「十二年も、前の話なんだぞ……」
あずみさんは俯きながらそう言った。
「分かっています。そして、今日知りました。ここに書かれている、自殺をした女生徒……あずみさんの……。お姉さんですよね」
ジルが椅子から立ち上がる。反動で椅子が後ろに倒れてしまった。俺は続ける。
「俺は、学校が隠しているこの事件の真相が知りたい。そう思って、あずみさんに話を聞きにきました」
あずみさんはまだ俯いている。
少しの沈黙の後、あずみさんは力なく頭を上げ、虚ろな目のまま静かに口を開いた。
芋虫の様に長くなってしまった煙草の灰が、落ちた。