難問、喧嘩……。
あずみさんは、短くなった煙草を消しながらカウンター越しに話し始めた。
「私の姉、名前は道玄坂あさみ。私の二つ上の姉さんだ。姉さんはいつも明るく、元気で、生徒にも先生にも人気があった……。姉さんが死んだのは、ちょうどこの位の時期だった。十月の終わり。
生活的に苦しい状況であったのは確かだが、父さんと、姉さんと三人で……普通に生活してたんだよ。だけどね……。いきなり、姉さんは逝ってしまったんだ。私は学校で、何かあったんじゃないかと疑った。一番信頼のおける先生、に話したんだ。すると、学校側はね、言ったんだ。『遺書なんてなかった』と。そして、私は卒業してから十年間、心に引っかかりがあるまま生活してる。
あんた達が読んだ手紙の内容は間違いなく、姉さんに関係しているよ。それに、学校側の悪意の様なものが見えている。
海! あんたはもうこんな事調べたくもないと思ってるかもしんない。けど、私の大事な姉さんが、何故首を吊ったのか……。何故、自ら命を絶ったのか……。真相を、調べて、教えて、欲しい」
あずみさんの真っ直ぐな視線に、俺は思わず下を向いてしまう。喉が乾いているのに、カフェ・オ・レに手を伸ばさなかったのは、俺の手が震えていたからだ。
俺は言葉に震えが残らないように、しっかりと間をとってからあずみさんに言った。
「期待は、しないで下さい」
すると、ここまで黙っていたジルが静かに口を開いた。
「あずみさんのお父さんって、今どこに?」
「姉さんの亡くなった次の日から、失踪してる。一枚のメモを残してね」
失踪? 娘一人残して?
俺は気になった事を訊こうと思い、身を乗り出した。あずみさんはそんな俺を察して、話を続けた。
「メモには、こうあった。
『あずみ、俺は失踪する。金は心配するな。通帳にある。番号は××××だ。いいか? このメモを読んだ後すぐに警察に失踪届けを出せ』
ってね。全く、勝手過ぎだよ。あの父親は……」
ジルが暗い表情であずみさんに訊く。
「ってことはもうあずみさんのお父さんは……」
「ああ、死んでる。死んだことに、なってる。三年前に死亡認定された……」
さらに空気が重くなり、口を開くことが難しくなった。俺はぬるくなったカフェ・オ・レを一気に飲み干した。
十一月に入り、秋風が涼しさから冷たさを連れてくる。とは言え、昼間の陽射しにその風は心地よくはある。
近年、地球温暖化により、海面の上昇、森林の砂漠化、気温の上昇、様々な問題がある。この諸問題について我々人間はどのような対処を行ってゆくべきなのだろうか。
俺は今、某予備校の教室で模試を受けている。科目は数学だから、環境問題については一切触れていない。
しかし、だ。俺が何故、数学の時間に環境問題を考えていられるのか、疑問に感じる方も居るだろうから解説をしておく。
答えは単純で明瞭。手がつけられない問題があるからだ。
最近勉強が疎かになっていることに多大な不安を抱いていたのだが、やはりこの不安は的中していた。
解けねぇよ。無理だ。無対策で点が取れるほど甘くはない。しかし、これが本番ではなかっただけもうけものだったかな。
「終了! ペンを置いて。後ろの席から前の席に回して下さい」
塾の講師が無感情にそう言った後、俺の後ろの席から回答用紙が回ってきた。
畜生っ……。
こんな筈じゃ無かったのに。
よし、帰ったら勉強しよう。
模試を終えて、家につく頃には時計は五時を指していた。夕日がアスファルトを赤く染めていた。カラスの声が、俺の心に淋しく響いた。
玄関を開けるといきなりあいつがテンション高めに俺の前に現れた。ジルだ。
「ただいまー」
「かーい! やっと帰って来たわね! さっそく調べに行くわよ!」
「まて、どこに行くつもりだ?」
時は夕刻。学校は休み。なのにこいつは、何故に学校へ行こうと言うのか。全く理解に苦しむ。
「諦めろ。明日っからまた学校だろ? 待てば海路のなんとやらだぜ」
ジルは納得いかない。という表情で俺を睨みつけている。おいおい、勘弁してくれよ。
俺はジルに向けて、参考書を突き出した。自然、ジルは俺の視界からいなくなる。
すると、ジルは参考書を目掛けて右ストレートを繰り出した。自然、倒れ込む俺。
「いってーな、オイっ! 何しやがる!」
「アタシに向かって数学で壁を作ってたから、そんなつまんない壁を壊してやったのよ! ベルリンの壁の如し、ね!」
「ドイツのみなさん。すみません」
「なんでアンタが謝るのよ?」
「色々あんだよ」
首を傾げるジルを無視して、ようやく部屋に到着する。
構わず部屋に突入して来た歩兵、いや、ジルは俺のベッドの上で地団駄を踏みながら言う。
「アンタ! あずみさんに頼まれたのよ! アタシ達が動かないで誰が動くのよっ! 政府? 自治体? 警察? どれも動いちゃくれないのよ! わかってんーーーー」
ああ、五月蝿いな、もうっ!
「わかってるよ! あのあずみさんにっ! 頼まれたから慎重なんだろっ! わかり切った事言ってギャーギャー五月蝿いんだよっ!」
ああ、駄目だ。今俺、八つ当たりしてる。
「大体、お前が変なモン見つけてくるからこうなったんだろ? しかも、お前が来てから勉強できやしねーし……」
最低だ。勉強の事は、自分のせいだろ。
「正直、お前が来てからめちゃくちゃなんだよ! 居候のくせに、なんだかんだケチつけて俺を振り回すなよっ!」
最悪だ。自分の失態を人のせいにして、勝手にイライラして、落ち込んで、考えてもいないくせに考えてるとか嘘ついて、怒鳴って、当たって、散らして……。
「もう……。いい、アンタには何も頼まない。少しでも期待していたアタシが馬鹿だった。じゃあね」
そう言って、ジルは部屋から出て行った。
「おいっ、ジル!」
廊下を走る音、靴を履く音、玄関が閉まる、重い重い、音。
これで、良かった。良かったのか?
「ったく! 馬鹿野郎が……。良いわきゃあねーだろーが」
太陽は、月に引き継ぎ夜を演出するために、タイムカードを押しているようだ。
……そろそろ暗くなる。




