前祝い
みゃーちゃんの『拷問』を終えて職員室を出たのは完全下校時刻三十分前だった。
俺は東階段を登り、教室に向かった。
「また、しょうもないこと訊いちまったのかなぁ」
そんな風に独り言を言いながら教室の前に到着すると、ひとりでに教室のドアが開いた。
うちの学校は自動ドアでないことを俺は知っていたので、出てきた人間とぶつからない様に半身にしてドアから一歩引いた。
ドアを開けたのは現見だった。
「あら? 銛矢君じゃないの。先生との話終わったの?」
「ああ、終わったよ。長い間みゃーちゃんの話に付き合わされてさあ、もうクタクタだよ」
『十二年前……? 何で、あんた、そ、その事をーーーー』
みゃーちゃんの態度はとても普通ではなかった。顔が少し青ざめていた様にも思った。そんな事を回想しながら、俺は現見に言った。
「看板、出来たのか?」
「うん! なかなかのものになったよー。ジルちゃんの働きは大きかったね!」
教室の真ん中に、今まさに出来上がった看板には『三年一組 フランクフルト』と赤い背景に黒い文字で書かれていた。見事なまでのゴシック体に生気を感じられなかった。
「これくらい、トーゼンよ! 少しはアタシの素晴らしさが分かったんじゃあないの?」
ジルは、絵の具で汚れた軍手で、鼻のしたを人差し指でこすりながらあまり大きくない胸を張って見せた。
楠宮は絵の具を乾かすため団扇をひらひらと仰いでいる。もう殆ど乾いているのかもしれない。
俺はそんなみんなに一つ謝罪をいれ、言った。
「すまないな。みんな、今日は俺がおごるから帰りに何か食いに行こう。文化祭の前祝い的な感じで」
「いいね! 行こう!」
一番始めに食いついたのは楠宮だった。こいつは本当に現金なやつだなと思いながら、俺はジルと現見を見やる。
「そうだね! 文化祭までもう一週間もないし、早めにやっておこうか。前祝い」
「京子ちゃんが行くなら、アタシも行く!」
という事で、俺たちは早めの文化祭前祝いをするために、学校を出た。
完全下校時刻はもうすぐだった。
「ひゃぁぁぁ! 美味しそう! 目の前で焼いてくれるなんて夢の様ね」
ジルは目の前で焼かれているお好み焼きを見ながら、目を輝かせていた。
俺たちは、駅の前にある鉄板焼きの店に入りそれぞれ食べたいものを注文した。この鉄板焼き屋は、広島風お好み焼きを中心にしたメニューを展開しており、価格も非常に親切である。夕方六時過ぎにはいい匂いを辺り一体に振りまき会社帰りのサラリーマンや、部活終わりの学生を癒すとこの辺りでは有名な店だ。
「それでは、文化祭の成功を願ってぇ、乾杯っ!」
楠宮の音頭を受け、俺たちはジュースを片手に乾杯した。
ジルは鉄板で焼かれていく生地とキャベツに心を奪われているようだった。
「でもさ、どういう風の吹き回しだ? 海。受験勉強、受験勉強って気ぃ張ってたのに、いきなり飯食いに行こうなんて。もしかして合格の目度が立ったとか?」
「んなわきゃーねーだろが楠宮。俺にだって息抜きが必要なんだよ。一日中勉強してねーと通らない大学を選んでないってだけだし、まぁ、勉強してないわけじゃあないから、心配には及ばないさ」
「ははっ! そりゃあ憧憬の至りだな」
そういって楠宮はグラスを傾けた。
そういった実に他愛もない話をしていると、ジルと現見の頼んだお好み焼きが出来上がった。俺と楠宮の注文したそばめしは今から作り始めるようだ。
「うー! むぐぅんぐ! んにににー」
「ジル、口にモノいれた状態で喋んな。はしたない、汚い、行儀悪い」
「……ん、んぐ。ぅおお美味しいィィ!」
鉄板焼き屋のおっさんがニヤニヤしている。いかつい顔つきをしているが、お店の料理を褒められてさぞ嬉しかったのだろう。
いいから早くそばめしを作ってくれ。
「ねぇねぇ、銛矢君。そういえばまだ決めないといけない事あったんだよ!」
箸を置いて両手を一つ叩き、現見は言った。
俺はグラスを置き、現見の方へ顔を向けた。
「まだなんかあるのか? まぁ、俺は委員じゃあないんだし、俺に話をするのは筋違いじゃあないか?」
「そうでもないんだよー。フランクフルトね! 発注する係を決めないとなのよ。そこで、銛矢君にやって欲しいの。ほら、去年は豪快に失敗してたみたいだし」
「豪快に失敗とか言うなよ。正直傷つくぜ……」
「ああっ! ゴメンなさい。私もそんなつもりで言ったんじゃないんだよ? 一度失敗しているって事はもう大丈夫な筈でしょう? そこなの。銛矢君に私の気持ちが伝わってないのは私も少し傷ついちゃったけれど……」
「すまない! 現見っ! そんなつもりは無かったんだ。俺は何てやつだ……現見を悲しませるなんて」
「ああ、そこまで自分を責めないで! 他のお客さんも居るんだから、膝をついて落胆しないでっ! 私ものすごく悪い人に見えるからっ」
あたふたする現見を見ていると時間が止まっている様だ。なんて天使なんだろう。本当、可愛いよなぁ。
そんな事を思っているとジルがお好み焼きを半分食べたうえで、俺が注文したそばめしに手を伸ばしながら言った。
「ははぁん? アンタ、失敗するのが怖いのね? チキンね、チキン! クックドゥードゥルドゥーね。男らしさを見せなさいよ、少しは」
「うるせえな。お前にゃわかんねえだろ! 注文数を桁一つ多く発注してしまった者の末路が! 学校という小さな社会から三ヶ月程弾圧されるんだぞ⁉ おぞましい。今思い出しただけでも戦慄するぜ」
「ふぅん。確認不足よ。性格が出るわね。雑男」
「そんな不名誉な呼び名つけんな。そこまで自信あんならお前がやれよ。それが一番いいだろ? うん、理に適ってるといっていいな」
「はぁ? なんでアタシがそんな雑用ーー」
「あれ? 出来ねーのか? ああ、雑女のお前はミスが怖くてお手上げですかね。はいはい、では現見のご希望にお答えして俺が……」
「待ちなさいっ!」
ジルは勢いよく席を立ち、俺を睨みながら言い放った。
「アタシ、やるわ! 見てなさいよ。ビシッと発注してやるんだから!」
作戦成功。というのが俺の心の声だったが、顔に出さないように、胸の中に感情をしまいこんで言った。
「じゃあ、発注はジルに任せる。ーーいいよな? 現見」
「うん。誰がやっても構わないよ。じゃあジルちゃんにはまた詳しく説明するからね」
「ええ。任せてよ!」
ジルは鼻高々に、胸に手を当てて反り返りながら現見に言った。
そんなジルを横目に、俺は残ったそばめしの少なさに呆れて、追加注文をした。
「すみません、焼うどん下さい」