紫色と過呼吸
文化祭を明日に控え、俺とジルは二人で校長室の前にいた。
「この前話した通りなんだけど。本当に行くのか? 不毛だと思うぞ」
ジルは腕を組み、俺の言葉を鼻で笑いながら言った。
「行くわよ。私がウズウズしてたの気が付かなかったの? アタシは早いとここの手紙にある謎を解決したいの! わかる?」
「思いっきり文化祭を楽しもうとしてたけどな、最近のお前は」
「ううう、うるっさいわね! いいでしょう? 別に!」
「それと、明日からのフランクフルト三百本注文し終えたんだろうな?」
「本当にしつこいわね。アンタ意地悪な姑みたいね。やったわよ! しっかり注文しました! あしたの朝には学校に届くわよ」
「そうか、なら大丈夫か。いやな、俺はお前の事を心配して言ってやってるんだ。感謝の言葉一つくらいあってもいいんじゃあねえの?」
「鬱陶しいわ! もう! はいはい、ありがとうありがとう」
ジルは俺の顔を見る事なく、手をひらひらさせながら言った。俺は勝ち誇った顔をして校長室の扉を四回ノックした。
「どうぞー」
中から校長先生がそう言ったので、俺は先陣切ってドアを開けた。ジルが俺の後に続く。
「あら、銛矢君ね。久しぶり、でもないわね。あらまぁ、今日はお友達もご一緒なのね」
「ジル・トールボットです」
ジルは深く、お辞儀をした。こいつは何故、こんなにも礼儀作法を心得ているのだろう。正直不思議でならない。
「ああ……。貴女がウワサの転校生ね。成田教諭から訊いているわ。見た目がファンキーだけれど、いい子ですって」
見た目がファンキーなのは校長先生の方だと、俺は心の中で思ったのだが、黙っておいた。今日の校長先生のスーツは紫色だった。
「あの、校長先生。先日話した件について、ジルが興味あるので話を訊きたいみたいなんです。…………無理ですよね?」
いきなり、明るかった校長先生の表情が暗くなる。俺たちは、空気が氷るのを感じて身構えていた。
「貴方、まだ懲りていなかったのね。この件に関しては、私は何も言わないと……そう、言ったはずよ」
校長先生は席を立ち、俺たちに歩み寄る。身長はそんなに高くなかったが、何とも言えない威圧感に俺は一歩後ずさりした。
「校長先生。失礼を承知で言わせて頂きます」
ジルは真っ直ぐに校長先生を見つめながら、語気を強めて言った。
「これは立派な事件です。人が一人、亡くなっています。その事実を学校の都合で『無かった事』にするのは、アタシは許せません」
「学校の都合じゃあっ! ……ない、わ」
校長先生は明らかに取り乱し、ジルの言葉に反駁した。ジルはさらに続けて言った。
「だったら、何故。この学校にそれに関わる記事が、文献が無いのですか? 学校史にも載っていないですよね」
「それが、彼女の……望みだったからよ」
校長先生の言葉に、力は無かった。
何か、諦めたような。そんな感覚。
校長先生は俺たちに言った。
「分かったわ。しかし、全ては伝えません。また少し、長くなりますよ。覚悟はできているかしら?」
俺たちは、互いに顔を見合わせて言った。
「固より、そのつもりです」
「十二年前、一人の生徒が体育館倉庫で首を吊ったわ。当時、私は教頭の役職についていたの。丁度この時期くらいだったわ。よく覚えてる。彼女は、明るくて、元気で、誰とでも仲良く出来る、そんな子だった。でもね、彼女が亡くなる何ヶ月か前から、彼女の様子がおかしかったの。虚ろだった感じがしていたわ。私が話を訊いていれば、こんな事にはならなかったのだろうけれど。いえ、戯言ね。私は、私を慰めたいだけなのかもしれないわ。ーー私から出来るのはこれくらいの話だけよ」
校長先生は「何か他に質問は?」と言葉にしなかったが、ジルが、強引に質問をした。
「生徒の名前は分かりますか?」
「愚問ね。プライバシー保護の為に言えないわ」
「いじめがあった。ということでしょうか?」
「素直には頷けないわね。あったのかもしれないし、無かったのかもしれない」
「えらく、曖昧なんですね」
「そんなものよ。学校なんて。いじめが介在しない社会は存在しないわ。学校も小さな社会だから、少なからずいじめはあったのかもしれないわね。人は、人を傷つけないと安心して生きられない動物なのよ。それが、どんなに小さくても、どんなに大きくても。心の中で、他人を卑下している事もいじめには繋がるし。……つまり、人間の弱さゆえに起こってしまった悲劇ね」
「アタシは……」
「その辺にしとけ、ジル」
時間もそうだが、ジルの顔色が異常なまでに青い。言葉ひとつ発するのも辛そうだ。
「先生、最後に俺から一ついいですか?」
「何かしら?」
「亡くなられた方の、ご家族は」
「それが、両親共に……。いえ、違うわね。そうそう! 妹さんが一人いたわね。覚えているわ」
「そうですか。ありがとうございます」
ジルの背中を軽く叩き、俺たちは校長室を後にした。これから文化祭の最終打ち合わせだと言うのに。
「海……。気分、悪い」
「やれやれ」
俺はジルを女子トイレ前まで連れて行き、トイレの前で待っていた。
その間に校長室での話を回想してみたりしていた。目は開けていたが、ものを捉えるために機能していない視界の中にいきなり天使が現れた。
「……わっ!」
「おどぅるるらぁああっしゃぁあ!」
「ええ⁉ 今のどうやって発音したのっ?」
現見が俺の視界にいきなり登場したことにより、驚きの言葉を口にしてしまった。現見に言わせると、イタリア語とスペイン語を足して中国語で割ったような発音だったらしい。
「なーにしてたの? 銛矢君。こんな所で」
「なに、髪を乾かす時にどっちの手でドライアーを持つのが効率がいいか考えていた所さ」
「普通は右手にドライアーじゃない?」
「現見は左利きか?」
「どうしてそうなるの? 右手にドライアー持つんだから右利きじゃない」
「髪を整える手は左になるじゃあないか」
「うーん。髪を乾かす時に、左手はあまり重要視されないんじゃないかと思うよ。ってこんな所で考えるようなこと? ここトイレの前なんだけど」
「現見よ、トイレもお風呂も水周りの話だろう」
「ああ、そっかぁ! とはならないよ。誤魔化してばっかりで話が前に進まないよ。後ろ向きに全速力でバックしているよ」
「運転手はシューマッハだな」
「……うまくないよ?」
心が癒されたところで、現見にジルを待っているのだと伝えると、現見はトイレに消えた。すると、現見の悲鳴が聞こえた。現見の言葉を借りるなら、イタリア語とスペイン語を足して中国語で割ったような発音だ。
「銛矢君! 来て!」
公然的に女子トイレに入れる状況に多少の戸惑いを覚えたが、クラスメイトの指示とあっちゃあ聞かないわけにもいきはすまい。
俺は、恐る恐る女子トイレに侵入した。
この文章だけみると、物凄い変態みたいで嫌だなぁ。なんて気持ちは、目の前の光景に一気に吹き飛ばされた。
ジルが倒れている。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう? 隠す?」
「なんでそうなるんだよ! 現見、カームダウン。落ち着け、深呼吸しろ」
「すーはーーーー」
「どうだ?」
「トイレ、臭い」
「よし、落ち着いたみたいだな」
俺はジルの状態確認に移る。口、鼻の前に手をかざす。息はしているようだ。
次に現見の状態確認に移る。涙目、口の前に覆われた手。息をし過ぎているようだ。
ふらっと、現見の身が揺れる。そしてばたり、と音がする。現見は過呼吸で倒れた。
「現見ィィィーー!」
もう踏んだり蹴ったりじゃあないか。
女子トイレに倒れた二人の女子。
謎の男子生徒。
「なんだこりゃ。犯罪者の図か?」
流石に一人で運ぶのは無理がある。だからと言って放っておくのはモラル的にヤバイ気がする。よし、覚悟を決めよう。
「うっおーー!」
俺は火事場の馬鹿力を人生初体験する事になる。右肩にジルを担ぎ左肩に現見を担ぐ。トイレはドアが無いタイプなので、それなりに幅がある。
トイレを出たところで楠宮にばったり会った。流れる沈黙に堪えられない。俺は冷や汗をかきながら言った。
「よ、よう。楠宮ァ。ハッピーかい?」
「お前は、いったいどのレヴェルの変態なんだよ」
「誤解だあああああ!」
この後、楠宮にジルを任せて常人二人、患者二人の計四人で保健室に駆け込み、ジルと現見は一命を取り留めた。大袈裟だけれど……。
楠宮は、なにやらニヤニヤしている。俺はまた新たなウワサの的になるのだろう。
とにかく、無事で良かった。
俺は社会的に無事では済まないだろうけれど。




