処理できない感情
金曜日、午前10時。
「おはよう、ハルちゃんはどこ?」——花田さん
「おはようございます。お嬢さんは病室にいらっしゃいます」——看護師
「やあ、ハル。調子はどうだい?」
胸の奥が、痛んだ。
目の前で倒れるのを見た。
「ママ、会ったこともないのに、どうしてこんなに悲しいんだろう」
「ハルくん、そんなふうに感じるのも当然だよ。誰だって胸が痛むものさ」
普通じゃない。もっと深い感覚だった。
彼女を失うような気がした。
でも、脈を確認した時、少しだけ安心した
(目を閉じる)
彼が、そばで何かを説明している。
(……)
その声だけが、残っている。
(……)
あの時の熱も、
まだ消えていない気がした。
「何言ってるの……」
(……)
全然、落ち着いてなんかいない。
今の状況と、この空虚感に押しつぶされそうだ。
「ママ、お昼ご飯ができたら呼んでね」
(……)
少し、休もう。
ベッドに横になる。
(……)
目を閉じる。
(……)
分からない。
(……)
どうして——
こんなに不安なんだろう。
(……)
胸が、苦しい。
(……)
涙が、止まらない。
その瞬間——
彼を見つめていた時、
気づいた気がした。
(……)
あれは、ただの好奇心だった。
(……)
そう思えば、
説明はつく。
(……)
珍しいことじゃない。
きっと、
それだけのこと。
「ハル、ご飯できたよ」——母
「今、行くね」
(……)
体が、重い。
目も、
うまく開けていられない。
(……)
胸の奥が、
静かに沈んでいく。
「ハル、ご飯を食べたらお風呂に入って、横になってね」——母
(……)
「うん」
(……)
ちゃんとしないと。
そう思うのに、
体が、ついてこない。
鏡に映る自分を、じっと見つめる。
顔を整える。
(優しく、丁寧に)
髪を梳かす。
(まっすぐで、手入れが行き届いている)
(……)
前と、同じはずなのに。
(……)
どこか、違って見えた。
でも、
全部、同じはずなのに。
(……)
何が変わったのか、
分からない。
「もし、少しでも知っていれば——
もっと安心できるのに」
(……)
「でも」
(……)
「何も知らない」
(……)
ふと、顔を上げる。
鏡の中に——
一瞬だけ、
彼の姿が重なった気がした。
(……)
「大丈夫だよ、ハル」
(……)
その声が、
胸の奥に、静かに響いた。
「ハル、大丈夫? ずっとぼんやりしていたね」
「起きて、夕食の時間よ」
「えっと……うん、今起きるね」
(……)
やさしい声。
(……)
それだけで、
少し、安心した。
土曜日、午前9時。
「うーん……気分がいい」
鏡の前で、軽く回ってみる。
赤いTシャツと青いショートパンツ。
(……)
悪くない。
「おはよう」
「おはよう、ハル。元気そうだね」——父
「おはよう、妹。昨日よりずっと元気そうだね」——兄
「もしかして、頭のネジ外れた?」
「何言ってるの、兄さん」
「……別に」
「ねえ、誰か来てるみたいよ」——母
「私、見てくるね」
(ドアを開ける)
「おはようございます」
「おはようございます、ハルちゃんのお友達です」——アユミ
「おはよう、アカリ、アユミ」——父
「ハルを誘いに来ました。公園に行こうと思って」——アカリ
(……)
「ハル、いる?」——アユミ
「ハル、友達がお迎えに来たよ」 —パパ
「昨日のハルとは別人みたいだ」 —お兄ちゃん
「何言ってるの?」 —ハル
「千代田のお祭りに行こうよ」 —アユミ
「ハル、無理しなくていいよ」——アカリ
(……)
「ちょっと、顔色よくないよ」——アユミ
(……)
「大丈夫」
そう言ったけど、
全然、大丈夫じゃない。
(……)
他にも、
気になってることがあるなんて、
二人には言えない。
(……)
「少し休んだほうがいいよ」——アユミ
「うん……そうする」——ハル
(……)
目を閉じる。
(……)
でも——
彼のことを、
考えないなんて、
できるはずがない。
「ハル、お祭りに着いたよ」——アカリ
「ほら、元気出して。桜、きれいだよ」——アユミ
(……)
人の流れの中で、
ふと、思う。
(……)
ここを、
あの人が通ったら——
それだけで、いいのに。
(……)
「そういえばさ」——アユミ
「うちの父、石神くんのお父さんと同じ会社なんだ」
「えっ、そうなの?」——アカリ
(……)
空気が、
少しだけ戻ってくる。
「だから聞いたんだけど」——アユミ
「石神くん、もう大丈夫だって」
(……)
「……そっか」
(……)
よかった。
胸の奥が、
少しだけ軽くなる。
「ハル、今の顔——」——アカリ
「ちょっと安心したでしょ?」——アユミ
(……)
「別に」
(……)
気にしてるなんて、
言えるわけがない。
「でもさ」——アユミ
「石神くんって、ちょっと変わってるよね」
「理性的っていうか、距離ある感じ」——アカリ
(……)
距離がある。
(……)
そうかもしれない。
(……)
なのに——
どうして、
あんなふうに感じたんだろう。
「ハル!今日、何食べる?」――アユミ
「今日は私たちが奢るよ」――アカリ
「ありがとう」
「焼きそばが食べたいな」
「焼きそばを3つください」――アカリ
日曜日。
買い物に行かなきゃ。
(……)
人混みの中で、
ふと、足が止まる。
(……)
あれって——
石神くん?
(……)
胸の奥が、
少しだけ落ち着く。
(……)
でも、
近づけない。
(……)
覚えてるかも、
分からない。
(……)
今じゃ、
ない気がする。
(……)
そのまま、
出口へ向かう。
(……)
後ろが、
少し気になる。
(……)
大丈夫。
(……)
そう思ったのに。
(……)
どうしてか、
気になってしまう。
家にて。
「ハル、材料買ってきてくれた?」——母
「うん」
「ありがとう。昨日より元気そうね」
「……うん」
(……)
「なんだか、落ち着いてるね」
(……)
少しだけ、
間が空く。
(……)
「お店でね……見かけたの」
「え?」
「石神くん」
(……)
それだけ言って、
口を閉じる。
彼に会ってから、
(……)
少しだけ、
心が落ち着いている。
(……)
鏡に映る自分を見る。
(……)
なぜだか、
分からないけど——
(……)
何かが、
変わった気がする。
(……)
ベッドに入る。
(……)
目を閉じる。
(……)
明日、
来るのかな。
(……)
そのことが、
少しだけ、
気になっていた。




