1.7.5
血の臭いが、濃すぎた。
玉座の間に足を踏み入れた瞬間、ミラは反射的に口元を押さえた。
戦場には慣れている。
死にも、殺意にも、慣れているつもりだった。
それでも――
この光景は、あまりにも重い。
床一面に飛び散った血痕。
壁を伝って垂れた赤黒い筋。
そして、その中央に倒れ伏す二つの影。
「……」
息が、止まった。
最初に視界に入ったのは、魔王だった。
巨大な身体。
胸部を深く抉られ、そこから夥しい血が溢れている。
心臓を貫かれている――そう判断するのに、迷いはなかった。
(……致命傷)
この量の出血。
この損傷。
魔族の王であっても、生きてはいない。
次に――
視線が、自然とその隣へ落ちる。
アレン。
銀髪の少年は、仰向けに倒れていた。
腹部から胸にかけて、深々と突き刺さったままの刃。
血で濡れた服。
喉元まで染み上がった赤。
(……無理ね)
回復魔法でどうこうできる量じゃない。
全魔力を叩き込んでも、意味はない。
彼は――
もう、死んでいる。
「……アレン」
名前を呼んでも、反応はなかった。
その視界の端に、もう一つの影が目に入る。
リュナ。
彼女は、魔王の身体の向こう側に倒れていた。
剣を握ったまま、動かない。
衣服は血に濡れ、呼吸も感じられない。
(……そう)
喉の奥が、ひくりと鳴った。
これでいい。
これが、一番“楽な結末”。
リュナは危険すぎる存在だった。
魔王を倒したとしても、生かしてはおけない――それが、協会の判断。
本来なら。
本来なら、自分が手を下す役目だった。
それを――
しなくて済んだ。
「……」
ミラは、静かに目を閉じる。
悲しい。
痛ましい。
それでも。
(……これで、終わった)
魔王は死んだ。
勇者も死んだ。
そして、魔王の娘も――。
相打ち。
そうとしか、思えない。
ふと、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
――あまりにも、綺麗すぎる。
戦場の死にしては。
あまりにも、配置が整い過ぎている。
魔王とアレン。
互いに、互いを貫いたような位置。
(……気のせいね)
ミラは首を振る。
疑う理由はない。
目の前にあるのは、動かぬ死体。
それだけだ。
立ち上がり、深く息を吸う。
――報告しなければ。
彼女は、そういう役目だ。
協会への報告(地の文)
魔王、討伐確認。
勇者アレン、戦死。
勇者リュナ、死亡を確認。
戦闘は相打ちによるものと推定。
ミラは、淡々とそう記した。
胸の奥に残る、言いようのない違和感に――
名前を与えないまま。




