八月一日①
日本国に於ける人と『人外』の和平協定については、十七条憲法特記第十八条『人怪和平協定』に記され、この条文は日本国内に於ける人間と怪士との戦争状態の終了を宣言し『人外特殊保護法』による怪士の日本国内での主権の保障を行うものであるとの記載がある。
その第一章には『人外特殊保護法』の詳細としていくつかの条文が記されており、それぞれ『人外』側の責務、執行官の権限の保障、そして怪士の領域に踏み込みそれを害すものに対する処遇などについても明記されている。
八月一日、未明。
大阪府警SAT及び陸上自衛隊に大きな損害が出た事を機に、今回の武装グループによる蜂起は『人外特殊保護法』に抵触するものであると正式に天皇家による承認を受け、長老会議により選出された執行官の一人である高森雪緒の現地派遣が決定される。
これを彼女に伝えたのは謎の人物ミスターXであり、彼は「傭兵リチャード対策のために援軍を要請した」とも告げるも「もし間に合えば」という語句の追加には不満が残る。
人間社会の中で活動出来る戦闘力の高い怪異の数は限られているため、人手不足は認めるが、いつも一人で全部やれという『人外』使いの荒さは何とかならないものだろうか。
ただ、今回は身内を守る為のものであるので、赴く事には不満はない。むしろ積極的に志願しての事だが、だがしかしと考えずにはいられない。
この日、『特別勉強会』による登校日となる高森由季子の二年二組の警護を木崎正文警部達に任せ、高森雪緒は一人車を飛ばし松岡地区にある『禿げ山』へと向かい、雑草だらけの広場に何重にも擬装され設置されている自衛隊の天幕の中へと足を踏み入れた。
「申告します。現時刻を以て高森雪緒は現階級に復帰し任務を遂行致します」
「島和秀一等陸尉、申告を承認致します。おかえりなさい高森二等陸佐、我が隊はあなたを歓迎致します」
二人互いに敬礼して儀礼を終え、高森雪緒は兵庫県内で発生中の武装グループ蜂起の鎮圧に向かう旨を島和秀一等陸尉に伝達する。
「現状、我が隊から割ける支援要員は狙撃手一名を含む半個分隊三名ですがよろしいですか?」
「十分です一尉。出発は十五分後、途中岡山の駐屯地で装備は調達します」
天幕の奥で着替えを済ませ、高森雪緒は自衛隊の迷彩服姿で姿を現す。少し異質なのは背に日本刀を一本背負っている事と足に古風な年代物の黒いすね当てを付けていること。
この装束への拘りは、かつて東北の雄と称された伊達家に戦国期から江戸時代初期まで仕え『黒脛巾衆安部組の雪緒』と呼ばれた頃の名残である。
偽装網を外されローターを回転させるUH60JAヘリコプター。陸上自衛隊特殊作戦群の隊員三名と共にそれに乗り込む高森雪緒。
敬礼する島一尉以下、その場に居た自衛隊員達に見送れながら彼女達は飛び立って行く。
風に靡く彼女の黒髪、尾道市の見慣れた風景が小さくなっていのを高森雪緒はずっと見つめていた。
* *
尾道中央高校の第一校舎にある正面玄関。外来者用の受付窓口のある大きな室内が事務職員達の職場だ。学校が夏休み中だからといって教職員や事務職員も休みという訳では無く、土日以外は毎日交代で事務員一名と教職員一名が最低校内に常駐し、電話対応や来客対応に務めている。
本日の教職員の出勤は生徒達自身の発案による『特別勉強会』を行う二年二組担任の奥田先生、そして事務対応には事務員の女性が一人出勤してきている。
事務員に扮して校内の警備を担当しているのは木崎正文警部と二人のSP、一人は二階職員室前から向かいの二年二組を監視、そして木崎警部ともう一人のSPは外来者のチェックの為にこの事務室内に待機している。
グラウンド側の山手のみかん畑の中には監視任務に就く地元警察の警戒員が二名、そして高森由季子の登下校のバスに張り付く二台の覆面パトカーと水原龍子巡査部長は、高森由季子のバス下車の後は高校から五分程度離れた千光寺公園入口付近に停車して待機する事になっている。
「本日の外来の予定は一件、朝の十時頃に文具メーカーの営業の方が来られるようです。奥田先生が対応して下さる事になっています」
木崎正文の質問に事務員の女性はそう答える。
事務員室のテレビ画面では相変わらず神戸港での武装蜂起のニュースが連日特集を組まれて報道されている。自称専門家達が好き勝手な持論を述べ、「自衛隊出動はやりすぎだ」「軍国主義の始まりですよ」「平和憲法を守れ」と好き勝手な事ばかり言っていやがる。平和憲法って何だ?
こんな番組に興味も無く、また夏の高校野球にも興味は無いのでテレビ画面は消しておきたいのだが、『外事六係』の一橋姫美子警部から「テレビは点けておいて下さいね」と念押しされたので、それには従うしかない。
今日の登校して来るのは二年二組の生徒だけだが、事務室前を通り過ぎ教室へと向かう生徒達の数が増えてきたので、木崎正文警部は見回りを兼ねて事務室を後にする。
「おはようございます」
自分の姿を認めて挨拶してくる生徒達。「おはよう」とそう言葉を返した。
* *
武装グループが立て籠もる『有限会社ライト』所有の倉庫敷地がある神戸港の倉庫街。
海を挟んで約一キロメートル離れた対岸の人工埠頭にある大学キャンパス横に建つ高層の立体駐車場の屋上階にヘリを着陸させ、自衛隊特戦群狙撃手は五十口径のバーレットM82対物狙撃銃を固定し射撃姿勢に入る。
彼のすぐ横の隊員はドローン二機を操作し、一機は倉庫上空に滞空したまま動態探知機を作動、もう一機のドローンは倉庫屋根に取り付き小型ドリルで小さな穴を開けると、小型カメラを挿入して倉庫内部状況を操縦者側のモニターへと映し出す。高森雪緒が事前入手して来た倉庫建物の間取りと映像を照らし合わせ、彼は倉庫内の敵の動きを監視する。
残り一名の隊員はヘリのパイロットと二人で一般人の侵入防止の為に屋上階封鎖の任に就いている。そう、武装グループの直接掃討は高森雪緒一人が行うのである。
「作戦開始まであと三十秒」
「高森二佐の姿を確認」
スコープを覗く狙撃手がドローン操縦士にそう答えた。
海中より姿を現した高森雪緒は海に面する倉庫外壁に張り付き作戦開始時間を確かめる。
「あと二十秒か」
海中を息継ぎ無しで、というより『雪女』である彼女は息をする必要は無いのであるが、泳ぎ切った彼女は使用した足ひれをその場に放棄すると裸足のままでゆっくりと移動を開始する。その最中、濡れた迷彩服は瞬時に凍りつき、付着した水分は全てサラサラと地面に落ちていく。
そして高森雪緒の目が赤く怪しく輝くと、地域一帯の空気が急に冷え込み小さな雪がぱらつき始めた。
時を同じくして神戸上空を西へと飛行する航空自衛隊二十三飛行隊所属の練習機F15JD戦闘機に文字通り腰掛けて座る赤い服を着た年若き女性の姿がある。
宮崎県より急きょ関西国際空港に配備された戦闘機は、海外から帰国したばかりの彼女を乗せ神戸空港を目指す手筈であった。その為に用意された複座型戦闘機であったのだが、彼女の手荷物である二つのトランクが席に収まりきらないのを理由に、彼女は文字通りそのまま戦闘機の背の部分に手荷物片手で乗ったのである。
彼女の名前は十六夜六花、資料によれば『異世界帰りの吸血鬼』である。
高空をマッハで飛ぶF15戦闘機の上でその髪も衣服の乱れもなく、まるで草原をゆっくりと進む馬車の上にでも乗っている様に見える彼女の姿。
その髪の毛の細胞までを自在に制御し、衣類は染み出した自身の血によって形作られている。そして片手の握力のみで機体にしがみつくという彼女なりの凄まじい気合いの入れ方によってそれは成されているのである。
「長期出張の後は二十日間の振り替え休日の予定だったのに。ミスターXも人使いが荒いわね。ブラックよ、ブラックな公務員生活よ。高森さんが愚痴を漏らす気持ちが何だか分かったきがするわ」
そうご立腹の彼女は『外事六係』に配属されたばかりの新人であり、国内に巣を作っていた狼男の発生源殲滅のためにヨーロッパへの数ヶ月の遠征任務を終えたばかりであった。
戦闘機のコクピット内からライトを点滅させてパイロットが目標地点が近い事を知らせてくれる。十六夜六花はその場ですっくと立ち上がると、軽くジャンプして空中へと一人放り出される。
戦闘機はあっという間に小さくなり、両手で二つのトランクを握りしめたまま彼女は背の黒い翼を広げてその場から急降下を始めた。雲を抜けると眼下に見えてくる神戸の街並み。
「さて、高森さんの援軍って話だけれど、間に合ったかしらね」
* *
真夏だというのに倉庫街に雪が降り始めた。
その光景を事務所の窓のブラインドの隙間から覗き見た秋山義之は不敵に笑う。
「ついに来たか『雪女』。だが、それで我が事は成れり」
八月一日、実行部隊の作戦開始時刻がもうすぐそこまで迫っている。秋山義之は倉庫事務所内のデスクに座る二人の同志、高橋泰典と勝田信二の二人と共に勝利の杯を交わした。
机の引き出しを開け、取り出した自動拳銃を机の上に置き、秋山義之は目を閉じ静かにその時を待った。
「さあ来い。来るがいい。化物め」




