11.銀の弾丸
そんな筈がないわ。
きっと幻覚を見ているに決まっている。
私は目元を擦った。
でも目の前に現れた赤髪の少年は、間違いなくそこにいた。
拳銃を持ったその少年の姿を見るのは初めてだった。
本当の初対面。
けれどダルクの驚きようと、ヴェルレーヴェン家の貴族服が誰であるかを思い知らせる。
「ヴィオル、なの……? どうして……?」
少年、ヴィオルは緊張した面持ちでゆっくりと首を振った。
自分も何故ここにいるのか、分からないみたい。
ランタンの明かりだけが灯る中、彼の赤い瞳が輝き、私達を交互に見る。
「声が聞こえたんだ。二人の声が」
歯車の音と共に、悲しそうな声が響く。
それは間違いなく、あの蓄音機から聞こえてきた声だった。
●
5年前。
ダルクが差し向けた追手に、ヴィオルが拘束される一週間前のこと。
彼は人気のない図書館で、父から譲り受けた封書を従者に託そうとしていた。
状況を覆す一手がなかったからだ。
自身が前当主殺害の容疑で拘束されると気付いていながらも、冤罪である証拠が見つからなかった。
やっていないことを証明するのは、悪魔の証明に近い。
加えてそこに兄のダルクが関与しており、今までの死の原因も兄が関わっているのでは勘付いてしまった。
これ以上、ラナとの会話を知られては彼女に危害が及ぶ。
だからこそ、この封書を時計塔に隠すことにした。
最後にラナにそれを伝え、兄に踏みとどまってくれるように自分の意志を残す。
今のヴィオルに出来るのは、それしかなかった。
「それよりも、これを受け取――」
『貴方は、実のお父様まで殺したというの……?』
「えっ!?」
だがその直後、蓄音機が音を発する。
反響する少女の声はヴィオルだけでなく、傍にいた従者の耳にも届いていた。
封書を託そうとした手は止まり、辿る筈だった未来が変わり始める。
『私はあの男の醜態を見ていられなかった。だから毒を盛って殺したさ』
「ヴィオル様、これは一体!?」
「まさか、ラナ……! それに、兄上の声!?」
そこで語られたのは、ダルクが父を殺したと自白するものだった。
従者だけでなくヴィオルもその内容に言葉を失う。
何故なら前当主のヴァン・ヴェルレーヴェンは、衰弱死とされていたからだ。
当時は徐々に痩せ衰えるヴァンの姿が、前後不覚になっていく症状と結び付けられ、適当な死因で断定されてしまった。
精神的な、特に認知症というものが浸透していないが故のものだった。
だからこそ蓄音機から発せられた告白は、あまりに衝撃的な内容。
自らの罪を、実の弟に擦り付けるという実情だった。
そして次の瞬間。
バキッ、という大きな雑音を話し、蓄音機は真っ二つに裂けてしまった。
驚くヴィオル達に、止める間などない。
遂に限界を迎えたと言うように、自壊し破片を撒き散らす。
そしてそれ以上の音は、何も聞こえなくなる。
完全に壊れてしまったのだ。
何も知らない従者からすれば、突然音を発して壊れた蓄音機に、不吉の文字すら頭をよぎっただろう。
だがヴィオルは違った。
「蓄音機が割れた……? 一体、今の声は……?」
「ッ! 直ぐに父上の死因をもう一度、調べ上げて! 僕は別の場所に向かう!」
「ヴィオル様、一体どちらに!?」
「あの歯車の音は、王都の時計塔だ……!」
理屈ではない。
直ぐにそこへ向かわなければならない。
微かに聞こえた歯車の音を頼りに、ヴィオルはそんな衝動に駆られ、全身を奮い立たせる。
託そうとしていた封書は、そのまま彼の手に戻るだけだった。
●
静かに時計塔の歯車が回り続ける中、ヴィオルは私の持っていた封書を見つける。
その表情は、異なる未来を視ているようなそんな印象だったわ。
私も、それは同じ。
今こうして巡り合ったこと自体が、既に奇跡のようなもの。
交差する筈のない未来と過去が、一瞬だけ繋がったということなの?
それを示唆するように、徐々に周りの景色が歪んでいく。
「そこに居る筈がないと分かっていても、この胸騒ぎは収まらなかった。そしてここに辿り着いた時、強烈な眩暈と一緒に二人の姿が見えたんだ」
「……!」
「此処は5年後の未来。そして君がラナ・ラキュラス、なんだね」
「本当に、ヴィオルなの?」
「やっと、君の姿が見えた」
私の問いに彼は頷く。
間違いなく、ヴィオルは此処にいる。
同じ時代ではないけれど、その瞳には力が宿っている。
生きているという確かな力。
そんな彼が私を見て安堵した表情を見せた。
幼さの残る、純粋な笑みだった。
胸騒ぎを感じただけで、会えるかどうかも分からないのに此処まで辿り着くなんて。
それを理解するだけで救われたような気持ちになる。
代わりにそんな現象なんて知る筈のないダルクは、明らかに実の弟を恐れていた。
「過去のヴィオルだと!? そんな馬鹿な!?」
「兄上……随分と変わりましたね。僕の知る貴方は、もっと優しい顔をしていました」
「!」
「僕も驚いています。蓄音機を通して会話が出来るだけじゃなく、まさかこんな事が起きるなんて。でも、一つだけハッキリと分かりました」
「何を……!」
「未来が変わったんです。僕は、貴方が父上を殺めた事実を知った」
歯車の音ばかりが反響して、私は辺りを見回す。
見間違えじゃない。
周りの光景が揺らめいている。
以前、私が眩暈を感じた時と同じ。
過去の改変による修正が始まっているんだわ。
既に5年前のヴィオルは、ダルクが行った所業を知ってしまった。
冤罪を覆すだけの情報を得たことになる。
するとどうなるか。
今まで定められていた運命が、大きく変化する。
きっとその影響で、同じ場所にいる私達が一瞬だけ繋がったのね。
ヴィオルの死も、ダルクが当主になるという事実も、今ある私の境遇も、全てが変わる。
時間という抗えない力が、皆を取り巻いていく。
「私は……私達の思いは、無駄ではなかったのね……?」
「ラナ、君のお陰だよ。本当のことを言うと、僕は少し諦めていたんだ。父上も、兄上も、誰も悪くない。ただ、巡り合わせが悪かっただけ。だから僕がいなくなれば、全て元通りになるんじゃないかって……そう思ってしまった。でも君がいてくれたから、諦めずにいてくれたから、僕は此処まで来られた」
「ヴィオル……」
「これはもう、僕だけの問題じゃない。君が傷つく未来があるなら、僕はそれを守りたい」
降ろしていた拳銃から硝煙が上がっている。
ヴィオルはダルクが私に近づいたこと、そして危害を加えようとしたことも知った。
だからなのかしら。
実の兄を見るその視線は、僅かな鋭さがあった。
比べることを避けていた彼は、遂に明確な敵意を抱く。
今の私を守るために。
けれどそれでも、ダルクは認めようとはしない。
「本当に過去からやってきたというのか!? 衛兵、今すぐここへ! クッ、誰の耳にも届いていないのか!? うッ!? な、何だ!? 急に眩暈が……!」
「兄上……」
「や、やはり、そうだったんだな!? お前が全てを仕組んでいたのか!? 父上を誑かしたのも、全て……!」
「違います。僕は、父上を一人にしたくなかったのです」
「そんなものは偽善だ! お前も分かっていた筈だ! あの男は正気を失っていた! 私がいなければ、お前も何れは同じように苦しみ、憎悪を抱えただろう! そうだ! あの男もお前も、私が救ったのだ! だというのに……!」
「兄上、貴方は勘違いをしています。あの方は……父上は正気を取り戻していたのです」
今までの行いは正しかった。
そう言うダルクに、ヴィオルは反論する。
「死の間際、父上は僕にこの封書を託しました。後はお前の判断に任せる、と。初めはその真意が見えませんでした。でも今、ようやく分かりました。父上は気付いていたのです。兄上が、毒を盛っていたことを」
「なッ!?」
驚いた私は持っていた封書へ視線を落とす。
やっぱりこの文面は、乱心して書いた訳じゃなかったのね。
筆跡も、とても正気を失った人が書いたものとは思えない程に達筆だわ。
ヴァン様は、明確な意志を持って嘆願書を記した。
つまりは何を意味しているのか。
私が気付くと同時にダルクが叫ぶ。
「あの男は、私の行いを知った上で毒を呑み込んだというのか!? 馬鹿な! 何故そんな事をする!?」
「……最期に、父上はこうも言っていました」
ヴィオルはそう言って、封書を取り出した。
私が持っているものと同じ、ヴァン様の嘆願書。
彼は真っすぐに実の兄を見据え、口を開いた。
「お前達にとって、良き父のままでありたいと」
ダルクは愕然とする。
築き上げてきたものが揺らぐかのように、両手が震え出す。
彼ら三人の間に何があったのか、私には分からないわ。
けれどヴィオルもヴァン様も、確かに家族を想っていた。
ダルクの行いが、一言で悪とは言い切れないと考えていたのかしら。
二人は間違いなくダルクと向き合おうとしていた。
けれど彼は、目を逸らし続けた。
「な、何だそれは!? 嘘に決まっている! そんなまやかし如きで、私は揺らぎなどしないッ!」
「兄上……貴方は父上が最期の時を迎えるまで、会おうとはしなかった」
「!?」
「貴方が目を逸らしていたのは父上ではなく、自らが犯した過ちだったのですね」
「違う……私は……。ならば、私が今までしてきたことは一体……」
全ては不信と憎悪だけで物事を考えてしまった結果。
少しでも歩み寄っていれば、違う結末があったに違いないわ。
ダルクも、ようやくそれを理解したようだった。
けれど突然、その視線が私を捉えた。
赤黒い瞳が徐々に見開かれる。
あまりに急で、反射的に逃げることも出来ない。
咄嗟に動いたダルクは、私の腕を引っ張り上げ強引に引き寄せる。
「な、何を!? きゃっ!?」
「ヴィオル、銃を渡せ。渡さないのなら、私は彼女と共に此処から飛び降りる」
僅かな痛みを感じる暇もない。
私を拘束したまま徐々に後ろへ、吹き抜けの階段へと近づいていく。
何よりヴィオルは銃を持っていた。
対するダルクの拳銃は先程弾き飛ばされ、拾いに行くだけの猶予もない。
だからこんな自暴自棄なことを、と彼の方を見上げたけれど、既にダルクの精神は壊れかけていた。
憎悪と後悔の果てに、もう何も残っていない。
訳の分からない状況に追い込まれ、自身の行いを根底から否定された。
意味を持たない本当の無表情が、そこにあった。
ヴィオルは思わず銃口を向けるが、私が盾にされていることを知って苦しそうな表情を浮かべる。
「兄上……!」
「ヴィオル、私のことは良いの! だから銃を渡しては駄目!」
揺らいでいく空間の中、私は恐怖すらも忘れて叫んだ。
言うとおりにしてはいけない。
銃を渡せば、確実にダルクはヴィオルに襲い掛かる。
だって彼が助かる方法は、過去のヴィオルを此処で殺すこと。
そうなれば、ヴィオルが真実を知ったことすらも無かったことになる。
折角変えられた過去を、無駄にする訳にはいかない。
たとえそれで私の命が奪われたとしても、構わない。
見かねたダルクが、ヴィオルに言い聞かせる。
「ヴィオル、お前は昔から射撃が苦手だったな。私を止めるのは勝手だが、お前の腕ではラナごと撃ちかねない」
「……!」
「銃を渡せ、と言った所でお前に従う道理は無いだろう。だが過去が変わると言うなら、今までしてきた行いが無駄だというなら……! せめてお前に、傷跡を残す……!」
彼自身、ヴィオルが銃を渡すとは思っていない。
だからこそ目の前で命を絶つことで、せめてもの報復を与えようとしている。
こんなにアッサリと自分の命を投げ捨てようとするなんて。
いえ、その行為がヴィオルにとって、一番傷つくことだと分かっているのね。
なんて惨い。
私はどうにか振り解こうとするけれど、ダルクの力には敵わない。
一歩また一歩と吹き抜けの階段へ引き摺られてしまう。
するとヴィオルは持っていた拳銃を強く握りしめた。
「確かに、以前の僕は射撃が苦手でした。撃たれる相手のことを考えると、どうしても竦んでしまうから。でも……」
一瞬だけ言い淀み、そしておもむろに銃口を向ける。
私はそこにヴィオルの意志を感じ取った。
「今は違います! たとえ変わるものだとしても、無意味だとしても、僕には守りたいものがある!」
彼は躊躇しなかった。
ダルクが目を見開くと同時に、もう一度だけ銃声が鳴り響いた。




