第68話
全力で走って疲れたのか英二が歩きながら息を整える。
「くそっ、どうなってんだ? 取り敢えず学校へ行こう、秀輝と宗哉なら相談に乗ってくれるはずだ」
普段通らない裏道を通って学校へと向かう、警戒しながら歩いていた英二の耳に誰かの呼び声が聞こえた。
「高野くんこっちよ」
2人が並んで通るのがやっとという細い脇道で晴美が手招いていた。
「篠崎さん? 」
小乃子たちと違い晴美は逆方向に家があるので同じ通学路を使う事は無い、訝しがりながらも英二は晴美が手招く狭い路地に入っていった。
「大丈夫高野くん? みんなに追い掛けられていたみたいだけど…… 」
心配してくれる晴美を見て英二がほっと安堵する。
「そうなんだよ、サンレイとガルちゃんはともかく小乃子や委員長まで愛してるとか言って追い掛けてくるんだよ」
「サンレイちゃんやガルちゃんだけでなく委員長や久地木さんまで…… 」
考えるように俯く晴美の顔を英二が覗き込む、
「どうしたの? まさか…… 」
晴美まで変になっているのかと不安気に訊いた英二に晴美が優しい笑みを向ける。
「大変だったね、きっとサンレイちゃんの悪戯だよ、久地木さんなんかノリノリで悪乗りしそうだから」
「やっぱそう思う? 俺もサンレイの悪戯だと思ってる。でも小乃子はともかく委員長があんな真似するなんて……登校中の奴らが変な顔してたよ」
「サンレイちゃんとガルちゃんに頼まれたんじゃない? 2人に頼まれると委員長も断れないよ、幼馴染みの久地木さんなら弱みも知ってるでしょうし…… 」
「確かにな、サンレイとガルちゃんと小乃子に言われたら委員長もやっちゃうかもな」
弱り顔の英二を見て晴美がクスッと笑う、
「きっとそうだよ、委員長は結構悪戯好きだしね」
「でもビビったよ、いつもの悪戯と違ってマジみたいだったしさ」
釣られて微笑む英二の手を晴美が掴んだ。
「一緒に行きましょう、私裏道知ってるから学校まで見つからずに行けるわよ」
「えっ? うん、助かるよ」
急に手を握られて英二がドキドキしながらこたえた。
「こっちだよ」
よかった。篠崎さんはいつもと一緒だ。手を引かれて英二が安心して歩き出す。
暫く歩いているとサンレイとガルルンが話す声が聞こえてきた。
「英二のヤツどこ行ったんだ。居たかガルルン? 」
「こっちは居ないがお、何か知らないけどガルの鼻でも探せないがお」
そこへ小乃子と委員長の声も混じる。
「向こうは居なかったよ、せっかくあたしら4人で可愛がってあげようと思ったのにな」
「そうよね、誰が一番始めにDTを貰うかはともかく英二くんを捕まえないと愛し合う事も出来ないからね」
「そだぞ、英二のDTは捕まえたやつが貰うんだぞ、そんで後はみんなで愛し合うぞ」
「楽しみがお、ガルは早く英二の子を孕みたいがお」
会話の節々から聞こえてくるDTや孕むといった言葉に英二が焦って晴美の様子を伺う、
「あれはサンレイとガルちゃんの悪乗りだから…… 」
「わかってるわ、サンレイちゃんは高野くんを困らせてばっかり…… 」
同情的な晴美を見て英二がほっと安堵する。
「そうなんだよ、サンレイが唆すからガルちゃんもその気になってさ、本当に困ってるんだよね」
誤魔化すように苦笑いする英二の手を晴美がギュッと握り締めた。
「本当にしつこいわよね、高野くんは私のものなのに…… 」
「篠崎さん何を…… 」
確認しようとする英二の腕を引っ張って晴美が走り出す。
「見つかりそう、高野くんこっちに来て」
「うっ、うん、分かった」
一瞬不安がよぎるが今は付いて行くしかないと英二は晴美に手を引かれるまま小さな公園へと入っていった。
コンクリートで出来た象の滑り台と砂場があるだけの小さな公園だ。
「高野くんこっちよ」
晴美に手を引かれるまま公園に植樹されている柳の影に隠れる。
「こっちで英二の気を感じたぞ、でも居ないぞ、おかしいなぁ~、なんかおらの勘が鈍ってるぞ」
サンレイの声が近くから聞こえてきた。
「ガルもこっちで英二の匂いを感じたがお、でも今日は調子悪いがう、いつもなら直ぐに探せる…… 」
ガルルンの言葉が途中で切れた。
見つかったのかと英二が身を堅くする。
「晴美の匂いがお、微かに晴美の匂いがするがお」
「なに! 晴美ちゃんが…… 」
驚くサンレイの声に続いて小乃子の声が聞こえてきた。
「篠崎さんも来てるのか? もしかして抜け駆けして英二と愛し合ってるんじゃ……」
「がわわ~ん、晴美と英二がガルより先にエッチしてるがおか」
「大丈夫よ、私たちから逃げた英二くんを篠崎さんが捕まえられると思えないわ」
嘆くガルルンを宥める委員長の声も聞こえた。
「そだな、晴美ちゃんはちょっとトロいからな、英二なら逃げてるぞ」
同意して頷くサンレイの横で小乃子が顔を顰める。
「でもさ、控えめで優しいタイプは英二の好みだよ、篠崎さんに迫られたらコロッといっちゃうかもな」
「がわわ~~ん、英二の貞操の危機がお」
「そんな事させて堪るかだぞ」
大きく口を開けて驚くガルルンの向かいでサンレイが長いフランスパンを握り締める。
「まだ間に合うかも知れないぞ、さっさと探すぞ、このフランスパンで殴り倒して英二のDTをおらのものにするぞ」
「ガルが一番に見つけて英二の子を孕むがお、ロールケーキは無くなったけど妖怪豆腐の夢豆腐はあるがう、これで英二を操るがお」
妖怪豆腐を持つガルルンの横で小乃子が乾パンを握り潰した。
「何言ってんだ。英二はあたしの乾パンを食べて結ばれるんだからな」
委員長がジャムの付いたトーストを咥え直す。
「違うわよ、英二くんは私の朝パンダッシュで運命の出会いをして恋に落ちるのよ」
「誰のパンを選ぶか英二にハッキリさせるぞ、んじゃ探しに行くぞ」
ブンブン空気を鳴らしてフランスパンを振り回すサンレイに続いてガルルンたちが走って行った。
「あはははっ、無茶苦茶言ってるよ、篠崎さんがそんな事するわけないのにね」
英二が乾いた笑いを上げながら晴美に振り向く、
「そうね、私はそんな事しないわ、フランスパンや乾パンなんて朝パンダッシュに使えないわよ、委員長のトーストはいいけどジャムは邪道よね」
英二を見つめて晴美が微笑んだ。
「なっ、何を……篠崎さん、何を言ってるの? 」
晴美の目に不穏なものを感じて英二が引き気味に訊いた。
「店で売っているパンなんてダメよ、愛する人には手作りじゃないと……ねぇ高野くん」
晴美がギュッと英二の手を握り締める。
手を繋ぐというより捕まえたという感じだ。
「しっ、しっ、篠崎さんまで…… 」
声を震わす英二の前で晴美が鞄から手作りのパンを取り出した。
「昨日作ったの、クルミパンよ、クルミと私の愛がいっぱい入っているの、高野くん受け取って……クルミと一緒に私をクルんで愛し合いましょう」
晴美が英二に抱き付いた。
「ちょっ、ダメだから……おかしいよ、篠崎さんは宗哉が好きなんでしょ? 俺じゃなくて宗哉にパンをあげたら喜ぶからさ」
必死で引き離そうとする英二に晴美が喘ぐように口を開く、
「佐伯くんの事は言わないで……今は高野くんの事だけしか考えられないのよ、私の初めては高野くんにあげるって決めたのよ。だからねぇ……私を貰ってぇ~~ 」
「うわっ、うわぁ~、ダメだから、おかしいから、篠崎さん変になってるだけだから」
必死で逃れようとする英二に晴美の唇が迫る。
「愛してるのよ、キスしましょう、誰も居ないわ、誰も見てないから、ねぇ私と愛し合いましょうよ」
「きっ、キス……篠崎さんと……ダメだから、変になってるだけだからな」
一瞬考えた。
晴美は美人と言うより可愛いタイプだ。はっきり言ってエッチできるならお願いしたい相手である。
だが晴美が宗哉の事を好きなのを知っている。
第一サンレイやガルルンに知られたら、ハチマルに知られたら、そう思うとこれ以上先には進めない。
「だっ、ダメだから…… 」
英二が晴美を引き離す。
腕力では英二の方が圧倒的に上なので本気を出せば直ぐだ。
「高野くん、酷いわ……私よりもサンレイちゃんの方がいいのね」
「良いとか悪いとかじゃないから、篠崎さんは変になってるだけだからね」
恨めしげに睨む晴美の前で英二が慌てて言い訳するように言った。
「私の作った愛情たっぷりのクルミパンを食べてくれないなら死んじゃうから、私を愛してくれないなら死んじゃうから…… 」
「しっ、死ぬってパンくらいで…… 」
怯んだ英二に晴美がまた抱き付いた。
「サンレイちゃんやガルちゃんに遠慮しているのね…… 」
英二の顔の直ぐ傍で晴美がニタリと笑う、
「わかったわ、この世で一緒になれないならあの世で一緒になりましょう……高野くんとなら死んでもいいわ、一緒に死にましょう、愛してるわ高野くん…… 」
どこから出したのか晴美の手にカッターナイフが握り締められていた。
「うわぁ~~、止めてくれ」
英二が叫びながら晴美を突き飛ばす。
「酷い高野くん……こんなに愛してるのに……貴方を殺して私も死ぬわ」
カッターナイフを両手で握り締める晴美の前に英二が両手を突き出す。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、話し合おう、なっ…… 」
ヤンデレかよ……篠崎さんヤバすぎるぞ、どうしようか焦る英二の目に公園の前を走るサンレイたちが映った。
「サンレイこっちだ!! 」
英二が大声を出すとサンレイとガルルンがくるっと振り向いた。
バッと飛んできたサンレイがバチバチと雷光をあげるフランスパンで殴り掛かる。
「見つけたぞ英二! 」
「うわっ!! 」
短い悲鳴を上げて英二が地面に転がる。
「がふふん、もう逃がさないがお」
ダダダッと走ってきたガルルンが倒れた英二の上に跨がった。
「篠崎、抜け駆けなんてズルいぞ」
「そうね、正々堂々として欲しいわよね」
小乃子と委員長も公園へと入ってくる。
「なっ……私は別に……高野くんが困ってるから助けてあげただけよ」
晴美が慌ててカッターナイフを仕舞った。
ガルルンの下で倒れたまま英二が大声を出す。
「みんなどうしたんだ? 悪戯にも程があるからな、いい加減にしないと怒るからな」
その声で晴美と睨み合っていた小乃子と委員長が振り返る。
「英二は黙ってろ、あたしという彼女がいながら篠崎とエッチな事しようとした癖に」
「そうよ、私の気持ちを知ってるくせに篠崎さんと……厭らしい」
2人に睨み付けられて英二が必死に言い訳を始める。
「違うから、篠崎さんとは何もしてないから……小乃子たちが追い掛けてくるから逃げてただけだろ、今日のお前ら変だぞ」
サンレイが脇にしゃがむと英二の頭をペシペシと叩く、
「言いたい事はそれだけか? んじゃ何で晴美ちゃんと一緒なんだ? 1人で逃げてるならわかるぞ、晴美ちゃんと2人で公園の影でエッチな事しようとしてたんだぞ」
「ちっ、違うから、エッチな事なんてしてないから……逃げてたら篠崎さんがいて裏道を知ってるって言うから一緒に逃げただけだからな、だから誤解…… 」
必死で弁解する英二に晴美が言葉を被せてくる。
「何を言うの高野くん? 此処なら誰も来ないからって私を押し倒そうとしたじゃない、私の事を愛してるって言ったじゃない」
サンレイたちが一斉に英二を睨み付けた。
「ちっ、違う……うががっ! 」
否定しようとした英二の言葉が呻きに変わった。
「浮気者はビリビリだからな」
バチバチと雷光をあげるフランスパンでサンレイが殴ったのだ。
「まったく仕方ないぞ」
痺れてぐったりしている英二を余所にサンレイが立ち上がる。
「取り敢えず英二は捕まえたぞ、そんでどうする? 誰が英二をものにするかここで戦ってもいいぞ」
サンレイが小乃子たちを見回した。
「あたしたちが喧嘩でサンレイとガルちゃんに勝てるわけないだろ」
「そうよね、戦いなら私と小乃子と篠崎さんは不利よね」
反対する小乃子と委員長をガルルンが見つめる。
「じゃあどうするがお、みんなで英二と愛し合うがお」
少し考えてから委員長が口を開く、
「そうね、さっき決めた通りにしましょうよ、英二くんのDTを貰うのはジャンケンで決めましょう、後はみんなで愛し合いましょうよ」
サンレイが了解したというように頷いた。
「わかったぞ、それでいいぞ」
「ガルもいいがお、晴美はどうするがお? 」
ガルルンが訊くとサンレイや小乃子たちが晴美に注目する。
「 ……私もそれでいいわ、喧嘩したら敵わないからね」
渋々といった様子で晴美が返事をした。
ぐったりしていた英二が跨がっているガルルンの腰の辺りをポンポン叩く、
「ガルちゃん放してくれ、逃げないから約束するから、ガルちゃんは俺の事を信じてくれるよね、逃げないからどいてくれ、俺も覚悟を決めたよ」
「わかったがお、愛する英二の言葉は信じるがお」
馬乗りになっていたガルルンが英二の上から離れた。
「流石ガルちゃんだ。優しいガルちゃんは好きだよ」
「わふふ~ん、やっぱりガルと英二は相思相愛がお、それなら妖怪豆腐を食べるがお」
尻尾を振って喜びながらガルルンが妖怪豆腐を差し出す。
「いや……だから妖怪豆腐で操って愛し合うのはダメだよ、そんな事しなくてもガルちゃんの事は好きだからね」
「わふっ! ガルが好きがお」
犬耳をピンッと立てたガルルンがバッとサンレイたちに振り返る。
「聞いたがお、英二はガルが好きだって言ったがお、英二のDTはガルのものがう、ガルは英二の子を孕むがお」
バッとサンレイがガルルンの前に出てくる。
「何言ってんだ! 英二はおらのものだぞ」
小乃子と委員長が2人の間に割って入る。
「あたしと英二は幼馴染みで結婚を誓い合った仲なのよ」
「嘘つかないで頂戴、英二くんは私と付き合っているのよ」
控えめでおとなしい晴美が声を張ってその中に入っていく、
「みんな何を言っているの? 高野くんは私のものよ、前世から結ばれるって決まっているのよ」
サンレイとガルルンがニヤッと笑って言い返す。
「にひひひっ、何言ってんだぞ、英二はおらのものに決まってるぞ」
「がふふん、ガルの事を好きって言ったがお、英二はガルと結ばれるがお」
「幼稚園の頃から英二はあたしと結婚するって決まってるんだよ」
「英二くんに相応しい女は私以外にいるわけないじゃない」
「みんな間違ってるわよ、高野くんとは前世から繋がってるのよ、私が一番高野くんのお嫁さんに相応しいんだからね」
小乃子と委員長に晴美も負けていない、言い争う5人から英二がゆっくりと離れていく、
「冗談じゃない、みんなおかしくなってる。秀輝と宗哉に匿って貰おう」
5人が争っている隙を見て英二が全速力で逃げ出した。
逃げるように学校へと入っていく英二を近くに建つマンションの屋上からハマグリ女房が見ていた。
「うふふっ、流石ホレ女の惚れ妖術は凄いわね、霊力を消耗しているところを狙ったとはいえ、神も山犬も術に嵌まるなんて……まぁ、あの2人は初めから英二くんに気があったからそこを衝けば簡単か、他の妖術じゃこう旨くはいかないわね」
楽しそうに笑っていたハマグリ女房が英二を追って走ってくるサンレイとガルルンを見てサッと陰に隠れる。
サンレイとガルルンはハマグリ女房に気付いた様子は無い、普段の2人なら絶対に気付かれている距離だ。
「ふふっ……私の妖気にも気付かないなんて完全に術中に嵌まっているわね」
安心した様子でハマグリ女房が出てくる。
「しかし、何でも惚れさせるホレ女……骨の悪霊を扱うだけじゃなくて女心も扱うのは旨いようね、今回は旨くいきそうだわ」
サンレイたちが学校に入っていく様子を眺めながらハマグリ女房が楽しそうに微笑む、
「学校には結界が張ってあるから術も一時的に外れるって言ってたわね、やはり勝負は午後からか……ホレ女のお手並みを拝見しましょう、旨くいけばよし、失敗しても水胆を使えばその隙を衝いて英二くんを攫えるかも知れないわね」
ハマグリ女房が水晶玉を取り出す。
「うふふふふっ、あの人のために精々役立ちなさいホレ女」
水晶玉に映る黒い人影を見つめて妖艶に笑うとハマグリ女房がスッと姿を消した。




