第03話
血の汚れを急ぎ落とし、身を清めた彼と共に導かれたのは、晶陵の陰家の奥座敷。
そこを支配するのは、重く冷たい静寂。
華やかな奏楽もなければ、目を奪うような赤い祝いの飾りも何一つない。
ただ微かに揺れる燭台の炎だけが、急ごしらえの淡い紅梅色の衣を纏う私と、いまだ微かな鉄の匂いを漂わせる彼を、薄闇の中に浮かび上がらせている。
蝋の焦げる微かな匂いと、洗い立ての衣にまだ残る微かな水気の匂いが、混ざり合っては消えていく。
兄と、彼の無二の友人・耿敦様、そしてその弟・耿翼様。
ごく一部の身内だけが見守る、息の詰まるような祝言の席。
カチャリ、と。
粗末な陶器の杯が触れ合う微かな音が、張り詰めた空気に吸い込まれる。
すぐ隣に座る彼から伝わってくるのは、隠しきれない荒い呼吸と、火傷しそうなほどの強い熱気だった。
本来であれば、身内の喪に服す期間の婚姻など、禁忌を犯す行いだ。
参列する身内たちの痛ましい視線が、冷たい刃のように肌を刺してくる。
けれど、私の視界の中心にあるのは、ただ一つ。
目の前で私を真っ直ぐに見つめ返す、劉彪の切実な瞳にだけ、視線を合わせる。
誰に咎められようと、どんな地獄が待っていようと構わない。
この禁忌こそが、彼が私に向ける狂おしいほどの執着の証なのだから。
「……鸞」
熱を帯びた呼気と共に差し出された杯を、自身の冷え切った指先で受け取る。
素焼きのざらついた感触。
交わした酒の、喉の奥を焼き尽くすような鋭い熱さ。
それが胸の奥へと真っ直ぐに落ちていき、二人の命を縫い止める確かな楔となっていく。
死の恐怖と、禁忌を犯す罪悪感。
それらすべてを、彼と共に運命を背負い抜くという安堵が静かに凌駕していく。
もう、後戻りはできない。
私は彼から目を逸らすことなく、決してほどけることのない誓いを飲み込んだ。
◆◇◆
静寂に包まれた儀式を終え、導き入れられたのは二人きりの寝所。
重い扉が背後で閉ざされた瞬間、外で吹き荒れる戦乱と死の気配から完全に切り離された、絶対的な密室が生まれ落ちる。
揺れる燭台の炎が、淡い紅梅色の衣と彼の大きな影を、壁へと柔らかく映し出していた。
張り詰めていた糸がふっつりと切れたように、彼が私を強く、痛いほどに掻き抱く。
「鸞……ずっと一緒にいてくれ。俺は、世界で一番幸せだ」
私の首筋に深く顔を埋め、まるで迷子が母親を探し当てたかのように縋り付いてくる、不器用で切実な熱。
鼻腔を掠めるのは、彼にこびりついた微かな鉄の匂い。けれど、私から立ち上る花茶の香りがその血生臭さを優しく中和し、彼の強張った身体を解すように包み込んでいく。
あれほど強大な修羅が見せる、私にだけの脆さ。
岩のように逞しい腕が微かに震えているのを肌で感じ、私は彼を力強く抱きしめ返す。
「短い今世なら、一日でも早くお前と一緒になりたい」
火傷しそうなほどの吐息と共に紡がれる、血を吐くような本音。
明日の命すら知れぬ絶望の淵で、私という光だけを握りしめようとする彼の孤独が、痛いほどに胸を打つ。
(彼を一人にしてはならない。私が、この人を温めるのだ)
暴走する獣を、ただの青年に、ただの『人間』へと繋ぎ止めることができるのは私だけ。
その確信が、私の中にあるすべての恐怖を熱く塗り潰していく。
私はそっと顔を上げ、彼の頬に両手を添えると、自らその熱い唇へと口付けを落とした。
「――っ……」
驚きに息を呑む気配は、すぐに深い飢えへと変わる。
彼の手が私の後頭部を激しく捉え、甘く、息の詰まるような口付けが幾度も繰り返される。
触れ合う唇の合間に漏れる互いの呼気が、次第に熱を帯びて絡み合っていく。
舌先から溶けるような熱が全身へと広がり、皮膚一枚の距離で、互いの切実な鼓動が重なり合って打ち鳴らされた。
死の影が覆うこの世界で、私たちはお互いの体温だけを命綱にして、甘い暗闇の底へと深く落ちていく。
燭台の炎が一度だけ大きく揺らぎ、二人分の影を壁の上でひとつに重ねた。
夜明けなど来なければいい。この時間が永遠に続けばいい。
そう心の底から祈りながら、私は彼がもたらす熱に身を委ねた――。
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