第5話 氷の女王の心の空洞と、消えた面影
(Side:北条舞)
「よし、みんな。歴史の教科書の45ページを開きなさい。今日は明治維新についてやるぞ」
歴史の教師の野太い声が、教壇から単調に響き渡る。
秋の日差しが窓から差し込み、私立星蘭堂高校3年A組の机の列を明るく照らしていた。
私、北条舞は、窓際の一番端の席で背筋をピンと伸ばして座っていた。
視線はまっすぐ黒板に向けられている。手には優雅にペンを握り、時折ノートに重要なポイントを書き留める。
先生やクラスメイトの目には、間違いなく集中力のある模範的な生徒に映っているはずだ。常に完璧な『氷の女王』として。
だけど、私の頭の中は……完全にパニック状態で、滅茶苦茶で、ものすごく騒がしかった!
(頭おかしい。私、昨日の夜は絶対におかしかったわ!)
(どうして……どうしてこの北条舞ともあろう者が、知り合ったばかりの男子の家に上がり込んだりしたのよ?!)
(それだけじゃないわ、このバカ! 特大カップラーメンを三つもペロリと平らげて、その上マッサージしてって甘えちゃって、それに……それに……)
思い出すだけで、顔から火が出そうになる……。
(な、な、なんなのよ、昨日の夜私の口から出たあの変な声は?! 『はぁぁん……♡』って?! 思い出しただけで、今すぐ学校の屋上から飛び降りたい気分よ!!)
私は慌てて顔を伏せ、隣の席の子に耳まで真っ赤になっているのを見られないよう、手のひらで頬の半分を隠した。
(しっかりしなさい、舞! 集中よ! あなたは演劇部の部長でしょ! 部室には秋の公演の台本がまだ山積みなんだから! あの生意気な後輩との恥ずかしい出来事なんて、思い出してる暇はないのよ!)
……そうやって自分自身を叱咤してみる。
……いつもの冷たいオーラを取り戻そうとしてみる。
(だ、だけど……くっ……)
再び心の中で愚痴が漏れてしまう。
だって、いくら否定しようとしても、体が信じられないくらい……軽いんだもの。それは否定しようのない事実だった。
何週間も私を苦しめていた頭痛は、今や嘘のように跡形もなく消え去っている。
肩や首の後ろに乗っていた大きな岩のような重みも、完全にどこかへ飛んでいってしまった。
今朝、窓ガラスに映る自分の顔を見た時でさえ、肌の血色がいつもよりずっと明るく見えた。
(整体とコルギ(小顔矯正)のマッサージ……だっけ?)
(な、なんなのよ、あの夏沢凛太郎の魔法みたいな指は? あいつは本当に高校生なの? それとも癒やしの神様の生まれ変わりか何かなの?!)
私は無意識に、昨夜彼の温かい指が触れ、あんなにも的確な圧をかけてくれた自分自身のうなじを、そっと撫でていた。
(それに……なぜだか、夏沢くんの声や、目の色、それにあの手の温もりが……)
(……全部、すごく懐かしい感じがしたのよね)
「はぁぁ……」
私は声に出さず、深いため息をついた。
思考がゆっくりと漂い、昨夜の出来事から、三年生になって以来ずっと無視しようと努めてきた、私の心の片隅にある空白の空間へと移り変わっていく。
(懐かしい、か……)
(あんな風に説教してくれたり、心から心配してくれたり……昔は私も、ある人からよくしてもらってたっけ)
とても大切な、ある人。
少しずつ、私のそばから姿を消してしまった人。
私がいつも親しみを込めて『凛くん』と呼んでいた、あの後輩の姿。
壊れたカセットテープのように、突然、過去の記憶が頭の中で再生され始めた。
『凛くん! 凛くん! 一緒にお昼食べよ!』
『すみません、北条先輩……俺、今この解剖学の参考書を読んでるんで……』
『もーう〜! そんな分厚い本ばっかり読むのやめてよ! たまには自分の姿勢も気にしなさいよ! 凛くん、いつも猫背になってるんだから!』
『あ、はい、先輩……すみません……』
その分厚いメガネをかけた内気な少年の声が、私の耳にはとても愛らしく響いていた。
昔、凛くんはいつも私と一緒にいてくれた。彼は地味でいつも俯いているような一年生だったけど、私が疲れた時に寄りかかれる、安心できる場所だった。
彼の初めての友達を紹介したのだって、私だった。
『ねえ、凛くん! 紹介するわ、里中健二くんよ! ちょっとうるさいけど、すごくいい子だから! 健二、凛くんと仲良くしてあげてね!』
『おっ、ちわー! 俺は里中健二! よろしくな、本の虫!』
『え、えっと……よ、よろしくお願いします……』
その思い出を振り返り、私は苦笑いを浮かべた。
今朝の学校の廊下で、私は副部長であり一番の親友でもある白鷺蓮とすれ違った。
彼女との短い立ち話の中で、私は初めて知ったのだ。あの里中健二が今、いつもぴったりとくっついている相手が……夏沢凛太郎だということに。
(里中健二と、夏沢凛太郎、か……)
(夏沢凛太郎……凛くん……)
まさか、同一人物?
私はすぐに、その考えを打ち消すように強く首を振った。
(違う。あり得ないわ。ただ名前が似ているだけの、偶然の他人に決まってる)
(私の知っている『凛くん』は、ダサい黒縁メガネをかけてて、髪も真ん中分けできっちり梳かしてて。姿勢はいつも前かがみで、私と話す時もすごく照れくさそうにしてたもの)
(昨夜の夏沢くんとは、180度完全に違うわ。無造作な髪型で、姿勢もピンと伸びてて、鋭い目つきをしてて……私に説教して、あまつさえ自分の家のカーペットに寝転がれなんて命令してくるような男だもの!)
なら……もし夏沢くんが凛くんじゃないとしたら……本物の凛くんはどこへ行ってしまったの?
なぜ、学校の廊下で彼の姿を一度も見かけなくなってしまったの?
転校しちゃったの?
それとも……わざと私を避けてるの?
左胸の奥がズキリと痛んだ。それは単なる筋肉のコリなんかよりも、ずっとずっと痛かった。
(私のせいだわ……)
(三年生になってから……先生たちに演劇部の部長に任命されてから……私の時間はすべて、台本と、練習と、責任に奪われてしまった)
『ごめんね、凛くん。今日は一緒に帰れないの。部活の会議があって』
『ごめんなさい、凛くん。お弁当、部室で食べることにするね』
あの拒絶の言葉を……去年、私は何度凛くんに言ってしまっただろう?
そして最後には、気がつかないうちに、私たちの間の距離は遠く離れてしまった。
あのメガネをかけた少年は、私を探すのをやめ、私を呼ぶのをやめ、重い期待でいっぱいの私の世界から、少しずつ姿を消してしまったのだ。
(ごめんなさい、凛くん……完璧な『氷の女王』でいるっていう私のエゴのせいで、あなたをないがしろにしてしまった……)
私は片手で頬杖をつき、秋の落ち葉が舞い散り始めた窓の外の景色を見つめた。
(ねえ……今どこにいるの、凛くん? もう、私なんかよりずっと一緒にいて楽しい、お昼ご飯の相手を見つけたのかな?)心の中でそう呟きながら、私の視線はゆっくりと切なさを帯びていった。
私は、もう戻ることのできない過去の空想にふけり続けていた。
私はまったく気づいていなかった。皮肉な真実……私がこれほどまでに恋しく思い、いなくなったことを嘆いている『凛くん』の姿が……実は同じ校舎の二階の教室に座っているだなんて。
私が気づかないほどの姿に変わり果て、昨夜私の体に触れ、ケアし、そして救ってくれた、あの青年なのだということに。




