食い逃げ妖精、竜のプリンの中で眠っている。
山の上に、大きなプリンが置かれていた。
石の皿いっぱいに広がり、リリィが百人並んでも端から端まで届かない。
表面はつやつやしている。
卵色のプリンの上を、琥珀色のカラメルが薄く覆っていた。
風が吹くたび、ぷるんと揺れる。
山の麓の村では、朝から鐘が鳴っていた。
「竜のプリンができたぞ!」
「今年こそ、崩すなよ!」
村人たちが長い棒を担ぎ、その上に石の皿を載せている。
牛乳は月牛百頭分。
卵は金冠鶏三百羽分。
砂糖は南の港から運ばれた赤砂糖を樽で五つ。
三日かけて蒸し上げた、年に一度のプリンだった。
山頂の洞窟には、古い竜が住んでいる。
村人たちは毎年、その竜へプリンを届けていた。
理由を知っている者はいない。
村長も知らない。
菓子職人も知らない。
竜も、たぶん覚えていない。
けれど毎年、夏の終わりになるとプリンが作られた。
村人たちは石の皿を洞窟の前へ置いた。
「今年はうまく固まった」
菓子職人が表面を指で押す。
ぷるん。
隣にいた村長の腹も、少し揺れた。
「竜はまだ戻らんのか」
「雲の海へ水浴びに行ったそうです」
「ならば、ここで冷ましておこう」
村人たちは山を下りていった。
巨大なプリンだけが残った。
そこへ、リリィが飛んできた。
甘い匂いがしたからである。
タルムは山の下にいた。
坂が急なので、ゆっくり登っている。
たぶん夕方には着く。
リリィは待たなかった。
山頂まで飛び、石の皿の縁へ降りた。
目の前に、黄色い壁がある。
見上げても上まで届かない。
カラメルが細い滝になって流れ落ちていた。
リリィは指ですくった。
ぺろり。
ほろ苦い。
その奥に、赤砂糖の濃い甘さがある。
リリィはもう一度すくった。
今度は黄色いところも一緒に取れた。
口へ入れる。
冷たい。
なめらか。
卵と牛乳の味が、舌の上でふわりとほどけた。
「おいしー!」
金色の粉が、プリンの表面へぱらぱら落ちた。
ぷるん。
プリン全体が揺れた。
山も少し揺れた。
リリィは気にせず、黄色い壁をもう一口食べた。
柔らかい。
スプーンがなくても、両手ですくえる。
もう一口。
もう一口。
リリィが食べたところに、小さな穴が開いた。
穴の向こうにもプリンが続いている。
リリィは中へ入った。
周りは全部プリンだった。
右も黄色。
左も黄色。
天井も黄色。
足元にはカラメルが染み込み、琥珀色の水たまりができている。
「お菓子の洞窟だ」
リリィは進みながら、壁を食べた。
柔らかな壁が少しずつ削れ、穴は奥へ続いていく。
外の光が遠くなる。
代わりに、プリンの甘い匂いが濃くなった。
リリィは途中で立ち止まった。
お腹が丸い。
羽も重い。
プリンの中はひんやりしている。
柔らかくて、静かだった。
リリィは壁にもたれた。
背中がゆっくり沈む。
ちょうどいい窪みができた。
「ちょっとだけ」
リリィは目を閉じた。
すぐに眠った。
その頃、空の向こうから竜が帰ってきた。
赤銅色の鱗。
岩山ほどの体。
翼を広げると、山頂が影に覆われる。
竜は洞窟の前へ降りた。
石の皿を見つける。
「今年も来たか」
低い声で言った。
竜はプリンへ顔を近づけた。
鼻先から、白い煙が漏れる。
プリンの表面が少し溶けた。
竜は慌てて顔を離した。
毎年のことである。
竜は火を吐く。
寝言でも火を吐く。
ため息にも火が混じる。
そのため、プリンを食べようとして近づくと、いつも先に溶かしてしまう。
竜は息を止めた。
もう一度、顔を近づける。
三秒。
五秒。
十秒。
竜の頬が膨らんだ。
目が赤くなる。
それでもプリンまでは、まだ少し遠い。
竜は耐えきれず、息を吐いた。
「ぶはっ」
熱い風が吹いた。
カラメルが流れ、黄色い表面が傾いた。
竜は眉間に皺を寄せた。
「今年も駄目か」
そのとき。
プリンの中から、小さな音がした。
すう。
すう。
竜は首を傾げた。
耳を近づける。
すう。
すう。
誰かが眠っている。
竜は爪の先で、プリンの横を軽く押した。
ぷるん。
中でリリィが転がった。
「んー」
竜がもう一度押す。
ぷるん。
リリィは反対側へ転がる。
「まだ食べる」
寝言だった。
竜はプリンを見つめた。
しばらく待った。
それから爪先で、表面を少しだけ開いた。
黄色いプリンの中から、金色の髪が見えた。
リリィは窪みに埋まり、両手を頬の下へ入れて眠っている。
羽にはカラメルがついていた。
竜は鼻先を近づけた。
「おい」
白い煙が漏れる。
リリィの髪が温風で揺れた。
「焼ける」
リリィは目を開いた。
目の前に、竜の大きな瞳があった。
リリィは少し考えた。
「竜だ」
「妖精だな」
「リリィだよ」
「私のプリンの中で何をしている」
リリィは周囲を見た。
右もプリン。
左もプリン。
自分の形にへこんだ黄色い寝床。
「寝てた」
「なぜプリンの中で寝る」
「柔らかいから」
竜は食べられた穴を見た。
「その前は」
「食べてた」
「私のプリンをか」
「おいしいよ」
「それは知っている」
竜は低く唸った。
唸るたび、口の端から火の粉が落ちる。
リリィはプリンの穴から這い出した。
羽を広げる。
けれどカラメルが固まっていて、うまく開かない。
リリィは石の皿の上を歩いた。
竜はプリンを見つめている。
「食べないの?」
「食べれば溶ける」
「もう少し遠くから食べたら?」
「口が届かない」
「首を伸ばせば?」
「これ以上は伸びない」
竜は首を伸ばしてみせた。
十分長かった。
それでも、自分の熱い息からプリンを遠ざけようとすると、今度は口が届かない。
リリィはプリンの端をすくった。
さっきより少し柔らかくなっている。
口へ入れる。
「おいしー!」
金色の粉が散った。
粉はプリンの上へ降り、琥珀色のカラメルへ溶けた。
薄い光が、表面を走る。
ぷるん。
プリンが揺れた。
流れかけていたカラメルが止まる。
溶けていた黄色い縁も、ゆっくり元の形へ戻った。
竜が目を細めた。
鼻から煙を出す。
プリンは溶けない。
もう少し近づく。
白い煙が表面を撫でる。
それでもプリンは、ぷるんと揺れただけだった。
竜は口を開けた。
山ひとつ飲み込みそうな口だった。
プリンの端を、ほんの少しだけかじる。
竜にとっては、ほんの少し。
村人百人分ほどの大きさが消えた。
竜は動きを止めた。
卵。
牛乳。
赤砂糖。
ほろ苦いカラメル。
百年ほど前に食べた味と、たぶん同じだった。
竜の目から、一粒だけ涙が落ちた。
涙は石の皿へ落ち、小さな水晶になった。
「おいしい」
竜が言った。
「おいしいね」
リリィも言った。
竜はもう一口食べた。
プリンが大きく揺れる。
リリィは足を取られ、黄色い表面を滑った。
そのまま竜の鼻先へぶつかる。
竜が息を吸った。
「ふ」
リリィの羽が逆立つ。
「ふ、ふ」
竜の鼻が震えた。
「はっくしゅん!」
熱い風が山頂を吹き抜けた。
リリィは空高く飛ばされた。
固まっていたカラメルがぱきぱき割れ、羽が開く。
リリィはくるくる回りながら、どうにか空中で止まった。
山道から、村人たちが登ってきた。
菓子職人が石の皿を見る。
大きな穴。
竜が食べた跡。
そして、リリィが食べた小さな穴。
「食べてくださった!」
村人たちは喜んだ。
菓子職人だけが、小さな穴へ近づいた。
指で縁を確かめる。
「竜さまの歯形ではないな」
空を見上げる。
リリィと目が合った。
「妖精!」
「リリィだよ!」
「その穴はおまえか!」
「おいしかったよ!」
「代金を払いなさい!」
「ないよ!」
リリィは山の下へ飛んでいった。
菓子職人が追いかけようとする。
その前へ、竜の爪が置かれた。
「まだ食事中だ」
菓子職人は止まった。
竜は残ったプリンをゆっくり食べた。
一口ごとに山が揺れた。
その日の夕方、タルムがようやく山頂へ着いた。
石の皿は空になっていた。
「プリンは?」
タルムが聞いた。
「おいしかったよ」
リリィは答えた。
「そうかい」
タルムはそれ以上聞かなかった。
リリィはタルムの甲羅へ降りた。
甲羅の上には、小さな家がある。
リリィは扉を開け、中へ入った。
寝台へ倒れ込み、毛布をかぶる。
羽にはまだ、甘いカラメルが少し残っていた。
リリィはすぐに眠った。
それから毎年、村人たちは竜のために大きなプリンを作った。
石の皿の端には、いつも小さなプリンも一つ置かれるようになった。
誰のためなのか、村人たちは知らない。
竜は知っていた。
けれど、何も言わなかった。
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