リリアーナ様、破滅フラグいくつあるんですか!?
朝の空気は澄んでいるはずなのに、胸の奥だけが妙に騒がしかった。
校舎へ向かう足取りは一定なのに、思考だけが落ち着かない。
(……思い出したからだ)
昨夜の夢。
前世の記憶。
そして、この世界が“物語の中”であるという確信。
断片ではなく、一本の線として繋がった今、逃げ道はもうなかった。
(ここは物語の中で、私はモブで)
そして。
(私の最推しだったリリアーナは、破滅する)
それを知っている。
知ってしまった。
だから——
(関わらない、は無理ね)
今さら距離を取る方が、不自然だ。
だったら。
(ちゃんと関わる)
そう結論を出した瞬間、不思議と足取りが軽くなる。
迷いが消えたからだ。
教室の扉を開ける。
いつも通りのざわめき。視線の流れ。
そして、その中心にいない“中心”。
いつも通り窓際の席で、誰とも距離を取ったまま、本を読んでいる少女。
(……いた)
リリアーナ・フォン・アルヴィン。
今日も変わらず、近寄りがたい。
けれど。
(あの人は、ああ見えるだけ)
昨日の出来事を思い出す。
無駄のない判断。
感情に流されない対応。
そして、最後まで崩れなかった姿。
あれは“冷たい”のではない。
(強いんだ)
だから私は、足を止めなかった。
まっすぐ歩き、その席の前で立ち止まる。
「……あの!」
声をかける。
リリアーナの視線が上がる。
青い瞳が、静かにこちらを捉える。
驚きはない。ただ、“予想外”を測る目。
「何かしら」
表情とは裏腹に、淡々とした声。
保たれた距離はそのまま。
それでも、引く理由にはならない。
「昨日の件で、少しお話したいことがございます」
一拍の間。
彼女の指先が、ほんのわずかに止まる。
「必要性を感じないわね」
即答。
けれど、その反応は想定内だった。
「承知しております」
否定しない。
その上で続ける。
「ですが私は、話す必要があると考えています」
周囲のざわめきが、わずかに揺れる。
視線が集まり始めるのを感じる。
それでも、言葉は途切れない。
リリアーナは数秒だけこちらを見つめたあと、本を閉じた。
「……手短に」
許可だった。
小さく息を吸う。
頭の中で言葉を整える。
けれど今回は、“思いつき”ではなく、“伝えるための言葉”として。
「リリアーナ様は、周囲の方々に誤解されていると思います」
その一言で、空気が変わる。
それでも構わない。
「口数が少なく、他者と距離を取っていらっしゃるように見えるため、冷たい印象を持たれがちです」
「ですが、それは感情で判断していないからです」
視線を逸らさずに続ける。
「状況を正確に把握し、その場で必要な行動だけを選んでいらっしゃる。無駄を省いているからこそ、結果だけを見ると冷淡に見えてしまうのだと思います」
教室が静まり返る。
それでも、止めない。
「本来それは、“合理的である”ということです」
「責任ある立場にある方に求められる、極めて重要な資質ではありませんか?」
言葉が、落ちる。
誰も口を挟まない。
周囲の視線なぞ気にせず、私は続ける。
「昨日の件も同様です」
わずかに声に力が入る。
「通常であれば、あの状況では言い訳をするか、あるいは責任を他者に転嫁するはずです」
「ですがリリアーナ様は、それをなさらなかった」
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
「事実のみを伝え、それ以上を語らなかった。それは冷淡さではなく、“自分の立場と状況を理解した上での選択”です」
一拍。
最後の言葉を、静かに置く。
「私は、その姿を見て……誠実だと感じました」
沈黙が落ち、視線が集まる。
けれど、不思議と怖くはなかった。
リリアーナは何も言わない。
ただ、じっとこちらを見ている。
「……ですから、“冷たい方”だとは思いません」
そう結んだ瞬間。
空気が完全に止まった。
「——あなた、少し出過ぎではなくて?」
横から、鋭い声が差し込む。
振り向けば、数人の令嬢たち。
整った笑み。 けれど隠しきれない警戒。
「アルヴィン様に対して、あまりにもなれなれしいのではありませんか?」
明確な牽制だった。
私は一度だけ瞬きをして、その言葉を受け止める。
「ご指摘はもっともだと思います」
まず、否定はしない。
それだけで、相手の動きが一瞬止まる。
「ですが私は、軽んじているつもりはございません」
静かに、しかし明確に続ける。
「むしろ逆です。正しく評価されていないと感じたため、言葉にしました」
わずかに視線を上げる。
「表面的な印象だけで距離を取ることと、理解した上で距離を選ぶことは、まったく別の行為だと思います」
空気が揺れる。
「もし前者であるなら、それは評価ではなく印象に過ぎません」
言い切った後、数秒の沈黙が広がる。
誰も言葉を返せない。
そのとき——
「……なるほど」
静かな声。
振り向く。
リリアーナがこちらを見ていた。
わずかに目を細めている。
それは“拒絶”ではなく、“評価”に近い視線だった。
「少なくとも、軽い言葉ではないわね」
一歩、彼女が近づく。
場の空気が変わる。
「エリシア、と言ったかしら」
「はい」
「……あなたの見方は、嫌いではないわ」
その一言で、すべてが決まる。
取り巻きたちが視線を交わす。
そして、やがて一人が口を開いた。
「……アルヴィン様がそうおっしゃるのであれば」
一拍。
「今後は、同じ側として振る舞っていただいてもよろしいかしら」
遠回しな許可。
私は小さく息を吐き、頷いた。
「至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします」
形式的な挨拶。しかし、カーテシーを返しながらも、その視線は揺れない。
もちろん。その意味は明確だった。
私は——“内側”に入った。
その日の昼休み。
教室内に大きな変化はない。
けれど確実に、空気が違う。
視線の質。
距離感。
立ち位置。
そのすべてが、わずかに変わっていた。
(……でも)
ある日、ふとした瞬間。
記憶が引っかかった。
華やかな光景。
ざわめく会場。
そして——
(社交界)
その単語と同時に、はっきりと思い出す。
事件。
偶然に見せかけた“仕組まれた失敗”。
そして、それによって決定づけられる評価。
(……破滅フラグの一つじゃん)
背筋が冷える。
日付を思い出し、照らし合わせる。
(……あと一週間)
確定した瞬間、思考が一気に冴える。
やることは、決まっていた。
(表には出ない)
取り巻きとして。
違和感なく。
自然に。
そして——
(裏で全部潰す)
視線を上げる。
少し離れた場所で、リリアーナが他の令嬢と会話している。
その姿は、変わらず堂々としている。
けれど。
(あの結末には、絶対にさせない)
私は静かに息を吐いた。
拳を軽く握る。
これは偶然じゃない。
もう無自覚でもない。
意思だ。
(取り巻きとして、完璧に支える)
表では目立たず。
裏では確実に。
(次のフラグも——折る)
静かに、しかし確かな決意を胸に。
私はその場に立っていた。




