プロローグ
——私は、この世界の“物語”を知っている。
そう気づいたのは、目が覚めてからしばらく経ったあとだった。
柔らかすぎる天蓋。磨かれた家具。遠くで鳴る鐘の音。どれもが現実というより、舞台装置のように整いすぎていた。
そして何より、自分自身の名前。
エリシア・リー・ベルンハルト。
貴族の一員でありながら、社交界の中心に立つことはなく、ただ誰かの隣にいるだけの立場。
——悪役令嬢の取り巻き。
その言葉が、妙にしっくりきてしまった。
鏡の中の自分は、確かに“主役ではない顔”をしていた。華やかではあるのに、誰かの印象に強く残る種類の美しさではない。
目立たない。記憶に残らない。物語に干渉しない。
それが、この役割だった。
だが。
私は知ってしまっていた。
この世界には“結末”がある。
そしてその結末の中心にいるのは、リリアーナ・フォン・アルヴィン。
未来において、悪役令嬢として断罪される少女。
孤立し、誤解され、全てを失う存在。
それが“決まっている”。
理由はわからない。なぜ知っているのかも説明できない。
ただ、最初から記憶の奥に刻まれていた。
彼女が笑わない未来を、私は知っていた。
だからこそ、決めた。
私は主役にならない。
物語に干渉しない。
ただ、見えない場所から“少しだけ未来をずらす”。
それだけでいい。
それ以上関われば、きっと何かが壊れる。
そんな予感があった。
学園に入学した日、彼女はすでに完成していた。
誰も近づかない完璧な孤立。
誰も触れられない完成された距離。
アルヴィン嬢は、最初から“そういう役割”を背負わされているように見えた。
けれど私は、その完成がとても危ういものに見えた。
ひび割れたガラスのように、少しの衝撃で崩れてしまう均衡。
だから私は、何も言わなかった。
ただ、見ていた。
——そのはずだった。
最初の違和感は、小さな出来事だった。
偶然、彼女の隣に置かれた花瓶が倒れなかったこと。
本来なら落ちるはずだった階段の足場が、なぜかその時だけ固定されていたこと。
誰も気づかないような、些細なズレ。
けれど私は、そのすべてが“偶然”で片付けられるものではないと理解していた。
それでも、私は自分に言い聞かせていた。
偶然だと。
関係ないと。
ただの気のせいだと。
そして、その日。
初めて彼女と目が合った瞬間。
私は理解してしまった。
この世界は、すでに“物語通り”には進んでいない。
アルヴィン嬢の未来は、誰かの手によって少しずつ書き換えられている。
そしてその“誰か”が——
すぐ近くにいる。
私はそのとき、まだ知らなかった。
自分がただの傍観者ではなくなっていることに。
そして、彼女の破滅フラグを折るたびに、
本来最も避けるべき視線に、少しずつ近づいていることに。
これは、物語の外側にいたはずの少女が、
誰よりも深く“物語そのもの”に絡め取られていく始まりだった。




