冬のモリヤ
モリヤの冬の様子と水本との関わり。
モリヤがグレた。
秋にそんなウワサがたった。実際一度 先生にも呼び出されたらしい。
原因は髪だ。オレは言われて初めて気が付いた。毎日見ていたので、変化に気付かなかった。
モリヤの髪の色が薄くなっている。黒い髪がだんだん赤茶っぽくなってきていた。ゆっくり脱色していくように。
モリヤはまじめな生徒である。だけど根も葉もないウワサではなく、全ての人の目に見えるものだから なかなか大きなウワサとなった。
しかし髪の色以外は何も変わっていないのだった。いや、一つ。これはオレにしか関わりのないことかもしれない。だけどオレにとっては髪の色より もっと大きなことだ。
香りが、薄れている。
明らかに香りの力が弱まっている。
なぜ? 涼しくなって 汗をかかなくなったから? イヤイヤ 汗の匂いではないだろう? オレの大好きな 大大大好きな、モリヤの匂い。
モリヤの森の家の上空に虹を見たあの日から、ほんの少しオレはモリヤと仲良くなっていた。それまでは黙ってモリヤのそばに近づくだけだったのだが、あれからは、モリヤはオレが近づくと必ず振り返って やあ、と声をかけてくれる。オレもやあと答える。それだけだけど。
秋が深まると、モリヤの髪の色はどんどん薄くなっていった。でも、もう呼び出しはくわなかった。
「認められたのよ。」
湧井さんが現れた。
「認められた?」
聞き返すオレに、
「そう。だって中学の時もずっとそうだったもの。中学校に問い合わせれば分かることよ。アレはモリヤの体質。」
「体質。」
「体質よ。脱色なんてしてないの。」
「そうか。」
「そうよ。」
湧井さんは笑った。
「納得できない? まだ心配そう。」
「イヤ。髪の色はまァ、どうでもいんだけど。」
「どうでもいいなんて、言ってられないわよ。」
「どうして。」
「色だけではすまないからよ。冬になれば分かるわ。」
どういう意味だ。
冬になれば。冬になれば、もしかして完全に においがなくなってしまうのだろうか。
枯れちゃって。
オレは力なく頭をふった。枯れちゃわない。人間、人間。でも、笑えなかった。
秋は深まる。オレは注意深く、モリヤを観察する。髪の色は茶を通りこしていた。通りこして薄く。そうしてにおいも又。
帰り道、日課のようにオレが近付いていくと モリヤはいつものように「やあ。」と言った。いつもはそれだけなんだけど、この日は続きがあった。
「最近、」
と、オレをじっと見る。心なしか目の色も薄くなっている気がした。
「顔色が悪いね。」
「えっ。」
オレは驚いた。それはこっちのセリフだ。.....いや、顔色じゃないか、髪色か。...でも「悪い」というわけでは ないのかも。薄いは薄いで、キレイかも。モリヤをじろじろ見ながら オレが考えていると
「気になる?」
とモリヤが聞く。
「何が?」
と、オレ。
「ぼくの髪の色。」
「あ、うん。ううん?」
モリヤは笑った。少し、匂いが立った。ああ、オレの好きなモリヤの匂い。
「...モリヤ、体調悪い?」
「いいや。」
「うん。」
なんだか納得。色が薄くなっているだけで、目は澄んでいるし元気そうな顔をしている。調子が悪そうにも見えない。ではなぜ、香りが薄まっているのか。
学校を出たところで、二人は立ち止まったまま、長く居た。
「歩こうか。」
とモリヤが言った。オレはうなずいて、そして並んで歩き出した。
「新しいウワサを知ってる?」
モリヤが言った。
「モリヤがグレたってやつ?」
アハハとモリヤが笑う。やはり少しだけ匂いが立つ。
「も一つ新しいやつ。ストレスで白髪になった。」
「ストレス! 知らない。」
「あと、病気で急に年老いた。」
「それも知らない。───でも 」
とオレはモリヤの顔を見つつ
「ストレスがありそうにも病気にも見えないね。」
「ウワサはウワサだから。」
「うん。」
少しホッとした。
薄くはあるけれど 何度も今日は香りがたった。
「はかなげ」にもほどがある。
多分うすれる色の この日がピークだったのだと思う。瞳も肌も髪も、透き通るようだった。触れたら壊れてしまいそう。まるでガラス細工みたいだ。
終礼後の帰り道、モリヤのそばに寄っても匂いは全くしなかった。
「やあ。」
振り返ってモリヤが笑う。笑顔はそのまんま。体調が悪そうでもない。
「モリヤ。」
なんだかたまらずオレは言った。
「うん?」
でも次の句がつげない。つまらないことを口走りそうで。モリヤ、ここで止まってくれる? これ以上 うすくならない? 消えて、しまわない.....?
「明日、」
モリヤが空を見た。
「雨が降るね。」
「本当?」
オレも空を見上げた。雲一つないけれど。
「ああ。どしゃ降りになるだろう。」
「...モリヤの好きな?」
「そう。」
モリヤが笑顔になった。でも匂いはたたない。もう わずかも。
「モリヤ...。」
「明日、欠席するよ。」
「...雨だから?」
「冬だから。」
変な会話。
明日、とモリヤは言った。明日、欠席すると。
確かに雨は降った。冬の冷たい、どしゃ降りだった。こんな冷たい雨でも モリヤは好きなのかな。冷たいどしゃ降りも嬉しいのだろうか.....。
「明日」と言ったモリヤは次の日も学校を休んだ。そのまた次の日も。どしゃ降りは去ったのに。雨は止んだのに。今日なんか晴天なのに....。
「多分モリヤは、」
気が付くと放課後の教室でボンヤリしていた。自分の席に座ったまま。
ふいに後ろに立った湧井さんの声でオレは我に返った。
「このまま冬休みに突入するわよ。」
「えっ?」
「こうなったらモリヤは一週間は来ないの。ね?」
「そう。」
と答えたのは小川くん。いつの間にか現れていた。
「一週間....」
「そうだよ。月曜日が終業式だろ。このまま 休み明けまで現れないよ。」
「どうして....。」
体調は悪くないと言っていた。冬だから欠席すると。冬?だから?
「モリヤは冬が苦手なの?」
「みたいだね。」
と小川くん。
「冬になると 少し動きが遅いでしょ。」
「ほんとう?」
「そして体が冷たい。」
オレは笑った。
「オレも冬は冷たくなるよ。手とか足とか。」
「モリヤに触ったことある?冬に。」
小川くんは笑わずに言った。
「....ないけど。」
「オレはある。中2の時だ。冬に冷たい手で人の首すじに触る遊びが流行った。」
「男子の間でね。バカでしょ。」
「子どもだったんだ。」
と小川くん。
「モリヤの手がものすごく冷たかったと?」
ものすごくってどのくらいだろう。
「オレもけっこう冷たいけどな。」
ホラ、とオレは小川くんの手に触った。ホラ、オレの方が冷たい。小川くんの手は温かく感じた。
「イヤイヤ。」
小川くんは首を横に振った。
「手じゃない。首すじがだ。モリヤの首すじは、冷たいオレの手より さらに冷たかった。今の水本の手よりもっともっと冷たかったんだ。」
「首が?」
「そう。首が。」
「そこでウワサがたったのよ。モリヤは変温動物。」
「冬は冬眠するんだってね。」
「.....。」
さすがだ。さすがはウワサのモリヤ。冬眠ときたか。
「今、冬眠しているの?」
オレはにっこり聞いた。
「してないだろうけど。」
小川くんもにっこり答えた。
「でもこの時期、一週間ほど休むのはいつも。」
「毎年なの。でも。」
と湧井さん。
「でも?」
「冬休みにかかったのは良かったかもね。」
「どういう意味?」
「一週間じゃ足りないのよ、少し。」
「何が?」
「時間が。」
と二人同時に答えた。
オレは首をかしげた。モリヤのウワサはいつも謎めいている。湧井さんと小川くんの会話までミステリアスに聞こえる。
「でも今回は」
小川くんがまじめな目で言った。
「モリヤの家に訪ねて行かない方がいい。」
「どうして?」
前回はあんなにすすめていたのに。
「少々刺激的だから...」
小川くんはそう答えた。
「でも...」
湧井さんは考え考え小川くんの顔を見た。
「モリヤは気にしないかもよ。」
「ケド、水本の方はショックじゃない? ショックを受けた水本を見るのは モリヤにとってもショックじゃないかな。」
二人はオレを見た。
ショック...?
心配そうな二人の目をオレはしっかりと見返して
「オレがショックを受けるのは、モリヤがいなくなったり しんじゃったり してしまう時だけだよ。それ以外なら多分大丈夫。」
「いなくならない。」
と小川くん。
「しんじゃわない。」
と湧井さん。
「じゃあ大丈夫。」
とオレ。
「行くの?モリヤのうち」
聞かれてオレは少し考えた。
「モリヤは気にしない?」
湧井さんと小川くんの顔を見ながらオレは聞いた。二人は同時に一度お互いを見て、そうして同時にオレを振り向いてにっこり笑った。
「多分。」
終業式の日、オレは学校帰りのその足でモリヤのうちに向かっていた。
モリヤは多分気にしない。...何を?
今回は刺激的なんだって。...何が?
森の家。家が森。の、モリヤのうち。
夏場、家をおおっていた濃い緑の葉は全て落ちてはいなかった。家の外壁に蔦が這っている、ただそれだけのおおわれ方ではないのだ、この家は。まるで生きている木が家に変身したような...。もちろんコンクリじゃない。ただの木造というでもない...?
壁も柱もまっすぐ直線をしていないのだ。
さすがに全てではなくとも夏より葉は落ちていて、そういうむき出しの部分が多少見えた。
「木造じゃないなぁ。」
オレは家をまじまじと見てつぶやいた。
やっぱり森だなぁ、と思った。冬になろうが葉が落ちようが、モリヤの家は森の家。家が森。若干 扉も探しやすい。オレは扉をたたいた。
「モリヤくん、モリヤくん」
返事はない。香りもない。
「モリヤコウキくん、モリヤコウキくん」
大きな声で呼んでみる。返事はない。
もしかして会えないのかな。ショックを受けるってこういうことなのか?
──でも、
いなくならない、と二人ははっきりと言った。
「モリヤコウキくん、モリヤコウキくん」
さらに大きな声でオレは呼んでみた。
にわかに空が暗くなった。灰色の雲がドンドンおしよせてきたのだ。
雷が鳴った。あっという間に雨が降り出した。ああ、雨だ。モリヤの好きな雨。....とも言っていられない。冬の雨は冷たい。傘も持っていない。突然の雨だもの。それでも茫然と、オレはしばらく森の家の前に立っていた。
雨の日の森の家。ステキな思い出だ。
「水本。」
ため息のような声が聞こえた。森の家の扉が内から開けられる。モリヤの手だけが見えた。
「入って。」
「うん。」
オレは扉の内に入った。全身から水滴が落ちる。
「どうして」
暗い家の内から 又ため息のような声が聞こえる。薄暗くて モリヤの姿はカゲのよう。
「どうしてドシャぶりの中 水本はじっとしてるんだろう。」
一人言のようだった。
「急な雨だったね。モリヤ、いたんだね。.....元気?」
顔が かげになっていて見えない。
「カゼをひくよ。」
モリヤは手ぬぐいのようなものを貸してくれた。オレはとにかく水滴を取る。
「どうぞあがって。」
「でも濡れてしまう。」
「かまわない。」
モリヤの匂いではないが 家の中はやはり草木の香りがした。とても、落ち着く匂い。
オレは上着や靴下や鞄を玄関に置いてあがった。床も木。スベスベの木だ。拭いたけど やはり少し濡れてしまう。
「寒いだろう。」
モリヤが聞く。
「いいや。この家は火の気がないのに あたたかいね。」
「着替えを貸そう。」
「いや。オレはモリヤの顔を見にきただけだから。」
とオレはモリヤの顔を見た。うす暗闇の中。それでも近付くと顔は見える。
「.....あれ」
オレはさらに近付いた。
「髪を切った?」
モリヤはにっこりした。
「色が落ちてしまったので。」
髪の色が落ちる。なるほど どんどんモリヤの髪の色は落ちていったっけ。色が落ちてしまったので髪自体も落としてしまったのか。いさぎよい。モリヤらしい。
モリヤは丸ぼうずだった。これか。ははぁ、なるほど。明るいところで突然見たら驚いたかも。でも オレにとっては、元気なモリヤが見られたのだもの、髪なんて どうでもいい。
「良かった。モリヤが元気で。新学期は来る?」
「いくよ。」
「でも、もっと寒くなるね。寒いのは苦手なのかい。」
モリヤは答えず ほほえんで、そして言った。
「冬眠のウワサを知っているかい?」
「うん。」
オレはうなずいて笑った。
「おもしろいね。オレはモリヤのウワサが好きだ。」
「そう? ただ笑えないウワサもある。」
オレは笑いを止めた。
「そうなのか。 悪かった。本人だものな。おもしろいだなんて失礼した。」
「失礼ではないよ。おもしろがってくれていい。ウワサが真実だと笑えないというだけのことだよ。びっくりしてしまってね。」
「真実?は、なさそうだけど。」
オレは首をかしげた。モリヤは笑った。なんだ、冗談か。オレも笑った。
雨音は止まず、むしろ激しさを増したようだった。
「やまないね。」
オレは天井を見上げた。天井もまっすぐではない。根っこが絡まったような複雑な造形をしていた。
どしゃどしゃと雨音がする。モリヤの匂いではないが雨を喜ぶような葉っぱの匂いが強くたった。
「ハイ。」
モリヤがオレに何かをおしつけた。
「何?」
「服。やはり着替えた方がいい。そのままでは座れもしない。冷たくて。」
「.....うん。」
オレは濡れた服を取ってモリヤが渡してくれた服を着た。なんとなく草や葉っぱでできている服を想像してしまったが もちろんそんなワケはなく、ごく普通の部屋着のようなシャツとズボンだった。
いい匂いがした。モリヤの匂いでは、やはりなく、草木の匂い。でもモリヤを思わせる匂いではある。
雨音はあいかわらず激しい。オレは床に座っていた。モリヤは窓辺に立っている。雨の様子をうかがうように。
会話はない。でもオレはとても気分が良かった。草木の匂いの立つ薄暗い家の中。モリヤと二人、雨音を聞きながらじっとしている。この家の中で冬、こもっていたら それは冬眠と言えるかもしれない。
静かに時が過ぎてゆく。雨音以外 何の物音もしない。
どれぐらい過ぎたころか やっと雨音が止んだ。真っ暗になっていた。月もないから何も見えない。モリヤの家のまわりも暗い。あかりが全く入ってこない。
「ようやく小雨になったよ。」
小さい声でモリヤが言った。モリヤは窓辺に立ったままだった。姿は見えない。暗すぎて。でも声の方向で分かる。
「そう。やんだのかと思った。」
オレも小声で答えた。静かすぎるので 大きな声を出してはいけないような気がする。のに、ふいにくしゃみが出た。その音に自分で驚いた。
「冷えてきたね。」
モリヤが言った。
「おぉ...そういえばそうだね。気が付かなかった。」
あんまりこの空間が気持ちいいものだから。
「どうする」
一人言みたいにモリヤがつぶやいた。
「え?どう?...ああ!ごめん、遅くまでいたね。帰るよ。雨もおさまってるんだろう?」
オレは立ち上がった。けれどほんとに何も見えない。
「ええと...」
扉の方向を見た、つもりだがほんとにそこに扉があるのかは定かでない。
「...服が、乾いていない。」
モリヤがつぶやく。濡れた服をモリヤがかけてくれていた。もちろん乾くわけもない。雨だし 寒いし 何しろずぶ濡れだったし。
「うん。ちょっとその服に着替えるのはいやかな。モリヤ、これ貸しといてくれる?」
オレはモリヤの方に向かって言った。
「そんな格好で帰るとカゼをひくよ。」
「大丈夫だよ。」
「外は寒い。家の中よりずっと。」
そうではありましょうが...。
「上着を貸してくれるとありがたい...けど」
オレはぐるりと見まわした。ほんとにまっくら。もちろん少しは目が慣れてきているはずなんだけど それでも物の輪郭も定かでない。
上着のある場所とか分かるのかな。モリヤは普段、日の落ちた家で何をしてるんだろう。
暗い部屋の中のモリヤを想像した。暗い中、静かに座って目をあけて、モリヤは何かを空想しているのだろうか。たとえば空の雲の上の世界だとか、あるいは深い深い海の底の生き物のこととか。
「はい」
ふいに耳もとで声がした。オレはあまりに驚いて 恥ずかしながらとび上がった。モリヤの慌てる気配がした。
「ゴメン、そんなに驚くとは...。上着を持ってきたんだけど...。」
「あ、ああ、そうか。いや、こちらこそごめん。ぼんやりしてて... しかし」
オレはモリヤのいる方を凝視した。ほぼ何も見えない。ただ気配がある。
「しかしモリヤすごいね。見えるの?」
「うん。ぼくは慣れているから。」
「暗闇に?」
「そう。それとこの家に。」
「そうか。」
モリヤがオレの手元に服をおしつけた。
「ありがとう。借りるよ。」
オレはモタモタと上着を着た。まるで手探りゲームだ。難しい。
「やんだ。」
ポツンと声がした。今度はやけに遠くで。知らない間にまたモリヤは窓辺に戻っていたらしい。おもしろい。不思議なアトラクションみたいだ。
「雨がやんだ?」
「ああ。」
と言っている間にまいおりるように淡い光が窓から入ってきた。モリヤの姿が見えた。星の光で物が見えるとは。発見だ。星あかりの中のモリヤが振り返って笑顔で言う。
「帰れてしまうよ。」
へんな日本語。
「では。」
とオレは扉に向かった。今度は確実に正しく扉を向いている。扉が見えるから。
星あかりの中、モリヤの家から帰るのだろう。そしてきっとオレは一度モリヤの家を振り返る。星あかりの中、シンととじているモリヤの家を。そうして幸福な気持ちで家路につくのだ。
そんなことをその一瞬に思っていた。扉の取っ手に手をかけるまでの間。
「どうしたいんだろう、ねぇ」
ふいにモリヤが言うので驚いてオレは振り返った。
「ねぇ」
ともう一度モリヤが言った。
「え?何?オレ?」
意味を理解することができなかった。
「ねぇ水本。」
「ハイ」
「全てはなるようになるんだ。」
「....」
「それは、自然の意志とか、運命とかいうんだろう?」
哲学か?ちょっと意外。
「水本はこの家に来ない選択権を持っていた。」
せんたくけん?
「そして来ても扉があかないのだから帰るということもできた。むしろその方が自然だよね。」
「それはそう。」
オレはその時のことを思い返した。モリヤが続けて言う。
「雨まで降ってきてね。とんで帰るのが普通。」
「うん。...少しボーッとしてたかな。」
「ボーッと...ね。」
モリヤはにっこりした。うすい星あかりでもモリヤの顔はよく見えた。
「ぼくは、扉を開けないわけには いかなくなった。」
モリヤはにっこりしている。でもオレはドキリとした。開けたくなかったのか。オレは自分に驚いた。どうして今までそう思わなかったんだろう。
「ああ...ごめん、モリヤ。すぐに、返事がない時点で帰るべきだったんだね。申し訳ない....。」
「そうじゃない。」
思いがけない強い言葉が返ってきた。
「ぼくがどうしたいかは分かっている。」
「うん?」
「どうしたいのか分からないのは──」
「オレ? 何を...どうしたいという...??」
哲学から抽象的な話になっているのか。よく分からない。
「いいや。水本じゃない。どうしたいのか分からないのは その運命とか自然の意志とかいうものだ。」
やっぱり哲学?
「なかなか雨はやまない。覚悟を決めようとした途端雨がやむ。どういうつもりだ。」
「???」
雨に文句を言ってるのかな。気まぐれな雨に。
ふふふ と思わずオレは笑ってしまった。
「雨が降ったりやんだりするのを運命とは大げさだね。モリヤと大ゲサとは何だか結びつかなかった。とても新鮮。雨は 自然現象で降ってやむ。ものだとオレは思っていたな。」
一瞬シンとして、そしてモリヤはホッとしたように笑った。
「ほんとう。その通りだね。ありがとう。」
「?」
ありがとうの意味が分からない。
「...では、帰るね。ああ、オレの方がありがとうだよ、モリヤ。又雨宿りさせてもらった。──あ!」
「なに。」
「制服。忘れてた。」
「ものすごく濡れているよ。」
「うん。持って帰ってかわかすよ。」
「おいておけばいい。」
「....。」
「冬休みだし。」
「....では...」
「冬休み中に取りに来る?」
「──」
「それとも持っていこうか?」
「取りに来る!」
さわさわと葉ずれの音がした。
「では又。」
モリヤがにっこり言った。
「うん、又。又来るよ。」
モリヤは笑った。
「絶対来なくてはいけない。」
「え」
その言葉の強さに少々驚いた。モリヤらしくなくて。
「だって新学期に制服がなかったら困るものね。」
モリヤが嬉しそう。嬉しそうに笑ってそう言った。
「その通り。」
オレも笑った。来る理由ができて心底嬉しい。
オレは扉を開けて外へ出た。星あかりを眩しく感じる。
星でここまでとは。月ではいかほどかと思う。月夜に来てみたい。
オレはしばらく歩いてそして星あかりの中モリヤの家を振り返った。
モリヤの家はしんと とじている。星あかりの中。星の光が家に降りつもってゆくようだ。
オレは思わずにっこりした。そうして幸福な気持ちで、家路につくのだ。