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タイトル未定2025/08/22 23:42

 再度起き上がろうと試みる。やっぱり、目ざとく横にさせられる。

「わがままだって自覚してるよ。でもね、……嫌なものは嫌なんだよ」

「ごめん未来。俺いま、めちゃくちゃ安心してる」

 未来は寝転ぶ俺を睨むように見下ろした。

「なにが? 私は怖いって言いたいんだよ」

「わかってる。そうやって怖いって思ってくれてることに、俺は安心してる」

 わけがわからないと言いたげに、未来はそっぽを向いた。

 綺麗な青い瞳が、また涙で潤んでいた。ジーニアス校に転校してきたあの日、深海みたいなこの瞳は今とは違う種類の悲しみや恐怖で溢れていた。

「受け入れてもらえるか怖がってたお前がさ、いまは失うのを怖がってる。ジーニアス校はもう未来の居場所の一つで、大事な友だちがたくさんいて、疑うことすら嫌なくらい大きい存在なんだって思うとさ。大阪にいたころを知ってる俺からすると、……なんていうんだろうな、ほんとに」

 安心している。言葉にうまくできないけど、とにかく、心の底から安堵している。

「……そんなに私、しんどそうだった?」

「しんどそうだった。でも、自決に逃げるようなことは絶対しなかった」

 咎めるような言い方になって、もう少しマイルドに言えないだろうかと内心自分を叱咤した。

「人と関わるって、複雑だよな」

 未来はこくんと頷いた。

「ひとりの方が楽だった」

「じゃあ楽しかったか?」

「楽しくなかった」

「嬉しかったか」

「なんにも嬉しくなかった」

「ひとりじゃない、いまは?」

 未来は少し考えた。

「……楽しいし、嬉しいこともいっぱいある。でも、それと同じくらい……苦しい」

 髪の束がまた一つ滑り落ちていった。


「ねえ、聞いてもいい?」

 日が半分ほど登って部屋に差し込み始めたころ、未来は改めて問うてきた。

「うん?」

「もし、本当にその人の話を信じるとして。周辺を疑えって、だれを疑うの? 学校の人も、友だちも、本部とかも全部疑うの?」

 未来は膝を抱えてうずくまった。

「嫌だよ。私は今の生活が好き。こうしてみんなに迷惑をかけることさえなければ、ずっといまのみんなと関わっていきたい。だれのことも疑いたくない」

 背中に流れていた横髪の一束がするりと前に落ちていく。全てを拒絶するように、未来は身体を縮こまらせた。

「……疑わなくていい。そういう犯人探しみたいなのはほかの人に任せて、未来は自分の身を守るのに専念してくれ」

 起き上がろうとすると、目ざとく布団に縫い付けられた。未来は、「だから」と言ったっきり、何も喋らなくなる。ぼんやりした頭でも、未来が何を言いたかったかは想像がついた。

「ごめん。こんなふうに言われんのも、負担だよな」

 自分だけ守られる対象であることが情けないと、未来はさっきまで泣いていたんだから。


「たとえ私がなにもしていないのだとしても、私に向けてことを起こして周りを巻き込むなら一緒。いっそ知らない人ならいいのに」

「その可能性だってある」

「身近な人だったら? どうしたらいいの?」

「わからない」

「じゃあやっぱり知りたくない」

 塞ぎ込んでしまう未来に、俺はかける言葉を考えた。

 俺が身近な誰か……例えばの話、秀や斎に騙されていたとして。陰から狙われて、そのせいで未来や凪さんたちに危害が加えられるとしたら。

「……俺なら、納得するまで話すかな」

 充血してしまった未来の目がこちらを向く。

「いままで一緒に過ごしてきた人をすぐに敵に見ることは、俺は多分できない。相手もそうなら助かる。バレた瞬間に誰かを人質にされたりしない限りは、身近な人でもほとんど知らない人でも、多分……」

 そこまで言って、違和感に襲われた。何だろう、何か、変な気がする。でも、なにが?

「隆、一つ確認したいんだけど」

 考える俺を見ながら未来は真面目な顔で言った。

「周辺を疑えっていうのは、私の身近に『あのお方』がいるってこと? それとも、私の周りにいる誰かが『あのお方』にとって不都合があるから、私ごと消そうとしてるの?」

 ――ああ、それだ。違和感の正体。

 俺はつい目をぱちぱちさせてしまった。そういえば、師走は周辺を疑えと言っただけで、その人については触れなかった。

 未来を危険に晒すやつイコール産月、産月イコール『あのお方』の命令に逆らえない、だから敵は『あのお方』……としか考えていなかった。

「……『あのお方』は」

 言いかけて、まじないが発動しないことを意外に思う。

「産月の親で……ハズレを恨む死人です?」

 思い出しながら呟いても、身体がひび割れる様子はない。未来がハッとしたようにちゃぶ台に乗っていた筆記具を持ってきて、書き記していく。

「だから周辺を疑えって……あと、確か」

 頭がガンガンする。下がり始めていた熱がまた上がっているのがわかる。

 あのとき、逆上しかけた俺に師走はなんて言った?

 ――黙秘です。

 ――だからハズレと呼ぶんです。

 視界がぐるぐるまわる。記憶に残っている師走の声が、頭の中で重なるように反響する。

 ――理由もなしに何度も命を狙われることなど。

 ――人生のハズレを引いてしまった彼女は。

 ――相沢未来は何も悪いことはしていない。

 ――悪いのは、悪いのは、悪いのは……。

「……複数形だ」

 大事なことを聞き漏らしていたと、いま自覚する。

「『悪いのは、そういった状況を作り出した人()()。人生のハズレを引いてしまった彼女は、生まれながらにこうなることが決定していたのです』。……なあ、未来。嫌なこと聞いていいか」

 どう尋ねても絶対に傷つけるとわかっていながら、俺は聞く。だって、そうだとしたら、あまりにもむごい。

「なに?」

「……あのさ」

 未来が緊張するのが伝わってくる。不安げな未来の目を、俺はまっすぐに見る。

「お前の、父さんと母さん……ほんとに死人に殺されたのか?」


 自分の背後を確認しようとして首を回すが、途中で止まってしまう。【ブレッシング】の対象範囲にいなかったみんなが、風ではなく【ブレッシング】の球体自体に押し飛ばされていたのを目の端で確認していた。爆撃に匹敵する【風神(ふうじん)(まい)】に直接当たっていなくても、風景の一部になっていそうで見たくない。けれど、確認しないわけにはいかない。

 意を決して、後ろを見る。

「……ああ」

 意味のない声が漏れた。

 身体はあった。誰の身体も吹き飛んじゃいなかった。だけど、紫音に記憶を吸い出してもらっていた凪さんも、紫音自身も、流星さんもユキさんも、国生先生もみんな倒れていた。五人に覆い被さるようにして、リイとマユが、その大きな獣の身体を盾にして物理的に守っていた。

「マユちゃん……リイちゃん……」

 呼吸も荒く、俺に張り付いたまま未来が二人に呼びかける。白兎たちは反応しない。ただキン、キンと鉄琴のような音がどこからか鳴っている。数回大きく鳴り響き、そして徐々に小さくなっていく。白い身体が一人、よろめきながら起き上がった。

『……何度やっても慣れませんわね、この感覚』

 マユに続いて、リイもむくりと、こちらは元気よく起き上がる。

『マユはそう何度も死んでないからなのです。リイはほら、この通り復活してからすぐピンピンなのですよ』

『あなたは死なない戦い方を身につけなさいな。だからご主人様に心配されるのですよ』

『むっ……、で、でも、身体はって突っ込む方が早いし勝てるじゃありませんか』

『それは時と場合に……はぁ。ううん、いけませんわ、こんな言い合いに時間を使っては』

 軽い口論を始めそうになっていた二人は、自分たちの下敷きになっている凪さんたちをそれぞれ声をかけて揺すっていく。

 全員微かな反応があるのを確かめてから、マユは獣に近い青い瞳を俺たちに向けた。

『なにを驚いていますの』

 え、と声が出た。

『ヘンメイのときにも見たのでしょう。わたくしたち契約された死人『伴侶』は、結衣が心臓を加工してくれているために何度死んでも蘇ります。再生は遅くなりますが、心臓を壊されれば壊されるほど硬く、粒子程度まで破壊しない限り命は永遠。心配しないでくださいまし』

「……あ」

 思い出した。操られたヘンメイを正気に戻そうとして、何度も再生しては簡単には斬れなくなっていった青い心臓を。

「う……」

『ご主人様』

『ご主人様!』

 ユキさんが呻いた。顔を顰めて、目を開けた。

『ご主人様。マユです。わかりますか』

「……吹き飛ばされたのか」

『周囲丸ごとですわ。全員命はありますが、戦える状態ではありません。紫音が気絶していてはナギの回復も見込めませんわ』

 マユは必要な情報をユキさんに伝えていく。眠らないはずの紫音が気を失ったとなると、先ほどの記憶の流入や吸い出しの影響も相まって相当なダメージであると。

 ユキさんは左肩に手を当てて、リイに支えられながら起き上がる。

「遠慮するな、いつもみたいに電撃を流せ」

『……しかし』

「起こすんだ。そうじゃないと凪が衰弱する。どれだけ負担でも紫音にはやってもらわなくちゃならない」

 マユに強制させ、リイに四人の保護を命令。その後、ユキさんは俺と未来を視界に入れる。

「ぼさっとするな。隆君は未来ちゃんを連れて早く逃げろ」

 立ち上がりながら、ユキさんは右手の平を上に向けて突き出した。行為に反応して、【風神(ふうじん)(まい)】の影響で雲が消し飛んだ空から死人が降りてくる。ユキさんが【侶伴(りょはん)】で人形(ドール)にしていた味方の死人たちだ。

「さっきの爆風でダイスを失った。使える人形(ドール)の数は三分の一ほど……そんなに時間は稼げない。だから早く」

 さっきから、本能が危険を訴えている。奴らがここに、ゆっくりと近づいてきているのが空気の緊張で伝わってくる。

「でも……ユキさん」

「自分の役目を見失うな。未来ちゃんを守れないなら、君がここにいる価値はない」

 ざり、ざり、と足音がした。

 暗闇の中、星の光を背負うその男が近づいてきていた。

 恐怖が押し寄せてくる。

 諦めろと頭は何度も言っている。

 勝てない。負ける。殺される。

 だってそうだろう。コピーした長谷川の技がいくら強力だからって、辺り一帯を吹き飛ばすような力を持つ奴に並の人間がどう戦えばいい。

「雪翔さ……で、腕……」

 声が真っ直ぐにならないまま、未来はやっとのことでユキさんに訴えた。俺も、ずっとそこから目を離せないでいる。服の袖がない。赤い液体が滴り落ちている。草ひとつない地面に赤い水溜りができている。

 ユキさんは軽く笑った。

「どうせなら右腕がよかったな。怪我は完治薬でなんとでもなるが、キューブごと消されちゃ伴侶も呼び出せない」

 俺と未来の横を通る。俺たちに背を向ける形で、迫り来る恐怖にユキさんは堂々と立ち向かった。

 数メートル先、足音が止まる。

 新月で、星の光だけが周囲を明るく照らす。ぬらぬらと人形(ドール)たちが俺と未来を守るように動いている。

「さすがは凪が丹精込めて作った加護……。予想はしていましたが、みなさんきっちり生き残りましたねぇ」

 師走は楽しそうに顔を歪ませていた。

「すごいだろう、うちのリーダーは。眠っていても仲間を守るよ」

「ふふ、そうですねぇ。本当にすごい。そういう人物だから、私はナギとやり合ってみたいと思っていたんですけどねぇ……」

 穏やかに会話をしながら、ユキさんは胸ポケットから取り出した完治薬を左肩にかける。失っていた左腕が、神の如き超再生によって形を取り戻す。

「人間は当たり前のようにそれに頼る。薬の成分を知りもせず……いいえ、あの元店主と、店主の座についた少女だけは知っているのか」

 くすくす笑いながら、師走は三つ編みにした長い髪の先をユキさんに向けた。

「さて。お相手はあなたでしょうか、精鋭部隊のNo.2。キューブもダイスもない、恩恵を受けられないその身体でどうするおつもりですか?」

「そういう順序付けは好きじゃないな。凪も決めたがらないし、呼び方に困るならユキって呼んでくれ」

 

 ですがそれもここまで……その加護、一度きりのものでしょう? 次はありませんよ」


 師走は持っている【木刀(ぼくとう)(かい)】に変形を施した。コピーアンドペーストと口にして、【炎神(えんじん)】を追加する。日本刀を模した武器に、炎の龍が絡みつく。鋭利さも破壊力も増した武器が出来上がる。

 背中にひんやりとしたものを感じた。

「コピーは、一つしかできないわけじゃないの?」

『できますよ、いっぱいね。ただあなたたちが能力を作り出す際それを想像しなければいけないのと同じで、私もコピーするものをきちんと理解している必要がある。作り出すものを想像する必要がある。ですから簡単ではないのです』

 よく見るもの、よく知っているものならこうして重ねて武器にできる。私が得意な【木刀(ぼくとう)(かい)】、隆の頼みの綱【炎神(えんじん)】。それらは死人の目を通して何百回、何千回と見てきた師走は、私と隆の武器を細かいところまで熟知している。簡単に重ね付けできる。

『まあこんな陳腐な武器よりも――力任せにぶっ飛ばすほうが、私は好きですけどね』

 


 だったら、やっぱり無視したんじゃないか。


 端段市は、無事だった。住宅のすぐ近くで燻った匂いがするところがあったけれど、おそらくそれは隆の炎の能力の名残りだと思う。建物は崩壊せず、人が出てくる気配もなく、まるで、誰もそこにいないかのように騒ぐ声も聞こえず――そんな住宅の近くで、隆は倒れていた。

「隆!」

 全力を出した【羽状複葉(うじょうふくよう)】はすぐには止まらない。仰向けになった隆の数メートル先で墜落するように着地して、勢い余ってそのまま前に何度か転がった。至る所に擦り傷ができて痛いけどどうでもいい。また転びそうになりながら走って、隆の横に膝をついて声をかけた。

「隆。ねぇ、隆」

 隆は答えない。土や血で汚れた目元は動かない。

 まさかと思って顔を寄せると、隆は私の悪い想像を断ち切るようにしっかりと息をしていた。胸も上下している。ひとまず安心していいようだった。

「【落葉】」

 直君が雪を降らせなくなっても、まだ雪は溶け切っていない。ボロボロになって素肌が見えている隆の身体を冷やさないよう、葉っぱで簡易的な布を作ってかけてやる。

 傷一つ見当たらなかった。服は強い力に引き裂かれたみたいになって、隆の倒れた周囲には血痕もあるのに、隆自身は無傷だった。完治薬の空き瓶が二つ、近くに置かれている。その横にはまだ液体が残っているものが三本。誰かが隆の治療をしてくれたのかもしれない。

 ――誰が。

 凪たちの誰かが復活したのか。それとも別の誰かか。わからないけど、今ここにいなくて新品の完治薬を置いていったということは、急ぎの用があるんだろう。師走との戦いのためか、凪たちの救出か、はたまた――。

『あら……いいところにいましたね、ハズレ』

 死人の声に、けれどさっきまで聞いていたのと同じ声に、私は身体をこわばらせた。

『探しに行く手間が省けました。そろそろやられているかと思いましたが……臨世はどうしたんです。まさか、撒いたんですか』

 こちらもボロボロになった格好で、傷はないものの死人らしい体つきをした師走がゆったりと近づいてきた。私はライフル状の【木製銃(もくせいじゅう)】を作り、銃口を師走に向けて睨みつける。

「来ないで」

 隆は動けない。私の力じゃ隆を抱えて逃げられない。距離を詰めさせてはいけない。

『ああそう……またお互いがお互いを守っている。ふふ。お二人を見ていると、私たちの生き様はなんて醜いのだろうと悲しくなります』

 からっぽの笑顔でそんなことを言う師走に、私はなぜか、自分に似たものを感じた。

「その身体、どうしたの」

『どうもくそもありませんよ。彼はね、死なないんです。身体を刺しても刻んでも、体内のほとんどの血を失っても、当然のように完治薬をかけて復活するんです。その数、実に七本……。即死級の攻撃を受けても死なない。そしてまた交渉しようとする。ようやく攻撃してきたかと思えば、私を人間に見立てて戦意喪失……どうなってるんですか、あなたの幼なじみは』

 私は【木製銃(もくせいじゅう)】を構えたまま、眠る隆に目を落とす。アリストロキア・サルバドレンシスの花が見せてくれた光景でも、生きてはいられないような量の血が見つかった。たとえ完治薬がすごいと言っても、即死させるような攻撃には耐えられない。

 即死級の攻撃を、そうならないようにする技。想像力豊かで、器用な隆ならできるかもしれない。

『まあなんでもいい。いくら不死身状態の彼でもまだ動けはしないでしょう。臨世が手こずっているのであれば、私が直々にあの世へ送ってあげますよ』

 師走は持っていた刃物を私に向けた。私が一番頼りにしている【木刀(ぼくとう)(かい)】。私の武器で、私の技。

「隆は会話を望んでたのに、あなたはそれを無視して痛めつけたの?」

 私は銃弾を想像する。【木製銃(もくせいじゅう)】がいつでも連射できるようになる。

『無視だなんて人聞きの悪いことを。最初からそういう雰囲気でしたよ。私は彼に隠すことなく殺意を向けました。応じなかったのは彼のほうです』

「……やっぱり、無視したんじゃない」

『そもそも私たちは相容れない関係です。ハズレの命を狙う者。ハズレを守ろうと動く者。争わないなんて、どだい無理な話ですよ』

 師走は吐き捨てるように言って、ため息をついた。

『お人好しすぎるあまり、私を説得したのちあなたを助けに行こうとしていた。その結果、むしろあなたが助けに来る羽目になった。争わずに済むと信じたかったのでしょうが……残念、チェックメイトですね』


『武器を構えてください。あなたがなんの抵抗もせずに殺されては、これまで頑張ってきた彼が報われませんよ』


「隆はあの日、ずっとあなたの心配をしてたよ」

 立ち上がって、【木製銃(もくせいじゅう)】をやめて同じく『改』の【木刀(ぼくとう)】を作り出す。隆を後ろにして、左腕に絡んだキューブに刀を持ったまま右手を添える。

「助けなきゃって言ってた。自分がなにされたのか全然顧みもしないで。ただひたすら、あなたがつらい思いしてるから助けたいって。私が嫌だって言っても聞いてくれなかった」

 呼び出しに反応して、私の身長の半分以上ある大蛇がキューブ内の空間から飛び出してきた。鳴き声を発さないおキクは警戒を身体で表すように舌を出す。私は守らなくていい、隆が巻き込まれないよう守りなさいと命令する。

 師走はいま初めて聞いたのか、目を少し見開いた。北海道は日の出が早い。まだ明け方とも言えない時間に顔を見せた太陽によって、私と同じ青い瞳が照らされている。ひどく幻想的で、けれど、その色はこの国の人たちを畏怖させる。

「私はあなたの境遇を知らないし、知ったとしても大事な人をあんなにされて許すつもりもない。許さないけど……、でも、どうにもならない環境で、生きてくつらさはわかるから」

 目が青いだけで、石を投げられる。罵倒される。

 解明できない生き物と同じ色をしているだけで、彼らは正義と疑わずに刃物を向ける。

 自分に降りかかる嫌なことなら我慢できても、自分がいることで、家族はどんな思いをしたんだろう、私を置いて出ていった父は、母は。迎え入れてくれた由香さんや明さんは。そうやって考えていくことで、余計に苦しくなっていく。

 師走の境遇はわからない。だけど、毎日がしんどいと思う気持ちなら、誰より私が共感できるはずだから。

「だから私も、あなたの討伐は望まない。隆の意思を引き継いで、あなたとの会話を望みます」

 鋭利な刃先を、地面に深々と突き刺した。刀の柄から手を離し、展開していたキューブを箱型に戻して、木刀の横にそっと置く。

 一切の武器は無し。キューブの恩恵すらない状態で、声を張らずに話せる位置まで私は歩く。展開していなければ、キューブは一つの技しか使えない。戦う意思がないことを証明するために、『改』の【木刀(ぼくとう)】を顕現させたまま、代わりに普段使っている右腕の中にある【朝顔(あさがお)】を切り捨てる。右腕の感覚がなくなる。一歩進むたびに、ぷらぷらと力なく揺れる。

『……バカなんですか』

 腕を伸ばせば互いに届く距離。私は背の高い師走を見上げる。表情に浮かぶのは、動揺でも、ラッキーと喜ぶ様子もない。迷いだった。

「なんで、あなたたちはそうお人よしなんですか。どうして命を狙うものを排除しようとしないんですか」

 師走の声が、徐々によく知るトーンに変わっていく。身体に生えていた赤い彼岸花や毒蛇みたいな模様も薄れていく。

「やめてくださいよ。そんなふうにお人よしでは、私は興が乗らないです。戦えないんです。一介の……ただの人間ベースになるから」

 殺意もなにも感じない動きで、師走は私の首に手を回す。力が全然入っていない。微かに震えていた。

「そういうものだよ。私たちマダーと違って、相当の理由がないと人は人を殺せない」

 私は産月の存在をよく知らない。けれどここにいる生き物は、特殊な力を持ったただの人間に思えた。そこに、

「ほーん。妙なことやってんなぁ」

 顔と声なら知っている、けれど実際に顔を合わせたことはない人物がやってきた。明るい髪色の、目つきの悪い青年。

 ――如月。

 監視カメラの映像に映っていた、卯月と一緒に話していた陰暦二月の産月だ。

「如月……」

「おーおー、らしくねぇじゃんか師走さんよぉ。どうした? いつもみてぇに戦闘狂になっちまえばすぐ済む案件だったろ?」


「隆はあの日、ずっとあなたの心配をしてたよ」

 立ち上がって、【木製銃(もくせいじゅう)】をやめて同じく『改』の【木刀(ぼくとう)】を作り出す。隆を後ろにして、左腕に絡んだキューブに刀を持ったまま右手を添える。

「助けなきゃって言ってた。自分がなにされたのか全然顧みもしないで。ただひたすら、あなたがつらい思いしてるから助けたいって。私が嫌だって言っても聞いてくれなかった」

 呼び出しに反応して、私の身長の半分以上ある大蛇がキューブ内の空間から飛び出してきた。鳴き声を発さないおキクは警戒を身体で表すように舌を出す。私は守らなくていい、隆が巻き込まれないよう守りなさいと命令する。

 師走はいま初めて聞いたのか、目を少し見開いた。北海道は日の出が早い。まだ明け方とも言えない時間に顔を見せた太陽によって、私と同じ青い瞳が照らされている。ひどく幻想的で、けれど、その色はこの国の人たちを畏怖させる。

「私はあなたの境遇を知らないし、知ったとしても大事な人をあんなにされて許すつもりもない。許さないけど……、でも、どうにもならない環境で、生きてくつらさはわかるから」

 目が青いだけで、石を投げられる。罵倒される。

 解明できない生き物と同じ色をしているだけで、彼らは正義と疑わずに刃物を向ける。

 自分に降りかかる嫌なことなら我慢できても、自分がいることで、家族はどんな思いをしたんだろう、私を置いて出ていった父は、母は。迎え入れてくれた由香さんや明さんは。そうやって考えていくことで、余計に苦しくなっていく。

 師走の境遇はわからない。だけど、毎日がしんどいと思う気持ちなら、誰より私が共感できるはずだから。

「だから私も、あなたの討伐は望まない。隆の意思を引き継いで、あなたとの会話を望みます」

 鋭利な刃先を、地面に深々と突き刺した。刀の柄から手を離し、展開していたキューブを箱型に戻して、木刀の横にそっと置く。

 一切の武器は無し。キューブの恩恵すらない状態で、声を張らずに話せる位置まで私は歩く。展開していなければ、キューブは一つの技しか使えない。戦う意思がないことを証明するために、『改』の【木刀(ぼくとう)】を顕現させたまま、代わりに普段使っている右腕の中にある【朝顔(あさがお)】を切り捨てる。右腕の感覚がなくなる。一歩進むたびに、ぷらぷらと力なく揺れる。

『……バカなんですか』

 腕を伸ばせば互いに届く距離。私は背の高い師走を見上げる。表情に浮かぶのは、動揺でも、ラッキーと喜ぶ様子もない。迷いだった。

「なんで、あなたたちはそうお人よしなんですか。どうして命を狙うものを排除しようとしないんですか」

 師走の声が、徐々によく知るトーンに変わっていく。身体に生えていた赤い彼岸花や毒蛇みたいな模様も薄れていく。

「やめてくださいよ。そんなふうにお人よしでは、私は興が乗らないです。戦えないんです。一介の……ただの人間ベースになるから」

 殺意もなにも感じない動きで、師走は私の首に手を回す。力が全然入っていない。微かに震えていた。

「そういうものだよ。私たちマダーと違って、相当の理由がないと人は人を殺せない」

 私は産月の存在をよく知らない。けれどここにいる生き物は、特殊な力を持ったただの人間に思えた。


『我を信じよ、主。「縁」と血縁のある肉体でなくとも、あなたに相応しいお身体をこの長月が責任を持って用意いたす。器の温存は諦め、すべてを殲滅する許可をくだされ!』

 長月の声が合図になったかのように、斥候隊がこちらに攻撃してきた。自身の身体をそれぞれの能力で矢のようにした三体の死人が突っ込んでくる。地上にいたそいつらにまったく気づかなかった俺は、直前で【不知火(しらぬい)】の糸が感知して【火炎(かえん)(つるぎ)】で切り伏せることに成功する。続く斥候隊の残りも未来と直樹が弾き返す。

 ――妙だ。

 こんなに近くに来るまで気配がしなかった。いくら死人の大群や長月に気を取られていたって、独特な死人の気配には無意識レベルで反応できる。いまの死人たちは、不可視を知る【不知火(しらぬい)】をどうやって掻い潜った?

『来よったで……』

 直樹の声に、考えながら空を見上げる。

 大群が――すぐそこまで迫っていた死人の群れが、俺たちの上空で止まった。隊列を組み、重なり合っている彼らが、雲の代わりに空を覆い隠して周囲を薄暗くさせる。

「こんなにも……哀しい思いをしてる子たちがいるの?」

 あまりの死人の量に未来は放心して立ちつくした。

『とにかく、できる限り撃ち落としたんで。あんなん攻撃してくる前に押さえ込めば――』

 天気の力を使うべく直樹が手を上げた瞬間、『紫紺雷砲(しこんらいほう)』というハスキーな女性の声とともに空から紫の雷撃が降ってきた。

『がぁああああああああッ!』

「直樹!」

回禄(かいろく)】を作り出すより早く、紫色の雷撃が直樹の身体を貫いた。稲妻が周囲に走り、直樹の全身を黒焦げにする。仰向けに倒れていくのを咄嗟に腕で支えると、触れた部分がもろもろに崩れて地面に落ちていった。

『が……ぁが……』

「動かないで直君、すぐ治療するから!」

 真っ黒になった身体から、青い光が漏れていた。服が焼けて剥き出しになった胸元には、ほとんど肌から出てきそうな位置に死人の心臓がある。それが、パキパキと砕けていくのが見える。

「お願い……効いて、お願い」

 未来の【治癒(ノコギリソウ)】による回復を、直樹の身体は受けつけない。キューブの力が及ぶのはキューブを使っていたときにだけ。例外はあっても、マダーではない人の――死人である直樹の身体を、キューブが癒すことは絶対にない。それでも未来は【治癒(ノコギリソウ)】を続ける。

「未来、やめろ」

「……やだ」

「完治薬にしよう。そっちのほうがまだ可能性が高い」

 狂言だった。俺の手持ちに完治薬はもうない、使い切ってる。あったとしても死人に使えたかどうかは不明だけど、とにかく未来に治療をやめさせたかった。未来は首を振った。

「私も、全部使ったの。もうないの」

 治らないのに治癒を続けることで、力が逆流して未来の手が真っ赤になってる。一部は皮膚がむけて火傷してる。

 俺が薬を持っていないことをお見通しな未来は、奇跡を信じて治療を続ける。

『ヒャハハッ、無様だねぇ、臨世』

 さっきのハスキーな女の声が、俺たちの背後から愉快そうに笑った。

『きちっと命令に従えばそんな死に方せずに済んだろうに。てめえの気持ちを優先するからそうなっちまうんだ』

 声のほうに振り向くと、紫色の雷を身に纏った女が立っていた。狸のような太い尻尾が特徴の、黒い椿の花が頭部のほとんどを覆った人型の死人。

「神奈月……」

 死人の『俺』から記憶を共有してもらった俺は、そこにいるのが陰暦十月の産月であるとわかった。神奈月の視線が、こっちを向いた気がした。

『呼び捨てにしてんじゃないよ、ガキ。ただでさえこっちは鬱憤が溜まってんだ、これ以上イラつかせないでほしいね』

 厚底の靴で土を蹴り上げ、俺たちに飛ばしてくるのをケトが黒い翼で防いでくれる。地面の中から虫を死人化させて味方を増やす。

『へーっ、この丸いのがケト? えへへっ、かわいいじゃん!』

 今度は幼い男の声がした。目視する間もなくそいつの気配だけが俺たちの間をすり抜ける。神奈月のそばに軽やかに着地した。

「睦月……」

 ウサギと紫陽花を混ぜたような見た目の、陰暦一月の産月。少年の形をした産月がケトの黒い翼を弄んでいた。

 視線を下げると、単眼をめいっぱい見開いて痙攣するケトが、青い体液を背中側から噴き出して転がっている。それを、未来が悲鳴に近い声を上げながら圧迫して抑えようとしてる。

『ふぅん……、背中に植ってると思ってたけど、中身全部と繋がってたのか。ごめんねー、引き摺り出しちゃった!』

 悪意のなさそうな満面の笑みをみせる睦月に、ほとんど我を忘れて斬りかかった。

『あははっ、そう、そうだよね。お前はそうだよね。自分が傷つくぶんはいくらでも耐えられるけど、仲間が傷つけられるのは我慢できないんだよね!』

 黒い翼を放り投げて、睦月は応戦した。すばしっこい上に小さい。避けて避けて、反撃してくると【不知火(しらぬい)】で軌道を予想して俺も躱す。けれど速すぎて、一瞬だけ指が俺の腹に触れた。

『キョウミ、シンシン』

 内臓が腹を突き抜けて出ていくのがわかった。声も出ずに膝から崩れ落ちると、睦月の手には俺の中にあるべきなにかが握られていた。

『人間の身体はやっぱり面白いねー』

 血を吐く俺を、睦月は笑いながら蹴り飛ばした。未来にぶつかってのしかかってしまう。俺の下で、未来は顔を激しく歪めた。

「ぐ……、ごめ、未来」

「いい……。いい、から、冷静に……」

 勢いで未来の腹に一撃を喰らわせた状態になっていた。苦しげに咳をしながら、未来はまだ再生しきっていない俺の腹部を【治癒(ノコギリソウ)で治してくれる。

 

「お前ら、なんで……」

不知火(しらぬい)】はずっと起動してる。なのに産月の襲来にまったく反応しなかった。まるで国生先生の【抜け道を知る】のような、感知できないなにかをくらったような――。

「隆、あれ……」

 未来が直樹の手を握りながら、俺の後ろ上空を見上げて言った。

「師走……?」

 痛ましい表情で、師走は胸の前に手が丸くなるよう重ねていた。その身体の中に響く声が、今度はきちんと稼働している【不知火(しらぬい)】が音を伝えてくる。

 ――余から逃げられると思うな、人間ベース。

 アタリだと、声が、話し方が、俺の脳内に告げた。師走の中にいるアタリの精神の一部が、師走の身体を動かしてコピーの能力を使ってる。国生先生の【抜け道を知る】を、師走の意思ではなく師走の中にいるアタリが使っている。

『よしてください、アタリ様……』

 ――よすもなにも、元はといえば余の能力だ。そしてお前は、余の一部だ。余がお前をどう使おうが問題なかろう?

 くっくと笑うアタリの声は、記憶の中で聞いたものよりドス黒い感情に飲まれている気がした。身体を乗っ取られかけている師走を如月が言葉で制している。アタリ自身がそこにいるわけではないために、攻撃して止めるというわけにもいかない。


 雲が見えなくなるほどの大群と、ここにいる三人の産月のように倒すにはあまりにも現実的でない能力を持つ生き物が八体。それらが全て、もう人の形ではなく完全に死人の体になって臨戦体制をとっている。

「……隆」

 か細い声で、未来が俺を呼んだ。俺は声を失っていた。産月一人ひとりと話せるわけじゃない。話す気のない生き物たちの集団に、全てを消し去る考えしか持たない命の群れに、俺は荒い息をすることしかできない。

『最後の確認をしよう、ハズレ』

 幾分柔らかい声で、長月は慈悲を与えるかのように、未来に問いかけた。


「……隆」

 か細い声で、未来が俺を呼んだ。俺は声を失っていた。産月一人ひとりと話せるわけじゃない。話す気のない生き物たちの集団に、全てを消し去る考えしか持たない命の群れに、俺は荒い息をすることしかできない。

『最後の確認をしよう、ハズレ』

 幾分柔らかい声で、長月は慈悲を与えるかのように、未来に問いかけた。

『お前一人の選択で、全てを救えるぞ』

 産月だろう獣と植物が混じり合った死人がゆらゆらと降りてくる。未来が生み出した花たちを獣の足が容赦なく踏みつけて、こちらを恐怖させるようにゆっくりと歩み寄ってくる。俺たちは無意識に一歩下がった。

『お前一人がアタリ様のために身体を差し出せば、そこにいる大切な者たちは助かるだろう。これ以上、土地を壊す必要もない。もしかしたらアタリ様の優しさもあって師走と如月も産み直しを免れるやもしれん』

 こちらに進軍してくる産月は死人の言葉でなにかを喚いた。それらは言っている言葉はわからない。けれど未来を煽っていることくらいはわかる。

「……【マネッチア】」

 聞かないほうがいい。そう思うのに、未来は彼らの言葉を聞こうとする。純粋な死人ではない俺は、直樹やケトのように、そして未来みたいに人の言葉に訳せないために、なにを言っているかがわからない。

「はは……そう、そうだね」

 ほとんど息で話したような芯のない声で、未来はなにかに納得した。

 未来から、ざらざらと音がする。高い場所から砂が落ちて地面に叩きつけられているかのような音に、俺は恐る恐る未来の左半身を覗き込んだ。

「よせ、未来」

 戦意消失。抵抗する気の一切を奪われて、未来の左腕から、キューブが剥がれて砂状になって落ちていた。未来、ともう一度声をかけて肩を掴むも、全てを諦め真っ暗な瞳をした未来のキューブ分離は止まらない。そのままなすすべもなく、全部が土と花に受け止められて、砂状になったキューブはそれぞれ弾けて霧散した。

 未来は、キューブの使用者ではなくなった。

「……隆、直君も」

 ただ一つ弾けなかった翡翠色の粒の中に、小さな細長いものが見えた。きっと、キューブ内の空間に入っていたおキク。あの大蛇が粒の中で、トグロを巻いている。その粒を、未来は俺に渡した。

「いっぱい、ありがと」

 ――やめてくれ。

「これならきっと、前向きな終わり方だね」

「んなこと、言うな」

『せや、相沢ちゃん。まだ諦めんの早いって、あんなん全員で頑張ったらどうにでもなるから――』

 なるわけないと知らしめるように、進軍してきた産月の一体が攻撃してきた。目の前全てが赤く染まるほどの莫大な砲撃。キューブの恩恵をなくした未来に覆い被さって、俺は【回禄(かいろく)】で全員を球状の炎に入れた。

「あ……がっ……!」

 突破された。当然みたいに【回禄(かいろく)】を消し飛ばした赤い砲撃は、俺の身体のいろんな場所をむしり取っていった。すぐに回復が始まるかと思いきや、ずっと激しい痛みに苛まれる。傷が――治るはずの傷が、回復が異様に遅い。一日持つと言っていた死人の再生力が、時間の経過とともに薄れていっているのだと本能で理解した。

「直君、ケト……ああ……」

 俺の腕の中で、未来は泣いていた。パキンと聞き慣れた音がして、俺たちの目の前で大事な友だちは青い心臓を破壊されて散った。未来を守るために、俺と一緒に覆い被さることで、直樹とケトは心臓を抉られ死んでいった。ガラス玉が、ぽすっと音を鳴らして草花の消え去った土に落ちる。あとからもう一つ降ってくる。俺に託されたおキクまで、衝撃によって命を奪われガラス玉に変貌した。

「やだ、もう……やだ……」

 未来は初めて、自分の置かれた境遇に嫌だと言った。ずっと、しょうがないとか、巻き込んでごめんなさいとか、自分の気持ちには向き合わなかったのに。今になってようやく、未来は『嫌だ』と口にした。

「み、く……」

 喉が焼けてる。声が出にくい。三つのガラス玉をそっと俺のキューブの空間に入れて、未来は俺の腕の中から抜け出した。

 行くな。

 そばにいろ。

 犠牲になろうとするな。

 どれもしっかり言葉にならず、手も満足に伸ばせない。未来がふらふらと俺から離れていく。まだ攻撃の用意をしている半死人たちのもとに力の抜けた身体を寄せていく。

「未来……!」

 長月が笑ってる。赤い砲撃からギリギリで逃げていた師走と如月が痛ましい表情で俺たちを見下ろしている。空に跋扈する死人たちが、嬉しそうな声で全てを見ている。そしてそれらを全て【不知火(しらぬい)】の糸が俺の頭に運んできて、くそったれと思うのに動けない。

 ――どうにかしろ。どうにか、どうにか!

 未来が産月の一人に手を伸ばされた瞬間、その周辺の【不知火(しらぬい)】の糸を盛大に発火させた。ぢりっと皮膚が燃える音とともに未来が身体をのけぞらせた。

「【炎神(えんじん)】!」

 喉が潰れるのを覚悟で龍を模した炎を生み出した。龍が具現化するイメージで、炎を掴むことができるようになった龍に身体を運んでもらい未来を一瞬で攫う。初めての試みに制御がうまくいかず、産月の手から奪い取った未来と一緒に地面に墜落した。

『なにをしておる、神奈月! 器を取り落とすな!』

 長月の怒声に神奈月と呼ばれた赤い砲撃の産月は死人の言葉で怒鳴り返していた。それを好奇とばかりにすぐ横にいた小さな産月がこちらに向けて手をかざす。もうなにも考えることもできず、俺はただ未来が攻撃の対象にならないように覆い被さってじっと耐える。

「隆、もういい。もう十分だから、だから……」

 攻撃のたびにわずかな回復があって、痛みと治癒とを繰り返す俺は意識が途切れそうだった。長月が攻撃の種類が変わるたびに怒声を上げてくれるので、ありがたいことにギリギリで意識を保てる。これだけの疲労と怪我の蓄積では、多分意識が途切れると常時展開ができていられない。そうなると、【灯火】が消える。衰えてきた死人の再生力じゃ、未来を守りきれないまま俺も朽ちるだろう。

「なにが……十分だよ」

 霞んだ視界で、未来に問いかける。どんな表情をしているのかわからない。

「俺は……なんも十分じゃねぇ。未来のいない生活なんか考えらんねぇんだよ」

 肩を抉られる感覚がして思わず悲鳴を上げた。それでも絶対に離さないでいると、


「説明はまたあとで。」

 安堵して【回禄(かいろく)】が消えそうになる。俺のよく知る金色の糸が、長月の近くにいた産月をまとめて縛り上げるのを【不知火(しらぬい)】を通して俺は見ていた。エネルギーの照準がズレて、俺たちではなく別の方向に飛んでいきそうになるのも瞬時に気づく俺の師匠は、技名を一つ口にした。

「【ルテイン】」

 途端、周囲の音が全て消えた。地鳴りも、エネルギーが生み出す音も、風を切る音も。

 怖いほどに静かな空間で、長月が言葉にならない声を上げている。

 俺たちがあれだけ苦労して耐えていたエネルギーの塊は、【ルテイン】というたった一言で消滅させられた。

『無傷の先導者……なぜ動ける。計算上はまだ死の淵にいてもおかしくないはず……なぜ……』

 長月が混乱して独りごちている間に、凪さんは一言謝罪の言葉を述べてから空に跋扈する死人を一掃した。小声だけど、長い技名だった。凪さんが恥ずかしがって人前ではほとんど使わない詠唱が必要なあの技であることは間違いない。

「かっけぇや……」

 つい笑ってしまう。やっぱり、俺の師匠はかっこいい。

『違う……そんなわけはない。そうだ、たった一人で形勢逆転など、あるわけはないのだ』

 現実逃避のような言葉を吐いたかと思うと、長月は大声を上げた。

『主よ、あれを投下してくだされ! いくら弥重凪でも広大な範囲は守れまい、あれを使ってくだされ!』

 要望に応えるように、すぐに新たな死人の軍がやってきた。さっきよりも少ないけど、今度の死人たちは全員でなにかを支えるようにして動いている。目を凝らしてよく見れば、それは銀色の大きな楕円の物体だった。

「……なるほど。これが、僕らが遠征費用をなしにしなくちゃいけない理由になった政府の爆弾か」

 凪さんが呟くのと同時に、それが投下された。凄まじいスピードで落ちてくる『爆弾』と呼ばれたその兵器が空中で弾ける。眩しい光とともに爆発音が響いて、衝撃で俺たちは吹っ飛びそうになる。俺と未来は、直樹とケトを庇うようにしてその衝撃に耐えた。

「東京丸ごと吹っ飛ばす威力がある……なるほどね。確かに爆風まではちょっと取り除けなかったかも」

 巻き上げられた砂や土がパラパラと音を鳴らしている。衝撃が止んでそっと目を開ける。振り向くと、俺と未来を守るように凪さんが立っていた。手からは技の名残のように黄色の光が風に靡いている。

『な……な……』

「なに驚いてるの? 危ないとわかってる兵器を、司令官がなんの対策もせずに置いておくわけないでしょう」

 信じられないものを見たように長月が口をぱくぱくさせている。いったいなにをしたのかと震える声で聞かれ、凪さんは消えかけの光を少し強くさせた。

「光の刺激から目を守ってくれる天然色素【ルテイン】。光を放つものならなんでも、とりわけ青い光には強い防御力を発揮する僕の切り札」

 さくっと説明を終えて、凪さんはくるりと俺たちに身体を向ける。長月はまだなにか言っているが凪さんは無視を決め込んで、俺と未来に微笑みを向けた。

「遅いですよ……凪さん」

 さらさらと揺れる、金に近い茶髪。消し飛ばされたエネルギーの残りが雪みたいに舞っていて、もうすっかり登った太陽が凪さんを後ろから照らしている。やたらと神々しくて、安堵で出てきた涙と一緒に笑いが溢れた。

 立ち上がろうとして、力が入らなくて前に倒れ込んだ。凪さんに抱きとめられる形になる。謝って立とうとしても、やっぱり力が入らない。

 凪さんは、うん、と頷いた。

「遅くなってごめん」

「……ほんとですよ」

「怪我は?」

「いまは大丈夫です。治ったり、治してもらったりで」

 安堵と疲労で立てないだけと知るなり、凪さんは俺をゆっくりと座らせてから頭をぽんぽんと叩いた。優しい笑みを見せてくれるけど、国生先生の【知らせる】の影響が残っているのかもしれない、こめかみの辺りに汗の粒がある。

「未来は? 痛いところ」

 凪さんの問いに、未来は今日一番の安心した表情を見せた。

「大丈夫。全部痛い」

「……うん。おいで。一気に治す」

 優しく手を引かれ、凪さんのそばに座った未来を桃色の光が包み込む。優しくてあたたかい治癒の技【ヒール】。あの日、未来の右腕を治してくれたのと同じ技が、今度はかすり傷一つ残さず綺麗に治療してくれた。凪さんは上着を脱いで、服もボロボロの未来に掛けてくれる。

「僕が来るまで、よく耐えた」

 未来の頭を優しく撫でてから凪さんは立ち上がる。俺たちを後ろにして拘束したままの産月と死人の群れを見上げる。

 産月側も凪さんを恨みの表情で見下ろしている。

「凪さん、俺も一緒に――」

 全快じゃない凪さんを手伝うべく立とうとすると、やっぱり力が入らずこけた。土で汚れた顔を上げると、こっちを見ていた凪さんは思いのほか元気に笑う。

「大丈夫だよ。ありがとう」

「でも……」

「直にみんなが来る。だから、あとは任せなさい」

 俺たちを安心させるように言った凪さんは、抵抗する産月たちの真上にジャンプして蹴りをかました。ただの蹴りとは思えない衝撃と音が鳴る。

 地面に叩きつけられた産月たちは、たったそれだけで死人化を解かれ人間の身体を取り戻した。

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