元・前日③
「世良、ちゃん」
血が出ている。マテリアルに埋め込まれた世良の左手から。その赤い液体が腕を伝って、彼女の半袖の制服を少しずつ赤く染めていく。
(どうして世良ちゃんがここに。しかも制服……まさか、家に帰ってない?)
思考が停止する中、必死に何が起きているのかを考えていると、閉じられていた世良の瞼がゆっくりと開いてきた。
「み……く、せん、ぱ……」
痛みで荒い息のまま未来の名を呼ぶ彼女の目は、虚ろだった。どこを見ているのかわからないその瞳から、今にも意識が失われそうになっているのがよくわかる。きっと、根性だけで言葉を紡いでいるのだろう。
「ごめ、なさ……さがし、きれ……くて」
申し訳なさそうな顔で必死にそう言う彼女が抱えているのは、オレンジ色の丸い死人。青い一つ目がついた、煤だらけのバスケットボール。黒いマーカーで書かれた、『絶対優勝』の文字が入ったバスケットボールの死人。
「世良ちゃん大丈夫。あとでちゃんと聞く。だから今はその子を放して」
抱えられた死人は、そこから逃げる気はなさそうだがタダではそうさせてくれない。彼女を痛めつけることで、自分はお前を殺せるんだぞと言っているのだ。
すぐさま動けるように、未来は足元に小さな芽を三本生やす。
「世良ちゃん、その子を放して」
痛いはずなのに、苦しいはずなのに、頑として聞き入れない彼女は浅く息をしながら言う。
「だめ、です……この子を、ころさ、ないで」
目に涙を浮かべて、懇願する。
「なにも、わるくないんです」
「……そうだね。わかってるよ、私も」
わかる。痛いほどに。
「でもね、その子を野放しにできない。もう……怒りでいっぱいになってしまってるから」
彼女の腕の中から伝わってくる死人の思いは、怒り。怒り。怒り。極限まで膨れ上がった怒りの感情が、こちらに流れ込んできている。泣きたくなるぐらいの、強い怒りの感情が。
「ほおっていたら人を殺す。……もう元には戻してあげられないんだよ」
根底にある感情が、哀しみから怒りに変わってしまった死人を元に戻せることは無いから。
「世良ちゃんお願い、手を離して。それ以上そうしていたら、あなたは失血死してしまう」
未来の言葉に反応を見せなくなってきた彼女にもう一度言う。意識を保つのが難しくなってきたらしい。
申し訳ないが、こうなったらもう強行突破しかない。
「【アサガオ】」
足元の芽の一つ目。アサガオに急成長、その蔓を彼女の右腕に巻き付け、優しく死人から引き剥がす。自由に動けるようになった奴は地面にバウンドして空高く跳ぶ。
「逃がさないよ。【落ちて、三ノ矢】」
空からヒノキで作った矢を真下に放つ。真っ直ぐ死人へと落ちる矢を、小さな丸い体は小刻みに動いてそれを確実に避けていく。
避けたその先で、奴の体が変形した。ボールの黒い筋に合わせて開いて、大きく口を開けたような状態へと。
「【種皮】」
自身と世良の体へ、植物の種の皮から連想した半球状の盾を作る。刹那、奴の口から放たれた丸い物体がぶつかるドゥンッ! という鈍い音を出して、盾に衝撃を与え始める。メキメキと音を立てながら守ってくれている盾は、恐らく強度的にギリギリなのだろう。
「ごめん世良ちゃん。物があると邪魔になるから、薬は持ってきてないの。少し我慢してね」
完全に意識を失ってしまった世良の痛々しい左手を、刺さっているマテリアルから慎重に引き出した。ワタの種を包んだ繊維、【綿花】から糸を紡いで布を作り、傷口を縛って止血する。
「……痛いのに、よく頑張ったね」
ここまでして守りたかったのは、きっとあの死人が、世良にとって大切な物だったから。きっと、とてもとても大事な物だったから。
そしてあの死人もそうと気付いていたから、傷付けはしても殺せなかったのだろう。
「怒りでいっぱいになってしまった死人は、元には戻せない……それを、覆せるなら」
ピシッと、盾にヒビが入る音がした。
「世良ちゃんの思いを汲んで、少し頑張ってみようかな」
足元にある二つ目の芽を急成長、木製の【玄翁】を左手に持つ。三つ目の芽は【木刀】にし、右手に持つ。
「少しここで待っていてね」
二人を守る盾が突破された音。
同時に後ろ手で玄翁を高い空にいる死人へと投げつける。勢いよくぶつかった玄翁が奴の視界を一瞬だけ奪い、こちらに飛んでくる二つの丸い弾丸は木刀で空へと打ち返す。
意識の無い世良に危害が加えられないよう、新たに盾を覆わせる。
──いや、もしかしたら、理由はそうではなくて。
「戦ってる最中の自分を……見られたくないだけかも」
怖くないと。綺麗だと言ってくれた自分の目が、戦っている姿を見ることで死人と重なってしまうのではないかと思えて。恐れられてしまわないかが怖くて。
(あぁ……やっぱりまだ、私は弱いままなんだ)
死人が玄翁で崩れた体勢を回転して正常に保ち、もう一度丸い弾丸を飛ばしてくる。それに気付く未来は地面に穴があく程の勢いで蹴り、死人のもとへと跳ぶ。
飛んでくる弾丸は、やはりマテリアルのようだから、鋭利なそれは当たれば体が裂けてしまうかもしれない。
だけど直線的に飛んでくる弾丸を避けるのは容易で、空中で体を捻ってそらして、躱す。
「【玄翁】」
自分の体の二倍以上の大きさの【玄翁】を、手に持っている木刀から変形させて生成、大きく振りかぶる。
『キァアアア────ッ』
「んっ!」
身を守ろうとする死人の、甲高く頭に響く咆哮。耳を塞ぎたくなる。
(怯むな。続けろ)
玄翁を振り下ろそうとした瞬間、未来のすぐ近くを新たな死人が囲む。
「すぐに死人を作りだせるのか」
新たな敵たちも口からマテリアルを放ってくる。
この量、躱しきれない。
「【種皮】」
左側の弾丸だけを盾で守り、右は躱す。体を翻した直後に玄翁を上へ投げ飛ばし、両手を横へ広げる。
「【過度を慎め】」
きっと死人がいるのはここだけじゃない。また街全体に生まれている可能性が非常に高いと思った未来は広い範囲にサフランの花を咲かせた。
空間が一瞬紫色に染まり、自分の周りにいる死人が弾けた直後、街の方からも弾ける音がした。
上に投げた玄翁が降ってくる。両手でそれをキャッチして、前にいるバスケットボールの死人に打ち付けた。
しかしビクともしない。
ボールの硬さとはまるで違う。
弾力なんてものは存在せず、ただただ、硬い。
手に返ってくる衝撃を、軽く腕を捻って受け流しながら語りかける。
「怒ってるんだよね」
重力に任せ、未来は地面に着地した。
「あなたのことを教えて」
元に戻してあげられるのなら。あなたを理解して、元の形に戻してあげられるのなら、そうしてあげたい。
そう強く願った。
だけど人型でない死人は言葉を知らないから、自ら言葉を発せない。ただただ叫ぶしか、泣くしか、攻撃でしか伝える術がない。
死人は数秒程じっとして、開いた体を元の丸型に戻し、残像が残る超スピードで空へ一直線に飛んでいく。雲を突き抜けたらしく、空を覆っていた雲の一箇所だけに丸く穴が空いた。
「そう、何も無いところで戦いたいんだね」
指先を地面につける。
「【育め生命よ】」
そこに先程と同じように小さな芽をいくつか生やして、命を吹き込んだ植物たちに伝える。
「上に行くよ。だから街と、彼女を守って」
守りは小さな葉っぱを揺らして頷くこの子たちに任せる。何かあれば、自身の能力と同じように体を変形させて戦ってくれる番人たちだ。
だからあとは、未来があの死人をどうにかするだけ。
「楽しくなってきた」
どうやら自分は、笑っているみたいだ。
「【羽状複葉】……ソテツ」
背中にソテツの葉でできた羽を生やす。
羽状複葉とは植物の葉の形のことで、葉が葉軸の左右に羽状に並んでいるものをいう。簡単に言えば、羽みたいな葉っぱだ。
だから未来は、飛べる。
「行ってくるね」
羽がピンと伸びる。足が地面から離れ、死人が待つ雲の上に向かって飛ぶ。
空が近くなればなるほど空気が薄くなるため、体の周りに【光合成】を薄く張って酸素を作る。息がしやすくなったと同時に、未来はふと思った。
空って、どこまで行って大丈夫なんだろうと。
雲に入る直前でピタッと止まり、少し考える。
「なんだっけ、どこかまで行くと体が燃えちゃうんだよな。酸素の問題は【光合成】でなんとかなるから大丈夫。うん。あとは、気圧? 何かあったよな。えっと…」
ぐるぐると頭の中を思考が駆け巡る。
でも、わからない。全くもってわからない。
「勉強しとけば良かったあああっ!」
「バカバカ私! それぐらい覚えとけバカ!」そう自分を咎めていると、雲の上からマテリアルが飛んでくる。
ぐるっと後ろに一回転して避けるも、未来の頭を目掛けて飛ばしてきたところを見ると、相手は本気で殺そうとしてきているらしい。
「考えてる暇はないか。キューブ展開中だし、どうとでもなる!」
そんな安直な答えを出して、未来は雲の中へ入る。
抜けたその先は、雲が月明かりに照らされて神秘的な光景。暗い世界に月が存在感を放つ、美しい景色。ただひとつ、そこに蠢く百以上になる数多の死人たちを除けば。
「本当に、すぐ作り出せるんだね」
その最奥にいるバスケットボールの一つ目の死人に言う。
「いったいどうやって作り出してるの? 死人は、哀しみから自然に生まれるんじゃないの?」
もしかしたら、この死人はその答えを知っているのかもしれない。どうにかしてそれを聞き出すことができるなら。
だけどその考えが御法度であるとでも言うように、奴は青い瞳を大きく見開き、何とも表現できない奇声を上げる。
大気が震え、そこにいる作られた死人たちが一斉にこちらへと向かってくる。
「【過度を慎め】」
周りが一瞬紫色に光る。悪意ある敵を一瞬で倒せるサフラン。だが。
「おっと」
こちらへと向かってきた死人たちのほとんどが、ガラス玉へ変貌しなかった。マテリアルを放ちながら素手で襲いかかってくる。
躱して、木刀を作り出して受け止める。タイミングを見計らって避けて、ぶつかり合う死人同士で相打ちをさせる。
つまり、今残ってる死人は全員悪意がない。もしくはある程度強いということだ。
「そう……元に戻れるんだね。良かった。【引き抜け・連】」
突き出した手のひらから舞う大量のストレリチアは、目にも留まらぬ速さで彼らの心臓部を貫いて青い心臓を奪う。痛がる死人のうちの一体が、未来の腕を掴む。それを僅かな隙間から振り解き、「大丈夫」と告げた。
「哀しい気持ちから解放してあげる」
哀しいままでいるのは、辛いんだよ。
そう伝えたくて、腕を大きく開いて黄色い花を咲かせる。
「【悲しみは続かない】」
花が彼らを照らす。照らされた哀しき生き物たちが、その光で浄化され、徐々に元の体へと戻り始めた。
「ねぇ、バスケットボールさん」
遠くでこちらを見続ける死人に、その体に書かれている絶対優勝の文字を見ながら、もう一度話しかける。
「あなたはどうして死人になったの。何が哀しかったの。何に今、怒ってるの」
教えてほしい。その怒りの感情を完全に捨てることができたなら、もしかしたら元に戻れるかもしれないのだから。
「……どうやって死人を作り出しているの」
未来の周りを飛ぶストレリチアが咥える青い心臓が。
「知ってるなら教えて。お願い」
砂になって落ちていくはずの青い心臓から──糸が引かれる。
「え?」
その糸に気付いた時にはもう、ストレリチアのクチバシに、彼らの心臓は無かった。その青い糸を辿って、バスケットボールの死人が大きく開けた口の中へと。
元に戻りかけていた彼らの魂が、心臓が、体が、その青い糸によって死人の中へ吸い込まれるように入っていった。大きく開けられた口で、ほっぺたが落ちる肉を食らうかのように、それはそれは美味しそうに頬張る。
食べられてしまったのだ。
ねちゃねちゃと嫌な音を響かせる彼らは、咀嚼されたのだ。
「死人が……死人を、食べた?」
残酷な音を立てて形を失っていく彼らは為す術もなく食われ、一体すら元の形に戻らない。




